36.「復讐するは我にあり」

 当然あなたはカレンを追いかけたが、自然の中を歩くのは彼女の方が遥かに優れていたし、あなたは高次元暗黒との接触による“反動”で疲労が蓄積したこともあり、結局追いつけなかった。


 それならばと、一旦王都に帰ってそれから探す魂胆でいたのだが、悪いことに馬は一匹も残されていなかった。カレンは自らの愛馬に乗って行ったとして、残りの馬はエゴールが連れ帰ってしまったのだろうか。


 ……いや、仮に馬が残っていた所で乗れやしないのだが。背や尻にどうにかしがみついて帰れないだろうかというあなたの安易な考えは、ここに砕け散った。


 しかし、あなたには二本も立派な足がある。

 最後に頼れるのは、いつだって自分の肉体なのだ。


◇ ◇ ◇


 高度に整備された王都の街灯が、夜の闇を温かな光で暴き出していた。重く垂れ込めた雲に光が反射して、街全体にどこか灰色掛かった雰囲気がある。


 あなたはようやっと立ち止まり、息を整える。視界の端に噴水を捉えたので、そこまで行って流れ落ちる水の膜に頭を突っ込んだ。密かな逢瀬を楽しんでいた男女が怪訝な顔をして去って行くが、気に掛ける余裕がない。なにせここまで必死こいて走ってきたのだから。


 まさか一台の馬車も通りかからないとは自らの悪運を呪いかけたが、天に唾を吐いたって仕方がない。ままならぬ風を呪った船長のようにはなりたくなかったので、ただただ無心で走り続け、夜になってよううやく辿り着いたという訳だ。


 幾ら体力に自信があると言えども、この距離をノンストップで走るのは流石に応えた。本当ならシャワーを浴びてベッドに倒れ込みたい所だが、生憎そういう訳にもいかない。あなたにはまだ仕事が残っている。


 あなたは噴水から水を掬って喉を潤し、縁に腰掛けてこれからどう動くかを思案した。


 まず最優先にカレンを見つけなければならない。


 恐らくは例の仇の元へ向かうだろう。居場所はレストラン、ゾーラトとか言っていた――あなたは自分の記憶を探る。確か、メイベルと昼食を共にした時、連中がたむろしているレストランの近くを通らなかったか。


 あそこかゾーラトかどうかは定かではないが、そこ以外知らないのだから行くしかない。あなたは重い腰を上げ、記憶を頼りに歩き出す。王都の地理には詳しくないが、暇な時に散歩をしていたので多少は分かる。この噴水からでもきっと辿り着ける……辿り着いて見せる。


 懐中時計は午後七時を指していた。丁度夕食時で、裕福な市民が外食に出かける時間帯だ。身なりの良い人々で道はそれなりに混んでいる。


 あなたは人混みに混じって歩きつつ、ふと考えた。カレンを止めるのか、と。


 どうするべきだろう。止めるか、復讐を見届けるか。


 恐らく、止める権利はない。止めるなら、少なくともレニーの処刑を力づくでも止めるべきだったのだ。あの場にいながら何もしなかった時点で、そんな権利はないのではないか――そもそも、他人の人生に口出しする権利を持つ人間などいるのだろうか? 逆ならあり得る。あなたを色々な意味で救ったカレンなら、あなたの人生に口出ししたって構わない。理論的にはともかく、あなたはそう思っている。


 そこまで考えて、あなたの脳裏に浮かんだのはカレンの母だった。

 やや刺々しい態度ではあったが、心底優しい人だった。 


 カレンは敵の基地へ単身で突入することになる。放っておけば、生存の見込みは限りなくゼロに近いだろう。あの母親にとってカレンは最後にして唯一の家族だ。失えばどうなるか、想像に難くない。子を失った親の脆さは、ウェイストランドで嫌という程見てきた。


 そんな思いはさせたくなかった。

 この場でどうこう出来るのがあなたである以上、やるしかない。


 大規模な戦いになるだろう。敵の正確な規模が予想できないので、街の半分が敵に回ると考えても甘い見立てではあるまい。


 しかしあなたには自信があった。これまで様々な窮地を乗り越えてきたという事実に裏付けされた自信が。あなたは強く、殺しに躊躇がない。この世界に来て色々と甘くなっている自覚はあるが、目的の為ならば手段は択ばない主義だ。この街に死体の山を築こうともあなたは目的を果たすだろう。


 脳内でシュミレートを繰り返している内に、目的のレストランが見えてきた。


 白い外壁、三階建ての建物。燈色の明かりに照らされて教会のように美しい。二階のバルコニーでは紳士淑女が優雅に食後のお茶を楽しんでいるようだ。


 あなたはぐるりと周囲を回り、全体像を把握した。見張りのいない裏口はあるが、鉄製で分厚い扉は力では簡単には破れそうもなく、表から入るのが容易だ。建物の裏手側は住宅街と面しており、どうにかすれば屋根に飛び移ることも可能だろう。


 しかし目的は奇襲ではなく、あくまでもカレンの援護――そもそもここにカレンがいるかどうかさえ分からないのだから、まずは正面から入るべきだ。


 ……ボディーチェックはあるだろうか。普通のレストランなら考えられないが、あの店は分からない。治外法権のような状況をあなたは想像した。


 ブラスターガンは適当に誤魔化せそうだが、腰にぶら下がってるラッパ銃は隠せまい。あれこれと考えて、あなたは路地裏でストックを切り落とすことにした。細かく形成する時間は無かったので、ナイフの片側に備えられた鋸刃で深く傷つけ、そこから力づくで圧し折った。おかげで断面はささくれ立っている。落ち着いたら整えて布切れでも巻き付けるとして、取り敢えず紐の残りを細工してコートの内側に吊った。ソードオフラッパ銃の完成だ。


 危険極まりない無法者の武器を懐に隠し、あなたはレストランの表へ向かう。


 エントランスは広く開け放たれ、絵画や展示された陶器が顔を覗かせている。どれもこれも高そうだ。


 あなたは大きな扉を潜り、中へ。


「いらっしゃいませ……お客さま」


 上等な身なりをした店員に止められる。まさかここで躓くとは思っていなかったあなたは面食らい、何事かと尋ねた。


「当店ドレスコードがございまして、申し訳ありませんがお客様の服装では……」


 ドレスコード? あなたの知らない単語だ。


「その場で然るべき服装のことです。当店は上流のお客様が多い故、服装も合わせてご来店いただければ幸いです」


 周囲を見渡すと、確かに皆着飾った格好をしていた。


 男も女もひらひらしたフリルに眼が痛くなるような蛍光色。頭にはとても役立ちそうにないほど小さな帽子を被っている者や、馬鹿みたいに鳥の羽を飾っている者もいた。


 耐えきれず、あなたは少しばかり笑った。こんな間抜け共のサーカスに参加する気はさらさらなかったのだ。


「ですがお客様、これは規則でして」


 しかし中に入れなければカレンも探せない。服を買いに行くような時間はとても無いので、あなたは大人しく外へ出た。そのまま裏手へ回る。


 目当ては先程見つけた裏口だ。破れまいとタカをくくっているのか、見張りはいない。


 好都合だった。あなたはポケットからヘアピンと薄く細い金属片を取り出し、鍵穴に差し込んだ。数回探ってみると、予想通り簡単な仕組みだ。ウェイストランドに残された現代文明の物程複雑ではない、南京錠にも似たシンプルな仕組み。何度かの挑戦を経て、鍵は呆気なく開いた。


 こうなれば重い金属扉もただの出入り口、何も力で押し入るだけが正攻法ではないのだ。


「おい、ちょっと!」


 呑気にも椅子に座ってくつろいでいた男の下顎を殴りつけ、素早く意識を奪う。あなたはフロアの温かな談笑を頼りに人気のない廊下を進み、幾つかの扉を通って中に出た。


 突然現れた場に似つかわしくない男に気付いた人々が騒めいているが、気にせず二階へ。一階を見下ろしてカレンを探す。


 皆テーブルを囲んで座っているおかげで人探しはあまり難しくなさそうだが、カレンの姿はない。違ったか。あなたが落胆しかけたところ、これまでとは毛色の違う騒ぎを聞き取った。どこか困惑しているような、恐怖しているような。


 あなたは急いで階段を下り、騒ぎの中心を探す。どうやら一階の奥まった個室らしく、そこへ向かった。


 騒ぎの中心は一人の女性らしかった。


 緑のドレスで着飾った美しい女性――カレンだ。顔は見えないが後ろ姿でそれと分かる――が、短剣を手に男に詰め寄っている。


「如何にも、私はドメニコ――」

「では覚えていますか、ある賞金稼ぎを――」


 何やら話し込んでいるがよく聞こえず、あなたは一歩前に踏み出す。


 その瞬間、カレンは男の頭を抑え、首筋に短剣を滑り込ませる。ドメニコと名乗った男は目を見開き、首を抑えて流れ出る血液を止めようとした。しかし傷は深く、どぷどぷと鮮血が溢れて上等な絨毯を汚してゆく。


 傍らで食事を摂っていた男三人が慌てて立ち上がり、懐に手を伸ばす。

 あなたもそれに呼応し、コートの内側、ラッパ銃のグリップを掴んだ。

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