17.「異世界の長い午後」

 鈍い痛みがあなたを覚醒させた。

 仰向けに倒れたまま、自信が置かれた状況の確認に務める。


 まずは身体だが……目も見えるし耳も聞こえる。四肢も欠ける事無くあるべき場所にあった。が、右腕が動かない。残った左手で検めると、どうやら肩関節が脱臼しているらしい。まあ、よくある事か。


 あなたは手慣れた動作で右肩を掴み、関節をはめ込んだ。小気味いい音と鋭い痛みが全身を突き抜ける。本来なら医者の手で整復を行うべきであり、先程の行為は神経を傷つける危険性を孕んでいたが、この際どうこう言っていられない。


 唯一無二の武器、ブラスターガンもホルスターに収まっている。最悪他の武器は失ってもいいが、これが無くては始まらない。


 次に、メイベルは何処だ? 落下の際、あなたは狙い通りに自ら下敷きになる形で落下したはず。ならば、衝撃で離れたとしても、そう遠くには行っていないだろう。


 上体を起こし周囲を見渡すと、そこは荒野だった。 


 はるか遠くに飛ばされた訳ではなく、ワームが吐き出した砂嵐によって根こそぎ粉砕されたのだ。かつて村だった場所には、廃材の山が点々と残されているのみだった。


 見渡す限りでは、メイベルは見当たらない。それにワームも。諦めたのだろうか。あれだけ動いて人間二人の収穫では、カロリーを消費するだけだ。魔物とは言え野生に生きる生物の範疇なら、狩りは理性的に行われると考えられる。


 立ち上がり、周囲を見て回る事にした。


 一歩踏み出した途端、柔らかな感触が足に伝わる。まさかワームじゃあるまいな……背中を伝う冷や汗を感じながらも恐る恐る足をずらすと、それは手だった。


 砂に紛れて分かりにくいが、よく見ると手が――人が埋まっている。メイベルだ。


 幸い、地中から手だけが突き出ていると言う事も無く、全身が薄い砂の層に隠されているだけだった。砂をさっと払い、メイベルを抱き起す――意識を失ってなお、その左手にユニコーンの角を掴んでいるのは流石と言うべきか。


 息はしているし、出血もしていない。一見して目立った外傷はなさそうだが……いや、あった。右足が脛の位置で歪に曲がっている。骨折だ。この部位での骨折は激しい痛みを伴う。


 さてどうしたものかと思案していると、メイベルは苦し気に身じろぎし、うっすらと眼を開けた。


「ん……こ、こは?」


 残念ながらあの世でも花園でもなく、どちらかと言えば地獄に近い場所であると伝えると、メイベルは小さく笑みを浮かべたが、すぐにそれは苦痛に歪んだ。


「右足が……控えめに言ってもかなり痛いんだけど、どうなってる?」


 伝えるべきでないかとも思ったが、いずれ自ずと分かる事だ。あなたはありのまま伝え、しかし治療に最善を尽くすと伝えた。


 ブーツを脱がせ、ズボンの裾を捲りあげる。


 患部は真っ赤に腫れているが、最悪の事態ではない。骨は折れているが体内に収まっており、体外に飛び出る解放骨折ではなく単純骨折だったのだ。もし解放骨折であれば手の施しようがなく、切断が最善の治療法になっていたかもしれない。


 とは言え、骨折が重傷である事に変わりない。本来なら適切なアライメントに戻して固定するべきだが、レントゲンなければも医者もいないのだ。自分の身体なら勘でやってみてもいいが、他人の身体でギャンブルは出来なかったし、したくなかった。


 つまり、あなたに出来るのは鎮痛と固定だけだった。


 三つあるモルヒネのうち一つを注射で投与し、落ちていた木材を添え木に、包帯で固定して簡易的なギブスとした。


 モルヒネは強力な鎮痛作用を持つ。メイベルは痛みから逃れようと早く、喘ぐような呼吸をしていたが、効き始めるにつれて表情が和らいでいった。


「ありがと……凄いわね、それ。砂の民の秘薬ってやつ?」


 ベンジルイソキノリン型アルカロイドの一種で、チロシンから生合成されるオピオイド系の化合物……平たく言えば麻薬の一種だ。同じものが存在するか知らないが、麻薬の類はきっとどこの世界にも存在するだろう。


 そう伝えると、メイベルはニヒルな笑みを浮かべた。彼女らしくない、どこか弱弱しい笑みだ。


「あぁ、麻薬。ふふっ、バレたら二人揃って縛り首ね」


 なるほど、そういう事か。


 清のアヘンの事例に限らず、麻薬が国家運営に多大な影響を及ぼした例は少なくない。故に、国家として麻薬の使用、所持に重い罪を科すのは当然と言える。この国もそうらしい。


 緊急時とは言え、勝手に麻薬を投与した事実に罪悪感がふつふつと沸いてくる。しかし、それを和らげたのもメイベルだった。


「いいのよ、そんな深刻な顔しなくても。一応戦時下での兵士の使用は許可されてるし――今は戦時中じゃないけど、ばれなきゃいいの。あんたの善意だしね」


 メイベルは上体を起こし、傍らに落ちていたバックパックを背負い、掴んでいたユニコーンの角を中に差し込んだ。


「ここから移動しましょう……と、言いたい所だけど、厳しそうね」


 問題は二つある。


 一つ、ワームの居場所が分からない。二つ、メイベルは歩けない。よしんば何かしらの支えを使って歩いたとしても、その歩みは遅々としたものだろう。更に、この状態で身体を酷使すれば病状を悪化させることになりかねない。


 メイベルはあなたが背負って歩くとして、ワームに関しては対症療法的な手段しかとれないのが現実だった。


「それ本気で言ってる? 王都までの距離は知ってると思うけど」


 勿論ご存知である。それ以外に何か方法が思い浮かぶなら、ぜひ教えて頂きたいものだ。


「んー、ローシャチは……って、流石に死んでるか」


 その通りだ……あなたが指さした先で、ローシャチは瓦礫の下敷きになって死んでいた。強靭な首から先だけが覗いており、眼は興奮に見開かれたまま、半開きの口から大量の血液が流出している。


 体重が重ければ重いほど、落下の衝撃も大きくなる。あの時、ワームに打ち上げられてしまった時点であの馬の運命は決まっていたのだ。


「可愛そうに……でも、どうしてワームは来ないのかしら。折角殺したのに」


 一番の謎はそこである。どうしてワームは姿をみせないのだろう……。


 見た限りでは、おおよそ目と思われる器官は備わっていなかった。しかし、正確にあなた達を追っていた事を考えると、何かしらの手段で外の情報を得ていた筈だ。


 “見えなく”とも“観る”手段はある。


 例えば、振動。地面の上を何かが動けば、その音は地中にも伝わるだろう。音だって、言ってみれば振動の一種なのだ。硬い地中ではそこまで頼りにできないとは思うが。


「確かにそんなに深くまでは伝わらないだろうけど、あいつ確か太い体毛が生えてたわよね? あれが感覚器だとしたらどうかしら。猫の髭みたいに、鋭敏に刺激を捉えられるかも」


 成程……確かにワイヤーのような体毛が生えていた。基本的に、生物の肉体は合理性を追求した無駄のない設計をしている。あれはとても体温調節などには役立たないだろうから、その考えも間違ってはいないかも知れない。


 仮にそうだとすれば厄介だ。空でも飛ばない限り、何処までもワームに追われる事となる。


「早く王都に行かないと、折角の角がダメになるわ」


 折角の命をダメにするよりはマシだと思うが、このままでは両方ダメになりそうだ。早い所メイベルの脚を医者に見せなければ。


 少しの逡巡の後、あなたはバックパックを背負わせたメイベルを背負った。重心が後ろに偏りすぎて辛いが、筋肉を使って耐える。


「おおっと……行くのね。まあ、ここでじっとしてるよりマシか」


 ウェイストランダーは諦めが悪い。産まれ落ちた瞬間から、自身の命を可能な限り延命する義務を負っているのだ。死んだ世界を生きている以上当然と言えるが。


 あなたは恐る恐る一歩を踏み出した。

 厳しい旅になりそうだ。

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