9.「デイトリッパー」
「――以上で報告は終了よ。質問は?」
「では、家の状態はどうですか?」
「あー、ちょっとレイアウトが変わってるかも。開放的になったって言うか」
「具体的にお願いします」
メイベルの顔が曇る。亡霊を退治したのは確かだが、家に少なくないダメージを与えたのもまた事実だ。もっとも、その大部分はあなたの仕業なのだが。
それをメイベルだけに報告させるのは不公平だろう。あなたは事実を掻い摘んで、オブラートに包んで報告した。
テーブルが木端微塵になったり、壁に大穴が開いたり、リビングと寝室が繋がったりしただけなのだ。極力建物に被害を与えまいと尽力したにも関わらず、このような結果に終わってしまった事が残念でならない。
「……まあ皆さんご無事のようですし、良しとしましょう」
「え? いいの? マジで?」
「ええ、最悪更地を覚悟していたので」
目を伏せながらそう言うシアン。一軒家が更地になるなどそうそう無いが、過去に何か厄介事があったのだろうか。
まあどうでも良い事だ。あなたは詮索するのもされるのも好きではない。
「では約束の報酬を渡します。ご確認ください」
「ん……確かに」
「どうも。所で、また何かあればお願いしたいのですが、拠点はこの街で?」
「いいえ、旅してるのよ。気まぐれでね」
「成程、では何れ縁があれば」
「その時はよろしく頼むわ」
金属音がする小袋を受け取り、中を確認した。
銀貨が中心だが、幾つかの金貨も見える。負った危険に応じた適切な報酬だとあなたは感じた。二人で均等に分けたとしても、それなりの額が手元に残るだろう。
あなたが小袋の中身を数えている内に、メイベルは挨拶を済ませたようだ。あなたの上着の裾をくいくいと引っ張り、席を立てと促してくる。
「じゃ、失礼するわ」
「本当にありがとうございました」
メイベルは来た時と同じように軽やかな足運びで出口へと向かって行く。あなたは様々な人にぶつかり、何度も頭を下げながらどうにか付いて行き、商人組合の外へ。
「今日はお疲れ。分け前渡しとくわ」
小袋があなたに手渡される。軽くはなっているが、ほんの少しだ。
中身を確認するが、やはり殆ど減っていない。公平に分けたにしてはあなたの取り分が多すぎる。
「あんたの働きに応じたまでよ。労働には適切に報いるのが私のモットーだから」
そうは言うが、とても公平とは思えない分配だ。これでは七対三、いや八対二程ではないだろうか。
「うっさいわね、私が公平と思えば公平なのよ。黒と言えば黒、白と言えば白なの。分かった?」
有無を言わさぬ威圧を受け、あなたは大人しく引き下がった。
彼女が良いというのなら素直に貰っておけば良い。あなたに損は無いのだから。
後は軽率な行為で一文無しにならないよう気を付けるだけだ。暴力を振るう相手は良く見極めなければならない。具体的には、何時ぞやの酒場のような。
ウェイストランドにおける暴力とは皆等しく与えられた権利だった。その理由が正当にせよ、そうでないにせよ、誰もが暴力を行使る事が出来た。だが、この世界では違う。
この世界は死んでいない。理由なき暴力に対抗できるだけの優しさが残っている。
この世界にとってあなたは異物なのだ。何時か何らかの方法が見つかってウェイストランドに帰る日が来たとしても、それまではこの世界の一員として溶け込まなければならない。
異物を排除するのは人類の、ひいては世界の本質だ。それらは一切の容赦なくあなたに襲い掛かるだろう。
「さて……今日はこれで終わりだけど、明日はどうする?」
あなたはしばらくメイベルと行動を共にする約束を結んでいる。
さて、明日の予定と言うが、それこそ彼女次第だ。もし仕事があるのなら喜んで手伝うし、休みであれば大いに休日を謳歌するだろう。
軽く身体を動かしてコンディションを確認したが、これと言って問題は無い。少し疲労はあるが、一晩休めば全快するだろう。あなたはまだまだ戦える。
「残念だけど明日は休みなのよ。て訳で、今日飲みにいかない?」
あなたはポケットから懐中時計を取り出して時間を確認した――もし時間の進みが同じなら――時刻はもうすぐ午後九時に差し掛かろうとしている。確かに周囲は真っ暗だし、時間の進みはあなたの世界と相違が少ないように感じた。
夕食はまだ取っていないし、腹を満たすがてら酒を飲むのも悪くないだろう。
それにしても驚いた。まさかサシで誘われるとは。
「サシじゃないわよ。ラウラって子覚えてる? あの道具屋の。あの子と一緒よ」
あなたは自分の勘違いに気付き少し気恥ずかしくなった。これでは思春期のガキだ。
それにしても、いつの間にラウラに話を通したのだろうか。あなたの知る限りそんな時間は無かったが。
「分かってないわね、今から呼ぶのよ」
今から……? あなたは困惑を隠せなかった。
もういい時間だ。これから飲みに呼び出すのは良い迷惑ではないだろうか。親しき中にも礼儀ありという言葉がある、まさにこのシチュエーションにぴったりだ。
「だから分かってないって言ったのよ。ま、夜のラウラに会ってみれば分かるわ」
そう言うと、メイベルはさっさと行ってしまう。
彼女が返事を待たないのはいつもの事だ。いい加減慣れてきたあなたも後を追った。
◇ ◇ ◇
ややあって、ラウラの道具屋の前にあなた達は立っていた。
手元の懐中時計ではもう午後九時を回っている事もあり、店の明かりは消えている。この時間に開いているのは酒場か宿屋、いかがわしい店ぐらいだ。
やっぱりやめた方が良い、とあなたがメイベルを説得しようとしたその時だった。
メイベルが店の扉を激しく叩き、ラウラの名を叫び始めたのだ。
叩く、という表現では生易しいだろう。それは殴打に近く、もっと言えば借金取りが近い。そうこうしている間にも彼女はヒートアップし、蹴りが混じり始めた。
いい近所迷惑だ。世紀末の住民であるあなたの方が常識を持ち合わせているとは一体どういう事だろう。
真剣にこの世界の行く末が心配になってきた所で、あなたはメイベルを力尽くで止めようと肩に手を掛けると同時、扉がゆっくりと開いた。
「その叩き方はメイベルだなー?」
扉の叩き方で人を見分けるなど可能なのか。
あなたが乱暴な相棒を抑えようとしている最中、ラウラが顔を覗かせる。
その瞳は焦点が合っておらず、頬も赤らんでいる。
もしかすると風邪を引いているのでは――そう訝しんだあなたは謝罪するためラウラに近づき、そして気付いた。漂うアルコール臭……彼女の吐息に交じる臭いに。
「やってるわね。飲みに行かない?」
「行く! 何が何でも行く! 雨が降ろうと槍が降ろうとも行く!」
だいぶ食い気味に返答したライラが家の中へ引っ込んだ。財布を取りに行ったのだろうが、あちこちにぶつかっているようで重い衝撃音や金属音が響いている。
「ね? これで分かったでしょ。あの子身体の七割が酒で出来てるの」
あなたは理解した。彼女は大酒のみなのだ。多少飲んだだけではあそこまで酒臭くならない。目隠しをしてあの匂いをかげは蒸留所と勘違いしてもおかしくはないだろう。恐らく、常軌を逸した量の酒を飲んだのだ。
これから行く酒場でどれだけ飲み散らかすつもりだろう。あなたはふとメイベルの懐事情が心配になった。
今日は報酬の大部分を貰った事だし、支払いの大部分を持つのが筋だろう。
「言っとくけど、あんたに心配されるほど貧しくないから。それに報酬を多く貰ったからって私に還元する必要も無いわ。あんた、そんなんじゃいつかカモられるわよ」
あなたは反論しようとして、彼女の言うことがあながち間違いでもないと気付いた。
これまでの人生で何度かカモられた経験があるではないか。発覚した瞬間に相手を殺していたので実質的な被害は無いものの、引っかかった事実は変わらない。
この世界――少なくとも、この街では理由があろうとも殺人は罪になるのだ。正当防衛でもない限り、殺人は控えなければならない。
「準備いいよ! 何処行くの!?」
勢いよくラウラが飛び出してくる。最早まっすぐ立っていられないのか、あなたの肩に捕まって家の鍵を閉めようとしているが、近くにいるだけでも酔いそうだ。
鍵穴が沢山あるなどと言い始めたため、見かねてあなたが代わりに鍵を閉めた。
「何処に行けるのよ。出禁になってない所は?」
「んー……目抜き通りの所なら多分、きっと大丈夫」
「あら、家の近くの酒場で出禁になってないの。感心だわ」
「あたしは上客だぞ! 客を出禁にしてしまうような店は潰れてしまえ!」
「はいはい、分かった分かった」
本当にラウラを酒場に連れて行くのか。あなたは戦慄した。
目の前で死なれてはたまったものでは無い。今でなくとも、遅かれ早かれアルコールの過剰摂取で死ぬだろう。彼女が向かうべきは酒場では無く、病院だ。
案ずるあなたの耳元へ、ラウラを担ぐメイベルが囁いた。
「ラウラは心配無用よ。そういう人種なの。比喩的な意味じゃなく、本質的に、ね」
本質の意味を考えるあなたに、更に付け加えられる。
「田舎者砂の民は知らないかもだけど、この世界には色んな人種がいるのよ」
それはあなたの世界で言う人種、白人や黒人、黄色人種の枠組みでは無く、もっと別の次元。
あなたが知る所のメタヒューマンに近い所だと理解した。ここはおとぎ話のような世界だ。噂に聞くエルフやオークがいても可笑しくないではないか、と。
◇ ◇ ◇
ラウラの道具屋から通りを二つ渡った所に、その酒場はあった。
光る何かが閉じ込められた――メイベル曰く魔石らしい――街灯によって煌々と照らされ、人々の喧騒と様々な食物の香りで満たされている。
時折何人かの憲兵が慌ただしく駆け回っている様子を見るに、ここも繁華街の例に漏れず治安はあまり良くなさそうだ。
その一角、一際輝く場所にその酒場は居を構えていた。オープンテラスの手すりは朽ち、一人の男が力なく引っかかっている。まるでウェイストランドのようだな、とあなたは思った。
そんな一見して近づきにくい店内にメイベルとラウラは物怖じせずに踏み込む。
「あたしが来たぞぉ!」
ラウラがそう叫ぶと、誰もが振り返り一様に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
ひそひそと何かを話し、席を立つ者も何人か見られる。上客が来たにしては微妙な反応だ。まあ、酔っ払いの発言はトイレの落書き同然ではあるが。
千鳥足でカウンターへ向かうラウラ。丁度良く両隣の席が空いたので、あなた達も腰掛けた。ラウラを中心とする席順。もし彼女が絡み酒なら最悪のフォーメーションだ。
「“最高の密造酒”をボトルで! あとグラス三つ! みんな飲むでしょ!?」
「飲むけどさ、もう少し声量落としてくれる? めちゃうるさい」
「ええ!? なんだって!?」
聞こえないのは自分の声が喧しいからなのだが、ラウラがその事実に気付く日はまだ先だ。
手書きのラベルが張られた透明な液体が入ったボトルと三つのショットグラスが並べられる。こうも堂々と密造酒を販売する根性にあなたは驚きを隠せない。これは飲んで問題ないのだろうか? メチルアルコールだって言いようによればアルコールだ。
「馬鹿ね、ただの商品名よ」
「さあ飲んだ飲んだ!」
あなたの世界で言うムーンシャインに近い物なのだろう。
有無を言わさずなみなみと注がれたショットグラスを手に取り、意を決して飲み干した。
喉の痛みと強烈なアルコール臭が競り上がる。ベレズニキの蒸留酒とはまるで違う、これは酔う為の酒だ。
あなたとメイベルは一杯でノックアウト寸前だが、ラウラは意に介さず次々とグラスに注いでいる。
止めようにもそれ以上の量を彼女は飲んでいるのだ。一方的に進める類の絡み方でないため尚更質が悪い。
「ちょっと待って、私何も食べてないの。何かお腹に入れたいんだけど」
「お酒入れてるじゃん」
「話が通じてないと思うんだけど」
「お、結構いけるクチじゃん。どれ、とっておきを注いでやろう」
ラウラが複数の酒を注文し、それらを少しずつ大きなグラスに混ぜ始めた。
最初は透明だった液体はみるみるうちに色を変え、最終的には泡立ち光り輝く虹色の液体になった。見栄えはいいが、何処と無く不気味だ。
冷静に考えれば酒を混ぜただけで虹色の発光飲料が出来る訳がないのだが、今のあなたにまともな思考力は期待できない。
あなたは何の疑問も抱かず、純粋な好奇心に駆られてそれを飲み干した。
瞬間、あなたの脳内に衝撃が走る。視界がぐるぐると回り、味覚は次々と襲う味の津波を処理できていない。脊髄を引っ張られているような――砂糖を一掴み口に含み、後頭部をバットで殴られたかのような感覚だ。
騒ぎ立てるラウラの声と処理を一人に任され絶望するメイベルの表情が遠ざかる。
あなたは必死に足掻いたが、ついに意識を失った。
翌日、あなたが酷い二日酔いに苛まれた事は言うまでもない。
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