5.「旅立ち」

 あの後どうやって村まで戻ったのか、あなたはよく覚えていない。


 目を覚ましたあなたの視界に飛び込んで来たのは、カレンの家の天井と、幾重にも包帯が巻き付けられた右腕だった。


 多量の出血と鎮痛剤で重い身体を引きずり、ベッドを抜け出して扉の外へと向かう。自分が、村がどうなったのか知るために。


 外へ踏み出したあなたを襲ったのは、轟くような歓声と祝福だった。訳の分からない内に村人たちにもみくちゃにされ、広場の中央へと担ぎ出されていく。


 まるで処刑場へ連れていかれる暴君みたいだな、とあなたは思った。


 瞬く間にあなたは広場の中心へと連れ出され、四方八方からショットグラスが差し出された。とろりとした、水のような液体がなみなみと注がれている。負傷した直後の飲酒は避けたいが――仕方なく、あなたは差し出された酒を片っ端から飲み干す。


 口に含んだだけでは何ともなく、喉を通した瞬間、熱湯を飲み下したような熱さが。しかしウェイストランドの酒に見られる下品なアルコール臭は無く、上品で清らかな味わいと、最後に柑橘類の豊かな香りとふくよかな甘みに包まれる。


 出来の良い酒だが、調子に乗って飲みすぎたせいで喉よりも右腕が熱を持ってきた。包帯を巻かれた右腕に目をやると、少しづつ赤い部分が増えてきている。アルコールによって血圧が上がり、結果として出血が増えたのだ。


 あなたが自分の行いを反省していると、不意に視線を感じた。既にたくさんの農民の視線を浴びているが、それとは違う、不穏なものだ。


 視線を慎重に辿ると、その主はフェンリルだった。正確には生首の、だが。


 西の森から持ち帰ったフェンリルの生首は切り株の上に鎮座し、死して尚怨嗟の眼差しをあなたに向けていた。どうやらこの騒ぎはあなたの功績を称える祭りのようだ。


 それはまるであなたが望んだ感謝祭のようで――この一晩であなたは村の英雄になった。


◇ ◇ ◇


 宣言通り、カレンは馬を駆って王都へと旅立った。別れを惜しむ村人たちの姿と、カレンの母の表情――娘の成長を喜ぶと同時に、自分の元から巣立っていく悲しみ、不安を内包した感情をあなたは忘れないだろう。ウェイストランドではどうあっても見られないものだ。


 カレンの飛び立ちと同じ日に、あなたも村を発つ事にした。王都の方向ではなく、その真逆へ。地図も無い行き当たりばったりの旅だが、それはそれで趣があるだろう。地図があれば、もっと心強いが。


「本当にもう行くの? 傷も治ってないのに」


 カレンの母の問いに、あなたは無言で力強く頷いた。確かに傷は完治していないが、高い治癒能力に支えられ既に出血は止まっている。直に薄皮が張るだろう。


「まあ、人の話を聞かないってのは分かってたけどね。これ、少ないけど持っていって」


 小さな巾着袋が手渡される。その重みと手触りから大体の察しはついていたが、中身を確認する。予想通り、硬貨が入っていた。銅貨が多いが、時折銀貨の姿も見える。


「村の皆の気持ちよ、フェンリル殺しの英雄には少ないでしょうけど」


 大事なのは中身ではなく気持ちだと、あなたは考えている。大切に使わせてもらう、と巾着袋を懐へ仕舞った。この世界の物価や硬貨の価値は知らないが、必ずやこれからの旅の大きな助けになるだろう。そうあなたは確信した。


 装備を整え、トレンチコートへ袖を通す。ブラスターガン、ナイフにも問題は無い。


 さあ、旅の始まりだ。


◇ ◇ ◇


 村を出る際にももみくちゃにされ、やはりそれなりの量の酒を飲まされた。思っていたよりずっとこの村の人々は酒や騒ぎが好きなのだろう。


 『今度生まれる子供が男ならお前の名前を付ける』などと言っていた男もいたが、酔っていたのか、本気だったのか……あなたには知る由もない。


 幸いにも天候に恵まれ、幸先の良いスタートだ。雲一つない晴れ渡った空は遥か遠くまで見渡す事が出来るだろう。地図を持たないあなたには、視界だけが頼りなのだから。


 王都と逆方向へ進む以外の目的を持たない旅なので、取り敢えずあなたは眼の前に延びる道を歩く事にした。広大な草原を貫く一本の道。交通の要所なのか、人の足跡や馬の蹄の跡が多く見られる。


 そのうち、道の端に立つ一本の看板を見つけた。あなたが進んで来た方向を指す矢印と、“この先、ベレズニキ”と書かれている……あの村の名前だろうか。


「やあ、そこの方!」


 不意に声を掛けられ勢いよく振り向く。そこには大きな荷物を背負った男の姿が。あまりの反応の激しさに、声を掛けた男の方も驚いている。


「すいませんね、どうも驚かせちまったようで」


 全くだ、一歩間違えれば射殺していた。とあなたは心中で思った。足音への反応が遅れたあなたにも非はあるのだが。


「私は行商人をやっているものでして。どうです、何か買いませんか」


 あなたは熟練の旅人であり、サバイバーだ。途中で不足するような荷の組み方はしていないし、不足したとしても現地調達の方法は弁えている……とは言え、この世界に対して無知なあなたが物価を知るにはいい機会だ。


 何を扱っているのか聞くと、商人は喜々として荷を広げ始めた。


「何でもありますとも! 保存食から飲み水、寒さを凌ぐ毛皮に上質な弓矢。旅に彩を加えるならこれはどうでしょう? ベレズニキの最高の蒸留酒です。肴が欲しければアルハンスクで干されたばかりの魚もありますよ」


 ベレズニキの蒸留酒と言えば、今まであなたが散々呑んできたあの酒の事だろう。確かに良い酒だが、餞別に瓶を一本貰っている。しばらくは困らない筈だ。


 それよりも、あなたはアルハンスクという言葉が気になった。聞く限り地名に思えるが、何処にあるのだろう?


「アルハンスクはこの道をずっと行った先、森を抜けた更に向こうの港町です。芸術と美食の都と言われていましてね、苦労して行くだけの価値はあるでしょう。特にこの季節は花が綺麗でして……まあ私は花など殆ど知りませんが、綺麗だって事ぐらい分かります」


 成程、道理で魚か。その上芸術と美食の都という響きも素晴らしい。どちらもウェイストランドには無いものだ。人の死体で前衛的オブジェを組み上げる行為は、一般的に芸術では無く猟奇と呼ぶ。


 あなたは干し魚を一匹買うと決めた。アルハンスクへの興味と、通貨の価値を知るためだ。


「おや、旅人だとは思っていましたが、随分と遠くから来られたようで。金も分からないとなれば大陸の向こうですか。いいでしょう、お教えしますとも」


 商人は三枚の硬貨を地面に並べた。それぞれ銅貨、銀貨、金貨の順だ。


「これらはクロナと言います、硬貨の名前です。銅、銀、金の順に価値が高く、それぞれ十、五〇、百の価値があり……これが補助通貨。銅貨に穴が開いていますね、一の価値があります。ね、簡単でしょう?」


 穴が開いた銅貨は初見だったが、少なくとも弾丸を使うよりは簡単そうだ。弾丸を用いた取引は煩雑で、設備と薬莢、火薬などが揃っていれば容易に手詰め弾ハンドロードを制作できてしまう。これは通貨を各個人が製造できるという事実を意味し、突如価値が大きく変動する事も珍しくない。


 力ある何かがその価値を保証し、秩序が一定の水準で保たれているのなら通貨という仕組みは合理的だ。


 干し魚の価格は一二クロナらしい。あなたは銅貨を二枚渡し、八枚の補助通貨を受け取った。


「どうも、どうも……旅人さん、ついでに地図もどうですか。この辺りしか書かれていない地図ですが、お安くしときますよ」


 商人が一枚の四つ折りにされた紙を差し出す。広げると、そこには手書きで付近の地形が書き込まれている。上はベレズニキから、下はアルハンスクまで。

 確かに小さな地図だが、迷わずに歩けると考えれば買って損は無いだろう。


「地図は貴重な物ですが……我々の出会いを祝し、五クロナにしておきましょう」


 先程のお釣りで払える額だ。騙されている可能性も排除できないが……それならそれで、再開した時に殺せばよい。復讐は冷やして食う方が旨いのだ。


 五クロナを渡し、四つ折りの地図を懐へ納める。商人はにこやかに礼を言って去っていった。


 地図が示す通り、道は森の奥へと続いている。


◇ ◇ ◇


 森に入っておよそ三時間、歩けど歩けど景色は変わらない。道が続いているのだけが救いだろうか。朝方に村を出たが、今は太陽が真上にある。丁度昼時だ。適当な切り株に腰を下ろし、買ったばかりの干し魚でも食べようとバックパックを開いたその時だった。


 森の奥、獣の声や木々の騒めきに混ざり、時折金属音や爆発音が聞こえる。どう考えたって、自然が発する音では無い。あなたは興味を引かれ、音のする方へと歩みを進めた。


 恐らくは人間や魔物が刃を交えているのだろうが、上手くいけば戦利品を拝借出来るかもしれない。漁夫の利は良き旅の友だ。


 音の大きさからもっと遠くだと考えていたが木々が音を吸収していたようで、実際の所はあなたが昼食を食べようとしていた場所からそう離れてはいなかった。


 姿勢を低く、草木に姿を隠しながら接近する。予想通り、一人の人間と何人かの集団が戦っていた。ただ一つ、予想と違っていたのは、襲われている一人が杖を振りかざす度、エネルギー弾のような何かが撃ちだされていた事だ。


 まるであなたのブラスターガンのようだが、その杖に機械的な機構は見られない。外見上何の変哲もない木の杖に見える。いや、もしやあれは神秘的な物体なのでは。あなたは訝しむ。


 青白いエネルギー弾が撃ちだされる度、杖の先端に取り付けられた青い宝石のような物が淡い光を発している。おまけに若干の追尾機能もあるらしく、背を向けて逃げ出した男を追い、その背を捉えた途端に暴力的な光を発して上半身に大穴を開けたではないか。


 あれは魔術なのだろうか。あなたが村で受けた老婆の魔術が防御だとすれば、あれは攻撃だ。俄然興味を引かれ、あなたは一人の方に加勢を決めた。


 ブラスターガンを抜き、次々と獲物を撃ち抜いていく。寸前まであなたの存在に気付く者は無く、まるで七面鳥撃ちだ。数秒後、森には静けさと、計四体の死体が転がっていた。


 あなたはブラスターガンを納め、敵意が無いと示しながら近づく。杖を持つ者が顔をすっぽりと隠していたローブを取り払った。男とばかり思っていたが、そこにいたのは少女だ。


「一応、助かったって言っておくわ。私一人でも余裕だったけど」


 明るい亜麻色の短髪に、やや吊り上がった勝気な瞳。不愉快そうな表情を浮かべた少女が、杖を弄びながら言った。


 どう見たって未成年だ。森の中を一人で歩いていたのだろうか。


「一人じゃないわ、仲間はそこに転がってるでしょ。そこと、そこと……ええと、あそこよ」


 少女が指さす先には様々な状態の死体が転がっていた。何れもバリエーション豊かな死にざまを晒しており、薄い皮鎧を身に着けている。


「幾ら安いからってあそこまで雑魚だとは思わなかったわ。何の役にも立たなかったもの」


 聞く話によると、彼らは雇われの護衛だったらしい。腕前については語るまでも無いだろう。


「あんたさっき魔術使わなかった? あ、魔道具なの。まあ良いわ、ちょっと見せてよ」


 ブラスターガンに安全装置を掛けて渡す。指紋認証によりあなた以外が撃つことは出来ないが、そのまま渡すのは良い気分ではない。


 少女は興味深そうにブラスターガンを検めている。


「あんた砂の民でしょ。目は黄色いし、見た事無い魔道具持ってるし。それなら話は早いわ」


 あなたが聞きなれない言葉ばかり出てくるが、少女は一方的に話を進める。


「私はメイベル、旅する魔術探求家よ。アルハンスクまで護衛しなさい。そこで死んでる三人が受け取るはずだった分の報酬をあげる。金貨三枚よ、いい話でしょ」


 アルハンスク――奇しくも、目的地は同じらしい。

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