仕事の後にまた仕事

八木邸に帰ったのは、明け6つの頃であったのだが、律儀に朝餉の支度をする彼女を一人にして置けるはずがなく、手伝いをして居たのだが、


「お、総司、聞いたぜ?

無事筆下ろしが終わったらしいじゃねぇか!」


と、朝にも関わらず、下事情を大きな声で発表する男が憎らしい。しかも、相手の女がいる前で、だ。


「そうなのか?総司おめでとう!」

「いや、めでてぇなぁ。で、どんな女なんだ?」


確かに、この三人のおかげで、多分ちゃんと抱けたのは、確かな事なのだが……。ちらり見る女は、気にする事もなく朝餉の支度をしていくだけ。


「あの、その節は、大変お世話になりましたが、今は、朝餉の手伝いをしてますので、では。」


棒読みで、早口で言い放った沖田は、膳の支度をする為に三馬鹿に背を向ける。


「おいおい。そりゃねぇーぜ?」

「そうだよ。ちょっとぐらい、いいじゃん。」


「どんな子なのか、ちょっとだけ聞きたいんだよ。」


絡まれる沖田は、困惑する。


(そんな事、此処で話せる筈ないじゃない!)


「総ちゃんごめん。ちょっと厠に行ってくる。」


「はい。火、見てますね。」


千夜が居なくなって、深く息を吐き出した。


「あのですね、そういう事聞くのやめてもらっていいです?」


「なんでだよ。聞きてえだろ?普通よ。」


これは、何か言わなきゃ、きっとずっと聞かれるヤツだと、沖田は思う。


「……凄い綺麗な子……だったんです。

胸が、大福みたいに柔らかくて————っ!?」


沖田が固まって、三馬鹿が振り返るとそこには、厠に行った筈の千夜の姿があり、


「……大福?」


完璧に聞かれたそれに、沖田は、石の様に固まっていく。


「どうしたんだよ。千夜。」


「味噌汁に味噌入れてないからって言おうとしただけなんだけど……大福って、なんの話?」


満面の笑みを見せる彼女は、きっと全てを聞いて居ただろう事は、容易に理解出来てしまったのは、彼女の目が笑って居ないからだ。


「まぁいいや。厠いこ。」


立ち去る彼女を視線で追いかけてしまう。

流石に、好物である大福で例えるのは不味かったな。と、反省するも、目の前の三馬鹿は、続きを聞きたいらしく目を輝かせている。


「……もう話したくない……。」


「何でだよ!」と、文句を言う男達。ただ一つ言える事があるとすれば、


「あの子以外、抱きたくないと思ったぐらいに溺れてしまったかもしれない。」


あの嬌声も、身体のくびれも、あの碧い瞳も

桜色の髪も、全てが自分を酔わせていった。身体に触れた指先の場所が今でも熱を帯びている。そして、背中の爪痕は、ヒリヒリと存在感を主張し続けており、あれは夢じゃ無かった事を物語ってくれる。


肩に手を置いて、想いにふける沖田に、三馬鹿は、ニヤリと笑って着物に手をかけた。


「————っ!ちょっと!!」


「うわぁ。こりゃ……。」


背中の爪痕を見て、三人がそれぞれの表情を見せる。


「爪痕を残す女は、独占欲の塊らしいぜ?」


「俺は、違う意味合いの事を聞いた事があるが……。でも、こういうの見ると、羨ましいと思っちまうもんだけどな。」


「ってか、痛そうじゃん!」


藤堂だけが、傷の痛みを心配してくる。


「……あの、もう着ても良いです?」


押さえつけられて居る沖田が口を開けば、男達の手が離れていく。


「行かないで。ていう意味合いもあるらしいがな。」


着物を直す沖田の脳裏に浮かぶ、彼女の寝言。


行かないで。置いてかないで。

一緒に連れて行って、


————コロシテ


「……そういう意味じゃないんで。コレは。」


そう。これは、自分が望んでつけてもらったモノ。意味など無い。


刻んで欲しかったんだ。昨日の思い出を……。ただ、それだけ。



千夜が戻ってきて、朝餉が出来上がり、広間へとお膳を並べたら、いつもの朝餉の時間が始まった。


「……嬢ちゃん?」

「はい?」


声がして、隣を向く千夜は、山崎を映すも、彼の眉にはシワがよったまま。


「食わへんの?」


箸を持ったまま、動きを停止してたらしく、お膳を見つめて、また山崎を見る。


「……食欲無くて、少し寝てきます。」


「待ちぃ。」


立ち上がろうとする千夜を引き止め、額に手をやる山崎だが、

「熱は無いけど……。此処苦しいん?」


と、自分の胸に手をやる。それを見ながらゆっくりと、首を振る。


「ただの寝不足なんですけど……。」


心配させてしまったのは、申し訳ないのだが、単なる寝不足に過ぎない。あの後、短い仮眠をして帰ってきた訳で、一刻も寝て居ないのが現状である。


「に、してもや、顔色が悪すぎるんよ。」


「山崎、悪いが部屋まで連れて行ってもらえるか?俺の部屋でいい。」


「……なんで、よっちゃんの部屋?」


「仕事の話しがあるからだ。」


仕事が終わった後に、また仕事……。


「今度はなんの仕事です?」


「ちと、困った事になってな。」


この男が困る事など、女の事しか無い。過去を振り返っても、頭に浮かぶのはそれだけで、大きな溜息を吐く。


「何だよ。」


頭を押さえた千夜は、ふらりと立ち上がり、

「何でも無いですよ。部屋に行ってます。」


と、一言告げ部屋を出た。



土方の部屋に着けば、敷きっぱなしの布団へと倒れ込み、掛け布団を抱きしめる。


————椿。


あの声が耳から離れない。荒い息をして見下ろす彼。視界に入るリング。鍛え上げられた身体が、今なお鮮明に蘇る。


赤い部屋の中の出来事が、夢でない証は、首筋から胸にかけての赤い華だけで、


「千夜って呼んで貰えばよかったな。」


そして、大福の存在に、着物で隠れた己の胸に視線がいく。


「————大福って褒め言葉?けなされた?どっち?」


誰に聞いて居るのか分からない問いに答えてくれる人など居らず、鼻をかすめる煙管の匂いが、目蓋を閉じさせていく。


引きずり込まれて行く感覚に、どうか悪夢ではありません様にと、なけなしの願いをしてみるも意識が遠くなる方が早かった……。




ゆっくりと撫でられる感覚に、意識を浮上させていく。心地よい大きな手に、ふにゃりと笑った。


「なぁーに、だらしねぇ顔してんだよ。」


頭上から降ってきた声に、目蓋を持ち上げていく。そこに居た色男に急速に意識が覚醒へと導かれ、


「へ?」


「へ?じゃねぇよ。ようやくお目覚めかよ。姫さまは。」


辺りを見渡すと、そこは、土方の部屋で、掛け布団を抱きしめたまま眠ってしまったのだと悟も、彼がようやく。といった意味が分からず、瞬きだけを繰り返す。


「もう昼過ぎだぞ?」


答えをくれた土方に、再び瞬きをする。


「そんなに寝た?」

「ぐっすりだったがな。」


いまだに、掛け布団を抱きしめたままの彼女を見て、


「そんなに俺の匂いとやらが好きか?」


と、問われるも、


「うん。好き。」と、当然の如く言ってのける。


ガシガシと頭を掻く土方。

「寝れねぇのか?」


そんな事を言った覚えもなく、彼を視界に映し込む。


「そんなに寝たか?って聞いただろうが。」


「あぁ。いつも魘されるから。」


真っ直ぐに見据えた彼女の目尻には、涙の跡があり、そっと触れれば、ピクッと肩が揺れる。


「何もしねぇよ。何の夢みんだよ。寝れねぇぐらいなんだろう?」


「————仲間が死んでく夢。」


「……ずっとか?」


「そう。此処にきてからずっと。」


それは、自分でさえも耐えられない。ゆっくり息を吐き出した土方。


「そこで寝れるなら使ってもいい。朝から昼までなら貸してやる。」


「…………どうしたの?」


少し可哀想だと思って提案すれば、これだ。可愛げがない事この上ない。


「どうもしねぇよ。使いたきゃ使え。つったんだよ。」


「ありがとうございます?」


はぁ。


「あ、仕事でしたっけ?」


と、ようやく掛け布団を手放しだ彼女は、土方へと向き合う形で腰を落ち着かせる。


「あぁ。実はな、しつこい女が居てな。」


「……誰に手を出したんですか?」


「商家の女なんだが、一回関係を持ったら、別れないだの煩くて……。」


次第に声が小さくなっていくのは、目の前の女が布団へと逆戻りして行ったからだ。


「聞いてんのか?」


「よっちゃん。それ仕事じゃなくて、私用だからね。別れさせればいいのは分かったんだけどさ、まさか、一人で行けとか言わないよね?」


そのつもりだった土方は、彼女から視線を逸らしていく。


「じゃあ分かった。君菊と逢引に行こうか。」



にこやかにお誘いを受けた訳であるが、いく先は、女と別れるために設けられた席であり、自分の身から出た錆であるものの、避けられるのなら避けて通りたい道である。


隣に歩く女は、昨日視線を浴びた君菊であるものの、昨日の様に煌びやかな感じではなく、可愛らしさを残した彼女は、町中を歩けば男共が振り返り、「君菊や。」と、うわごとの様にくちにする。


「一晩で、有名人じゃねぇか。」

「そら、新人で目引けば、そうなりますわ。」


(それだけじゃねぇと思うがな。)


「土方はん。手繋ぎません?」


可愛らしいお願いに、手を差し出せば、指先だけ握りしめる彼女は、男心をくすぐる天才だ。


「よっちゃん、指先いつも冷たい。」


ぼそっと言った声がして、指先を指で撫でる千夜に、不覚にも胸が高鳴る。


手を握りしめて、行きたくもない甘味処へと足を向ける。


「……なんで甘味処にしたん?」


「いや。他に見世知らねぇし。」


そんな理由だと言えば、溜息を吐かれる。

見世の中に入れば、看板娘のマサが声を掛けてくる。


「土方さん。今日は、可愛らしい子連れてはりますね。」

「あ、あぁ。まぁな。」


そう見えるなら、それでいいか。と、曖昧に返事を返す。


「あの、奥の座敷、空いてるやろか?」


そう聞いた君菊に、マサは驚いた様な顔を見せる。


「この見世、来たことあります?奥に座敷あるなんて、よお知ってますね。土方さんに言った事無かった気しますけど……」



昔常連だったが為に知っていた情報なのだが、忘れてた。まだ文久三年の三月……浪士組は、京に来たばかりという事を


「えっと……あったらいいな。思いまして…。」


苦しい言い訳をする。


「なんか、立て込んだ話しです?」


「まぁ……。」


マサが土方を見てから、千夜を見る。


「三角関係とか?」


この人の性格は、よく知って居る。知りたがりの性格で、世話好きである。


「あの、ご迷惑をお掛けしますが、少し場所貸してもらえますやろか?」


とりあえず、町中でこんな話しが出来るはずもない。場所を提供してくれないと困る訳で頼み込む。


「それは、構いませんけど……。奥の部屋は、今空いてないんです。」


土方と顔を見合わせ、もう、見世の中であるなら何処でもいいとお願いするしか無く、呼んだ女が来るまでの間、茶を飲んで凌ぐだけ。


「やたら人が多い気がするんだが…。」

「そら、君菊言うたら、今、話題の人やし。ね。」


おかわりの茶を運んできたマサがそう言いながら茶を注ぐ。


「……土方はんのせいや。」


頬を膨らませて、そっぽを向く仕草に、男共の視線が集まる訳で、気に入らない土方は、肩に腕を回していく。


「そんなんしても、ウチ怒ってますんや。」


なんにしても気が重いのは確かで、嘘でもこの色男の恋仲を演じなければならず、頬をすり寄せてくる男の心情など、今はどうでも良いのが本音だ。


「んな、怒んなよ。可愛い顔が台無しだ。」


この男、一回豆腐の角に頭ぶつけた方が世のためだ。


「よく、平気な顔して、そんなん言えますね?」

「……お前は、俺をなんだと思ってんだよ。」


「女ったらしの、土方はんやろ?」


「…………。」


笑顔で言われ、何も言い返せない。

足音が近くで止まり、二人が視線を前へと向ける。そこには、狐目の女が立っており、鋭い視線を君菊へと向けていく。


「……土方はん、この人抱いたん?」


お茶を飲みかけた土方がむせて咳をする。狐目の女は、顔を真っ赤に染め上げ視線を逸らした。


「お前なぁ!!言い方ってもんがあんだろ?」


これは、いつも千夜に怒鳴る土方で間違いはなく、視線だけ向けて、黙れとにっこりと笑いかける。


「どうぞ、お座りください。すいません。席、此処しか空いてなくて。」


そう女を座らせれば、マサにお茶をお願いする。


「あの、話あるって……。」


と、視線は、無論の事土方に向けられる訳で、女に視線を合わせない彼は、視線を泳がせる。


「すいません。話あったのは、私なんですけど。」


ちょうどマサが茶を持ってきて置いた瞬間、


「単刀直入にいいますわ。

土方はんと、別れて欲しいんですけど。」


彼女は、今まで可愛らしい君菊であったのに、一瞬にして、男を寝取られた女へと変貌を遂げる。マサがゴクリと唾を飲み込む程、彼女の視線は鋭さを増していった。

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