胸の痛み
沖田のおかげで風呂の話しも、裸の話しも何処かに消えた。ただ、千夜には目の前のお膳と戦う事のみが残された課題となる。
「嬢ちゃん、全然食うてへんやん。」
千夜のお膳の上に残された半分も食べきれない食材達。今までは、体調が悪くて言い訳も出来たものの、今の自分は健康体である。
食わず嫌いという訳でもなく、ただ単に食が細く、いっぺんに食べられないという体質の問題であるのだが、こういった集団の中で食べる食事では、更に箸が進まないのは困ったもので、声を掛けてきた山崎へ視線を向ける。
「なんや?」
「あの……。」
出来れば食べてはくれないだろうか?と口を開こうとすれば、近くに感じる人の気配にそちらへと視線を向ければ、今日は話したくはないと思った人物がそこに居り、
「お前、その食が細いのは昔からか?」
そう聞いてくるものだから「そうです。」と言うしかない。
切れ長に美男子は、ジッと自分を見つめてくるのは居心地が悪い。しかも相手は立ったままであり、自分は座っている状態で、見下されてる感は半端ない。
「いっぺん、医者行った方がいいんじゃねぇか?昨日も胸、押さえてただろう?」
「……。」
まさか、気付かれてるとは思わず視線を彷徨わせる。
「いえ。大丈夫です。」
原因は、自分でも分かっている。薬もある。医者にかかった所で、この時代の医者など意味を為さない事も知っている。
過呼吸症候群。
何らかの原因で呼吸を必要以上に行うことがきっかけとなり発症。パニック障害などの患者に多くみられ、運動直後や過度の不安や緊張などから引き起こされる病。
それが自分の病名だ。
(とりあえず、ご飯を食べなきゃ疑われる。)
そう思えば思う程、箸が動かない。
「嬢ちゃん、心の病と違う?」
そんな関西弁を話す男の声が、広間に響く。
医術を学んだ観察方・山崎が朝餉を食べ終え呑気に手を合わせて「ご馳走さま。」を言った後に視線を千夜に向けた。
「……違います。」
皆の視線が痛い。
息が荒くなっていく感覚に、その場から逃げ出したくなる。
「すいません。部屋に戻ります。」
「今立ったら、どうなるかぐらい分かっとるやろ。」
その言葉に動けなくなる。
次第に息苦しくなってきて、隠しきれないぐらいの息遣いに変わっていく。
「……っ。はぁ……っ。はぁ……。」
「千夜さん?」
「大丈夫……です。死ぬ病気じゃないですから。薬もありますし。」
ただ、死ぬかもしれないと思うほどに心臓が痛む事が有るだけ。
懐から薬を取り出し口に放り投げる。お茶を取ろうとすれば、土方が差し出してくれて口にした。
ただ痛みに耐えればいいだけ。畳の網目をじっと見つめる様に過ぎ去る筈の痛みをどうにかやり過ごそうとするも、今日に限っては痛みが中々引いていかない。奥歯を噛み締める。
「山崎、お膳俺の部屋に持ってこい。」
土方の声がしたかと思えば、両脇に温もりを感じ、すぐに浮遊感が千夜を襲う。
「————っ!よ、ちゃ……」
「暴れんじゃねぇぞ。」
そう釘を刺した土方に担がれてると気付いたのは、この時だ。
暴れる事すら出来ず、土方の肩に顔を埋める。荒い息をする女を連れ、土方は自室へと戻っていく。
「沖田さん。」
「はい。」
「最近、夜中に、嬢ちゃん起きとる事ない?」
確かに、喘息の時も昨日の夜も夜中に起きてる事は多かった。
「そうですね。千夜さん、此処に来てから夜中に起きてる事が確かにありました。」
思い返しながら話す沖田に、
「咳とか後、魘されてる事もありました…」
夜中に呼ぶんだ。"総ちゃん"って。行かないで。一人にしないで。
————私も連れて行って。
……コロシテ。
心の病だと言われたら、何処か納得している自分が居るのは確かな事。ご飯を食べる量も病だからなのか少なすぎる事にも気付いていた。だけど、あの吐いた日は、少し無理をさせて食べさせた記憶がある。「もう少しだけ食べましょう?」そう言って……
「沖田さんも寝た方がえぇで?目の下クマ拵えてはるわ。」
「……あ、はい。分かりました。」
そう答えるも視線は、土方が彼女と出て行った襖へと向けられる。
山崎は、彼女のお膳を持って土方の部屋へと消えていく。
満たされない。モヤモヤとするこの感情。
土方が抱き上げた瞬間、芽生えたのは嫉妬というドロドロとした感情だった。
————触るな。
確かに自分は、そう思ったのだ。
(……好き。なんだろうな。多分。)
そんな事を思いながら、彼女が作った手料理を食べる。今まで、とりあえず口に入れ込んで片付けた朝餉。今日は違った。
手を合わせて感謝したくなる。
「ご馳走さまでした。」
美味しかった。彼女の作ってくれた朝餉は、江戸の味。心があったかくなる。それはまるで、彼女の笑顔の様にも感じた。
***
「……う……っ……。」
「ったく。何で我慢すんだよ。痛えなら、痛えって言えば良いだろうがっ!」
「だから、いつもは……すぐに収まるんだって。」
薬を飲んだのに、いまだに、それは効いてこない。
「病気なら、病気って言わなきゃ分からねぇだろうがっ!」
「……胸痛いって言ったら騒ぐでしょ!」
ただでさえ、拷問した後ですら罪悪感に潰されそうになってる人も居るのだ。そんな病だと誰に言えただろうか。
「ふー。……っ。」
呼吸を整え、痛みに耐える。
広間に居た時と何ら変わらない。変わった事があるとすれば、此処は土方の部屋で、彼の布団を抱きしめ寝転んでいる事ぐらいだ。
鼻を掠めるのは、懐かしい匂い。
「……よっちゃんの匂いがする。」
落ち着く。小さい時から彼の近くに居た。煙管の匂いも同じだった。
「お前な。そういう事言うと、男は勘違いすんだよ。」
「じゃあ、何で言ったらいいの?」
そう真顔で聞かれたら、土方とて困る訳で、
受け答えする彼女の呼吸は、落ち着きを見せる。
「少しは落ち着いたみてぇだな。」
「……あ、本当だ。」
呼吸が楽だ。薬が効いてきた所為か、匂いに落ち着いたのか。
「で、共に生きるっつうのは、どう言う意味合いだ?」
この前聞いてきた話しの途中か。と、千夜は、落ち着いてきた胸の痛みを確認し、襟元を直す。痛みに鷲掴みした着物は、少しばかり見栄えが悪い。手で払いながらシワを伸ばし、口を開いた。
「言われた私に聞くんですか?
本当の意味は、知りませんけど、多分————離すつもりはない。って意味合いだったんだと思いますよ。」
真顔でそう言った彼女。
それを男に言わすだけの魅力を彼女は持っているという事なのだろう。
ただ、それを言ったのは自分と同じ性格の同じ名前の人物で、
「どんだけ惚れたら、そんな言葉を言えるんだろうな。そんな小っ恥ずかしい事、口にも出来ねぇ。」
「……へぇ。女に本気になった事無いんですか。」
彼の口調から、それを悟る。
「ねぇな。なる必要もねぇ。」
「冷たいね。女を抱く時は、甘い言葉を囁く癖に。」
何でテメェがそんな事知ってんだよ。と、顔に書いたままに向けられる視線に、どうにも笑いが込み上げてきてしまう。
「そっか。だから貴方は、バラガキのままなんだ。」
クスクス笑う女を睨み付けるも、その鋭い視線は意味を為してはくれず、尚も女は笑い続ける。
バラガキは、「触ると痛いイバラのような乱暴な少年」だと言う意味だ。幼少期に付けられたあだ名などで呼ばれる事も無くなった訳で、
「どれだけ俺の事を知ってんだよ。」
「だって、よっちゃんが奉仕先から帰って来て直ぐぐらいに出会ったから……。」
「17の時の事だぞ?それ。」
「そう。私、5、6歳だった。」
その女に惚れ、共に生きると誓った自分に会えるものなら会ってみたい。そして、一発ぐらい殴ってやりたいと土方は思うのだ。
「……正気の沙汰じゃねぇ。」
「ちなみに、言われたのは、13の時だった。」
頭を抱える土方は、もう一人の自分が憎らしくて仕方ない。
「よっちゃん、すごい過保護だったから、今ぐらいが丁度いいかも。」
そう言って笑う顔は、可愛らしい、ごく普通の女子と変わらないが、それが恋になり、誓えるまでの期間になったまでにかなり掛かっただろうとは思うものの、自分が目の前の女を好きになる事など考えられる訳もなく、再び土方は息を吐き出す。
「あ、よっちゃん。ありがとうね。」
突然、礼を述べるものだから
「あ?」
何の事だ?と、変な声が出る。
「私を広間から連れ出してくれて。
おかげで、胸痛いの治ったよ。だから、
ありがとう。」
眩しいくらいの笑顔に、不覚にも胸が跳ねた。普通の女子とは違う髪色、瞳。それに対しては、邪な想いは、確かにあった。
それは単なる好奇心というもので、抱いてみたい。と思うのは、男の性というものだ。
その後、山崎がお膳を持ってきて、千夜は、少しずつ飯を食うも、やはり、そんなに量は食べられなかった。
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