誰一人として女を引き取ると名乗り出る者は居なかった。しかし、このままにしておく訳にはいかない事は、誰もが思っている事である。


治療を受け、褥に眠る女。


誰かが名乗り出るのを待つかの様に沈黙が部屋を支配する。

小鳥の囀りが外から聞こえる中、深く息を吐き出した男が口を開いた。


「此処は、八木さんに頼んで部屋を一つ貸してもらうのはどうだろうか?」


提案したのは近藤である。

「何処に余ってる部屋があんだよ。」


総勢15名が現在八木邸に寝泊まりしている状態だ。雑魚寝状態の者もいるなか、女1人優遇出来る筈もない。


「だが、歳。」


自分達が傷つけてしまった女をこのままにしておく訳にはいかない。困り声の近藤に弱い土方は、やれやれと肩を落とす。


「分かった。なら俺の部屋で、、、

「————ダメです。」


咄嗟に口が滑った沖田であるも、目の前の男は、女ったらしの土方である。ダメという気持ちも頷けた。


名乗り出た男は、不敵な笑みを浮かべ、

「総司の部屋ならいいんじゃねぇか。」

そんな言葉を言い放つ。


「なんで僕?」


「あぁ。そうだな。総司なら大丈夫だろう。」


近藤が言えば押しだまる。


「んじゃ、決まりだな。」


あれよ、あれよと言う間に決まって、文句を言おうとした沖田だったが、


「総司、頼んだぞ。」


と、近藤が言えば「はい!」と、喜んで返事をしてしまった。取り残された、桜色の髪の女と沖田は


「………。嘘でしょ?」


とりあえず、任されたからには運ばなきゃ…。そう思った時、スッと襖が開きヒョコッと顔を覗かせた藤堂


「総司一人じゃ大変だろ?部屋に布団敷いとくよ。」


「あー。ありがとう。平助。」


出来れば、この子も連れて行って欲しかった。なんて思う。


一足先に行ってしまった藤堂。


「よいしょ。」と、彼女を抱き上げれば思った以上に軽くて驚いた。少し呼吸が荒い彼女を抱き上げ、自室へと向かったのだった。


――布団敷いといてくれるって言ったけど


「一組だけ敷いてるって、どういう事?」


なんかの嫌がらせ?と思いながらも、彼女を寝かし桶を手に、水を汲みに井戸へと向かったのだった。中庭を、桶を持って歩く。小石が音を立てる足音を聞きながら、井戸へと足を進める。ふと、疑問がうかんだ。


「……異人…なのかな?彼女。通じる言葉を話してたけど……。」


噂に聞く異人は、恐ろしい顔をしてるって聞いた事があった。だが、彼女はそんな風には見えなかった。


水を汲み上げ、桶に水を入れ部屋に戻れば、彼女は荒い息を立て居て、固く絞った手拭いを白い肌の額へと置いた。


「……苦しそう、だな。」


文句の一つ言えば良かったのに、彼女は言わなかった。あんな酷い事をしたのに…、彼女の願いは、「浪士組の加入」それだけだった。


沖田は、自分の布団を敷き横になる。


「……顔、殴っちゃったのに……。」


殴った時、あの碧い瞳が悲しげに揺れるのを思い出し沖田は視線を彼女へと向ける。右の頬は、間違いなく自分が殴ってしまった跡で、その頬は、赤く腫れていた。


懐から手拭いを取り出し、濡らしたそれを右の頬に優しく置いた。


「…………。」


しばらく見つめた後、沖田は布団へと転がった。だが、すでに辺りは明るくて寝付けず、ただ目を閉じたまま眠りが来るのを待っていたのだが、なかなか睡魔が来てくれず、隣の女を見つめてから息を吐き出した。


そんなに神経質な性格では無かった筈なのに……。


「……ん……っ。」


ゆっくり開く目蓋。そこから覗く碧い瞳が辺りを彷徨い、沖田と視線が交わった。


「あ、目が覚めました?」


顔を顰めながら起き上がった千夜と名乗った彼女は、辺りを見渡した後沖田へと再び視線を向けた。


「此処、総ちゃんの部屋?」

「…………総ちゃんって…。」


何だか子供扱いされてる様で困惑する。


「えっと…。僕の名前は、沖田総司です。」


「知ってます。私の話を信じてない事も、知ってます。」


彼女の話を信じて居ないのは、僕だけでは無く、聞いてた皆が信じては居なかっただろう。


「そして今、こういう話しをして貴方が困ってる事も分かってます。」


彼女が嘘を吐いてる様には見えないのに、話を信じてあげられない。それは、彼女の話す内容が、現実には有り得ない話だからで、


「…………。」


彼女の容姿すら、現実をかけ離れた姿。ただ、化け物だとか、そういう風には全く思わなかった。


「自分自身、まだ信じられなくて……、それでも私は、――――幕末に帰ってきたかったんです。貴方達に会いたかった……。」


眉を寄せた彼女が、綺麗な碧い瞳から涙を流す。白い肌を一筋に落ちる雫は、朝日に照らされて、ぽとりぽとりと布団へと落ちて行く。


「……あの、泣かないでください。」


手拭いは、さっき使ってしまって、懐にあるのは、懐紙だけ。少し硬い懐紙で申し訳無さそうに柔らかな肌に流れる涙を拭いた。


ただ可哀想だと思ったから、そうしただけ。他意は、全くなかった。


「ありがとう。」


そう言って笑った彼女。


――――僕たちは、

彼女に笑いかけて感謝される様な事は、何一つしていない。


ただ、涙を拭いただけで、喜びを頬に浮かべる彼女にチクリと胸が痛んだ。


「――――っ。いえ。

もしかしたら熱が出てしまうかもしれないので、寝た方がいいかと。どこか痛い様なら山崎君に薬を貰ってきましょうか?」


何かを誤魔化すかの様に、早口で話す沖田を見ながら、千夜はクスッと笑った。


「甘味、好きです?」


突然そんな事を聞いた彼女に、


「好きですよ?何でです?」


疑問も抱かず答えたら、


「かすていら、食べたくありません?」


そんな答えが返ってきた。

沖田の喉が上下する。かすていらは、南蛮菓子。とても高価な菓子で甘味好きの沖田でさえ、食べた事が無かった。一度でいいから口にしてみたい。そう思っていた菓子の名をあげられ、無意識に彼女の次の言葉を待っていた。


その様子は、犬が待て。をしている様で可愛らしく思えてしまい、千夜は、クスッと笑う。


「お願いしたい事があるんです。」


そう言った後、彼女が言った頼み事を沖田は聞いてしまった。



陽が高くなった頃、沖田は壬生寺へと足を運んでいた。


「壬生寺に荷物取りに行くぐらい、どうって事無いけど、黒光りした不思議な箱は……。」


彼女の言った"黒光りした不思議な箱"それを持って帰るのが任務。報酬は、かすていら。やらない理由が、まず無かった。


辺りを探す沖田の目に、彼女に言われた物が映る。

「あった。あった。」

そう言いながら沖田は、それを持ち帰った。


部屋に戻れば、彼女は、出て行った時と同じ体勢で、


「横になってくれても良かったんですよ?」


そんな声を上げてしまうほどに千夜は苦しそうだった。「大丈夫です。」と言いながら、黒光りした箱を開けていき、中から出てきた報酬に、沖田は嬉しそうな顔を隠す事なくそれを受け取った。


木の箱に入った、かすていら。それは大層高そうで、


「あの、これ本当に、その荷物持ってきただけの報酬でいいんですか?」


千夜は、その言葉にキョトンとした。まさか、そんな事を言われるとは思わず、苦笑する。


望みなど沢山あった。

だが、目の前の男は、自分が知る沖田総司では無い。


「————いいんです。」


今は、この時代に戻れた事が何より幸せ。




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