第17話

「私、ほとんど学校に行ってないんです」

 灰色の木々から聞こえる蝉時雨の音を切り裂くように、言葉は耳にはっきりと届いた。

「今回は小学校の清掃活動で、知ってる子もたくさんいるから、こんなの、本当は、来たくなかったんですけど」

 涙をこぼしながら口に出す言葉は、途切れ途切れで。聞いているだけで、こっちが身を切られるように辛い。

 僕は返事を返さず、愛想笑いも浮かべず、でも雰囲気がこれ以上重たくならないように、穏やかな雰囲気を心がける。

 愚痴をこぼすのは、ただ聞いてほしい時だ。欲しいのは同情でも励ましでもない。

 真剣に言っているのを笑われるのは辛いから。場の雰囲気が重たくなるのは、嫌だから。

 似たような経験はしてきたから、よくわかる。

 静音ちゃんの涙が収まってきた。僕は続きを促さず、彼女が再びしゃべり始めるのをじっと待つ。

「私、ちいさなころから周りの人と話が合わなかったんです」

「一つのことを延々と話すくらい熱中して、こだわりが強くて」

「でもそれがいけないことだって、思えなくて」

「小学二、三年生のころは基本的に一人ぼっちでも、時々話しかけてくれる友達はいました。でもある日、急に私を遠巻きにしてひそひそ話をしはじめたんです」

きっかけは、ささいなすれ違いだったらしい。 

 彼女が言ったことが違うように受け取られて、腹を立てた友達(といっていいのか)がさらに悪意に解釈して別の子に話して。

 気がついた時には、彼女はすっかり悪者で、クラス内で孤立していた。

 後はもうどうしようもなかった。

 一度固まった空気とカーストは、滅多なことでは取り返せない。

 彼女も努力した。

 誤解を解こうとしてできるだけ親切に振る舞ったり、先生に相談したりした。でもすべてが無駄で、辛くて辛くて、やがて学校にほとんど行かなくなった。

 そうしたら親に病院に連れていかれたらしい。

「そのお医者さん、好きになれませんでした。なんというか、決まりきった言葉しか返さなくて。人の感じがしない、っていうか」

「あらかじめ言うこと決めてあったんだろうな、っていう感じの質問をして。お母さんにアンケートみたいなものを渡して」

「それを見たらお母さんだけ診察室に呼んで、お母さんが出てくるとなんでか顔が真っ青で足がふらついてたの、よく覚えてます」


『あなた、こころの病気なんですって。でもお薬飲めば抑えられるから、心配しないで』


「聞いてる私が心配になるくらいに震える声でそう言ってました」

「お医者さんは後で私に、家に閉じこもっているのも、気分が落ち込むのも、こだわりが強いのも、病気だって。脳がおかしいみたいなことを言ってました。言い方も、私を見る視線も、みんな嫌な感じでした」

 無茶苦茶な言い方だな…… そんなこと言われたら、下手すればコミュ障やオタクはみんな病気になる。

「薬をもらうんですけど、頭がぼ~っとして、怖くなって。飲みたくないって言ってもお

医者さんの言うことだからって、許してもらえなくて」

「学校に行けるようになったら薬を無理に飲まなくてもいいって、何とかお母さんを説得

して。がんばって行くようになりました」

 ああ、精神科の薬の副作用か。身近にもいたし、ネットニュースで見たこともある。近頃は薬漬けが問題になって、訴訟まで起こってるくらいだし。

「指が変に震えたり、目が上を向いて戻らなくなったりしなかった?」

「え…… すごい、なんでわかるんですか?」

 何気なく漏らした僕の一言に、静音ちゃんが目を見開いた。

「いや、その、聞きかじりの知識だよ」

 正直に言うのがはばかられて、僕は言葉を濁す。

「あと、なんて言えばお医者さんが治ってると思うのか、色々と工夫しました。私が言う特定の言葉に反応してる感じがしたので、喜ぶ言葉を言うように気を付けたら治りはじめたと思い込んだみたいです。おかげでだいぶ薬が減らされました」

「私の状態はほとんど変わってないのに、お医者さんって結構騙されやすいですね」

 普通の人間なら感情を込める場面だろうが、静音ちゃんは医者の様子をデータでも読み上げるように淡々と話す。

 この子にとっては周囲の世界は「情報」でしかないのだろう。

 だから恐ろしいくらいに頭がいいし、だから周りとすれ違う。

「学校は今は休み休みで、何とか行ってるって感じです。でも話す人なんていなくて。運動会の練習なんて、特につらいです」

 体育とか修学旅行とか、人とペアや班を組むことを強制される授業は陰キャにとって地獄だ。

「勉強も学校にほとんど行ってないから、遅れがちで」

「それであの知識?」

「自分の好きなことは、一人で勉強できるので」

 医者を騙せるデータ分析力に、独学であの知識量か…… それは、周囲と話が合わなくて当然だろう。

 こだわりが強いのは病気じゃなく、頭が良すぎるのが原因な気もする。だけど素人で赤の他人の僕が判断していいことじゃないか。

 やがて集合の時間になり、ボランティアで来ている高校生は自主解散、小中学生たちは学年ごと、クラスごとに整列する。沈みゆく茜色の太陽が、陰となる西の山々を黒く染めあげていた。

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