6月
燃えカス
笑うことに疲れた。鏡を見れば鬱陶しいほど見慣れた無様な顔が映る。この顔が四六時中私という人間に引っ付いていると思うと、吐き気すら感じる。
空っぽの脳みそから、愛しい小鳥たちが飛び去る、糞のだけ残して。拭いてもこびりついてとれやしない。
――君を失ってから、私の人生の重みが少しだけ減ったような気がする。
そんな文章の羅列ばかり思い浮かぶけれど、肝心な起承転結やテーマは浮かんでこない。ありきたりで同じような文章ばかりで、正直自分の世界に飽きてきた。昔はパッと思いついた文章で、世界が広がりいくらでも文章が書けたのに。今はもう、何も書けない。自分の世界に酔いしれることが出来ない。書きたいのに書けない。やらなければいけないことに脳が支配されて、創造の世界に旅行することが出来ない。
それはきっと社会の一部を垣間見て、現実を知ってしまったから。小説の世界より魅力的な世界を知ってしまったからだと思う。いつか自分が手に入れたいと思っていた幸せを多少なりとも得て、自分より歳がいくつも離れた大人に内定という形で認められた。過去の当たり前から離れていくこと、それが所謂“成長”というやつだと思っている。
昔から人と感じることや見えること、思うことが違っていた。だから自分だけで世界が成り立つ小説という場所に自分の居場所を見つけた。けれど小説から一歩踏み出せば、誰も私の小説には興味がなさそうで、誰も私に共感してくれる人はいない。書いている時は感じる興奮は、読後感の虚無感をより一層強い物にする。
私はだんだんと小説を書くことに虚しさを覚えた。
でも今となっては分かる、私は小説に人生を捧げるような人間ではないことを。私は小説に対して不勉強で、自慰行為のように自分よがりな作品ばかりを書いていた。だから私は小説の神様には好かれていない。むしろ嫌われていると思う。それでも自分の想いを小説という形で文章にして、時には涙を流して自分の不安と恐怖に打ち勝ってここまで成長してきた。
思春期の多感な時期の私を支えてくれた小説は、私の親友だ。小説と出会えなければ、きっと私は今のように幸せにはなれなかった。
「何をしている時が、一番幸せですか?」
Webで小説を書いている人にそう尋ねて、「小説を書いている時です」と答える人は果たして何人いるだろう?
人生は長いようで短い。そして幸も不幸も怒りも苦しみも喜びも楽しみも、意外とすぐに終わってしまう。中学生の時から小説を書き始め、今年で執筆歴は約10年になる。小説での幸福は終わってしまったんだなぁという直感に、抗う気は一切ない。自分の幸福のためだけに自分の時間を使うことはもう終わり、新たな幸福を探す旅に私は向かうのだ。
私の小説がネットという広大な宇宙に放り出され、私の情熱に燃やされてカスになってしまったけれど、カスの一片を誰かに拾ってもらえるかもしれないことがweb小説のロマンである。
私の人生が後どれほど残されているのかは分からないけれど、どんな時も自分と愛する人のために時と愛と金を惜しみなく活かしていきたいと思う。歳を重ね多くの世界を知ったことで、愛する人が増えていくことがきっと私の幸福なんだと思う。
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