第68話 実は陰で練習している真祖さま

 適当な広場を借りて、私はアイランと対峙した。

 少し興奮している様子の彼女は、「さあ、やるよ」と荒い鼻息を隠さない。


「じゃあ、ルールを決めて――」

「そんなのどうだっていい!」


 言い終えるが早いか、アイランは突進力を活かして肉薄する。体を灰色の瘴気がまとい、両手両足は特に色濃い。

 別に《女神の瞳》を使ってレベルとスキルを見てもいいけれど、エリザより強いこともないだろうし、このままで大丈夫だろう。

 アイランが私の目の前で急ブレーキをかけた。

 爆発的に瘴気が噴出し、一瞬で私を包み込む。

 少し粘度を感じる。

 空間の中で、彼女はぐるんと横に回転する。と同時に、体の側を回ってきた左腕が力任せに私の脇腹にぶつけられた。

 が――


「うっ、かたっ――」


 驚愕に目を見開いたのはアイランだ。表情から察するに私が平然と立っているのがおかしいのだろう。

 まあ、封印のアイテムの数からして、私はすでにおかしい。

 今さら一つ二つおかしいところが増えたくらいで問題はない。

 だいたい、私の両手は塞がっていてガードができないのだ。

 チョコレートクレープを絶対に落とさないように。


「舐めがやって!」


 アイランが眉を吊り上げてその場で逆回転を始める。

 一周、二周。その度に灰色の瘴気が吹き荒れ、彼女の腕に巻きついていく。

 こんな仕様はゲームでは見たことがない。

 とても興味深い。

 私は口をもごもご動かしながら、彼女の回ってきた右腕の一撃を脇腹に受ける。

 どんっ――という鈍い音。

 そして、無表情の私の瞳を睨み、ぎゅうっと引き絞られるアイランの唇。


「これなら!」


 アイランはとんっと大地を蹴って上空に跳んだ。

 そして瘴気を纏ったまま、縦の回転。高飛び込みの選手顔負けの敏捷性だ。

 私は素早く残りのクレープを口に指で押し込み、降ってきたかかとに右手を添えた。

 重力も加わった、さっきより幾分強い衝撃が走り抜け――アイランは私の前で新体操の選手のごとく高く片足を上げて停止していた。


「あんたさぁ……なに?」


 ひどく抽象的な質問だ。

 私は首を傾げて「真祖」と答えた。

 アイランがつばでも吐きそうな勢いで舌打ちを鳴らす。


「ちょっと強いからって、クレープ食べながらとか舐めてんの? 攻撃する素振りくらい見せたら?」


 言い方こわっ。

 エリザさんとは似ても似つかないワイルドさだ。

 妹を名乗るならもう少しぽわぽわしてる感じの方がいいなぁ。

 私もこんな怖い妹ノーサンキューです。


「攻撃していいの?」

「当然。あんたが頑丈なのはわかったけど、まだ負けてないから」


 アイランはそう言って距離を取る。両手を無造作に広げて、「さあ、来なよ」とちょいっと人差し指で挑発する。

 そこまで言われるなら仕方ない。

 私は封印のアイテムを一つずつ外していく。

 その度に体のどこかに熱い何かが流れ、勢いを増していく。

 目の奥にじんわり温かみが満ちた。


「じゃあ、行くよー」


 私が掛け声をかけた時点でアイランの頬は引きつっていた。

 封印のアイテムを外すと、今まで出会った何人かは真っ青になっていたことがある。敏感な人はどこにでもいるのだろう。

 別に全部外さなくてもいいけれど、アイランには早めに見せた方がいい。

 私の勘がそう言っている。

 この負けず嫌いな彼女は、勝てると思われると何度も挑戦をしかけてくるに違いない。

 この一回できっぱり諦めてもらうために、ダックワーズを手に入れるために、一撃で終わらせる。

 日頃の練習の成果を見せてあげよう。


「よっし」


 私はアイランの表情に気づかないフリをしてざっと両足を広げた。

 大地に根を下ろし、ガイアの力を吸い上げ――ってイメージだけね。

 膝に力を込め、上半身をしゃんと立たせ、アイランをきっと睨む。

 まったく意味はないけど、ぱんっと両手を胸の前で合唱。


 ――深く息を吸う。これも意味ないけど。


 ここで『愚者の祝福』を使用。聖属性でも闇属性でも使える回復魔法だ。

 黒い霧が私の体を包みこむ。

 さながら真っ黒なオーラに包まれた悪魔のように見えるだろう。

 私のHPゲージが緑色に変化した。少しも減っていないHPでも、エフェクトだけは働く。 

 すでに実験済みだ。

 見た目は幼女といえど、この異様な雰囲気には気づくだろう。

 鏡の前で何度か練習した無駄なケンカに巻き込まれないための自衛手段なのだ。


「ちょっ――」


 ざりっとつま先を大地にかけた。瞳をかっと開いて『全力』で横に移動する。

 まるで力を解放した――ように見えるように。

 アイランの視界の外に逃れ、姿を消して見せる基本技術。

 さらに反復横跳びの要領で斜め前に瞬時に移動。

 一瞬で距離を詰めてきた!?――感じな気分になるよね。

 狙い通り彼女の顔がぎょっと変わる。

 そこに――


「てへぇい」


 あっ、なんか力の抜けた声になっちゃった。かけ声は練習してなかった……

 いや、気にしちゃダメ。

 もう止められない。全力で小さな拳を打ち抜く。硬直するアイランの顔面に向けて、頑張って背伸びをして――


「ひっ――」


 小さな悲鳴と共に、拳をぴたりと止めた。

 遅れてやってきた突風が、周囲に猛烈な砂塵を巻き上げた。

 ざあっと吹きすさぶ風の中、アイランは時間を止めたように硬直していた。

 私はしてやったりと笑って、彼女の胸に手を当てた。

 はっと気づく彼女に「ちゃんと避けないと」と言った。


「もういいでしょ」


 大人びた声が、勝負の終わりを告げた。ゆっくり近づいてきたエリザだった。彼女は苦笑しながらアイランの肩に手を置いた。


「あなたの負けよ」

「姉さまは……今の見えた?」


 ぽそっと口にした言葉は、険のとれた少女らしい声だった。

 エリザは屈託のない笑みを浮かべて「全然」と答えた。


「こ、こんなやつを……昔、封印したことがあるの?」

「ええ、当時の五柱で協力してね。昔の五柱はみんな私より強かった。でも、封印するので精一杯だった。だから――わかるでしょ?」


 エリザは私をじっと見つめる。


「当時、赤ん坊のリリを相手にしてそれだったんだから。別に恥じる必要はないけど、突っかかっていい相手かは見極めなさい」

「……うん」


 二人の間に微笑ましい空気が流れている。

 大根役者みたいな私の演技も役に立ってくれたみたいで嬉しい。

 でも、たぶんエリザの言う赤ん坊は私じゃないと思うなぁ。

 ちょっと心苦しいなぁ。


「まあ、少しは認めてあげる」


 アイランが気を取り直したように冷ややかな視線を向ける。


「あっ、ども」

「でも、姉さまに手出したら殺すから」

「あっ、うん……」

「ちょっと、姉さまに鍛えてもらったらまた声かけるから」

「え? まだやるの?」


 突っかかっていい相手は選びなさい――ってさっきエリザに言われたよね?

 ていうか、無駄なバトルとか本当無駄なんだけど。


「首を洗って待ってろ」

「えぇ……」


 アイランは少し恥ずかしそうに眉を曲げ、ぶっきらぼうに言う。

 そして、打って変わってぱっと表情を明るく変えてエリザの手を取った。


「行こっ、姉さま! お祭りなんだし、一緒に回ろ」

「ちょっと……私、自分の国の残務処理に行くって言ったでしょ? もう時間だし、アイランに付き合うのはここまでよ」

「そんなぁ……じゃあ、私も一緒に行く!」

「やめてよ。あなたが来たら余計な口出ししてこじれるから」

「そんなことしないよ! 私、大人だし」

「……夜までに戻ってくるから。ね?」

「ほんと? 一緒にバトルゲーム見れる?」

「ええ……たぶん」

「きっとだよ? 転送装置使うから、すぐ帰って来れるよね?」

「転送装置のことは内緒だって言ったでしょ」


 エリザが苦笑いしながらアイランの頭に手を置いた。

 そして、仲いいなぁと見ていた私に向き直る。


「ちょっと離れるけど、もしこの子が悪さをするようなら止めてね。根は悪い子じゃないから」

「うん」

「姉さま……そんなことしないって」


 アイランが唇を尖らせて抗議する。そして、「じゃあ、一人で回ろう」とつぶやきさっと走っていってしまう。

 道中、店の中を覗き込んでは店主に話しかける姿が見える。

 エリザがほっと一息ついた。


「あんな感じの自由な子なの。五柱の中では一番若くて、私に一番懐いてくれた子」

「五柱って言ってもプルルスとは雰囲気違うね」

「さすがに、あれと比べるのは可哀そうよ」


 エリザは上品に口元に手を当てて「ふふ」と忍び笑いを漏らした。


「本当は遊びたいざかりなんだけど、なかなかあの子くらい強くなると釣り合う相手もいなくてね。かと言って、他の五柱は全然相手にしてくれないし、色々刺々しい感じが出ちゃってて……でも根はやさしい子だから、たまに見てもらえると嬉しいわ」

「うん」

「もし悪さをするなら叱ってくれていいし」

「叱る、ね……私って年上キャラじゃないからなぁ」

「年上キャラ?」


 ほおを掻く私に、エリザはきょとんと視線を送る。


「リリはアイランよりずっと年上じゃない」

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えて……うーん、私にとっては悩ましい問題なんだよね。ずっとぶれちゃってて、年下キャラか年上キャラでいくのか……見た目は幼女だしなぁ……」


 眉を寄せて腕組みする私に、エリザは疑問符を浮かべて首を傾げている。

 美しい金髪がさらりと揺れる。

 素が出た表情がとても可愛らしい。


「まあ、今はあんまり深く考えずに、できることはしようってスタイルにしてるの」

「そう。よくわからないけど、面倒は見てくれるってことでしょ? ありがと」


 本当に意味が分かっているのかいないのか、エリザはにっこり笑った。

 ヒュドラを倒して以来、エリザは結構ほんわかキャラになった気がする。最初は厳しい感じだったけれど、元々無理をして作っていたのだろうと思っている。


「じゃあ、私は少し外すから。夜には戻るつもり」

「うん、気をつけて」


 私は、エルフの後ろ姿にひらひらと手を振った。

 そして、見送ってから、はたと気づいた。


 ――あれ? ダックワーズもらってないじゃん、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る