第40話 Made in リリのお店カステラ完成しました!

 馥郁(ふくいく)たる甘い香りが、キッチンに広がっていた。

 目の前には焼き上がりのカステラが置かれ、窯の奥からサラマンダーが可愛らしい声を上げる。


「できました」


 シャロンのほっとしたような声が空中に溶けた。

 ルリィとユミィの顔には疲れが滲み出ている。でもみんな満足そうだ。

 私は小さな一切れを口に放り込み試食。ばっちり、と親指を立てる。

 最後まで協力してくれた恰幅の良いおじさん――ルヴァンさんも、コック帽を脱いで「良かった」と小さく漏らした。

 素人集団に教えるのはとても大変だったと思う。

 火加減だけはサラマンダーが適度に調整してくれるけれど、どの程度が良いかは教えなければならない。

 色々と大変だった。


「本当にありがとうございました」


 私はルヴァンさんに深々とお礼をした。


「楽しかったよ」

「途中あきらめかけてました。満足いくカステラが作れないんじゃないかって」

「でも、リリちゃんはがんばったじゃないか。もちろんシャロンさんたちもね」


 彼はふぅっと胸の中に溜まった息を吐くようにして、視線を巡らせた。

 たった一ヶ月ほどだけど、色々と思うことがあったのかもしれない。


「まさか本当に、ヴァンパイアがお菓子作りを習得するとはね。最初は冗談としか思えなかったよ」

「それは……」


 シャロンが戸惑いの声を上げた。

 けれど、ルヴァンさんは「別に悪い意味じゃないよ」と微笑んだ。


「ヴァンパイアって怖い存在だとばかり思ってたけど――話してみると普通だね。みんなお菓子作りに真剣で、僕らと何も違いはない。せいぜい目が紅いくらいだ」


 ルヴァンさんが、優しい瞳で私を見た。

 何を言いたいのか、自然と伝わってきた。これだけ近くにいるのだから、気づくのは当然だった。


「初めて見た時はただ甘いものが好きな子供だと思っていたけど……一つ聞いていいかい? リリちゃん、君は――」

「はい――ヴァンパイアです。今まで隠しててごめんなさい」


 私は力を制御するアイテムの一つ、聖封のブレスレットを取り外した。

 体を縛られていたような感覚がすうっと消えていく。

 じわりと何かがあふれ出すのを感じた。

 たぶん、青い瞳から紅い瞳に、ヴァンパイアの特徴が出たはずだ。

 その瞳を、ルヴァンさんは納得顔で正面から見つめていた。


「一応、私がシャロンたちの主です」

「もしかして、リリちゃんは、とても高い地位のヴァンパイアなのかい?」

「それは……」


 咄嗟に、口ごもった。

 迷いが頭の中を駆け巡る。事実を知っているのはプルルスの部下たちだけだ。

 純粋な人間で知る人はいない。

 ごまかすのは簡単だ。でも――私はこの人に嘘をつきたくない。

 見返りなく手伝ってくれた彼に。

 甘味の幸せをたくさんの人に分けてあげたいと願う人に。

 ぎゅっと拳を握りしめ、視線に力を込めた。


「私が……私が、真祖と呼ばれるヴァンパイアだからです」


 ルヴァンさんが息を呑んだ。

 訪れたのは長い沈黙だった。

 生まれ変わる前のプルルスが私に言った言葉が脳裏に浮かんだ。

『真祖とは、ヴァンパイアの頂点であり、すべての種族の支配者だった。降臨書という無限の力を操り、新たなモンスターを生み出す、創造神のごとき人物だ。絶対的な強者の支配によって、世界が恐怖する』

 言うべきじゃなかったという後悔が、胸の内を通り抜けた。

 でも、いつまでも隠したままじゃいられない。

 拳が自然と堅くなる。

 クロスフォーのみんなも、降臨書から呼び出したモンスターたちも、全員が口を揃えて私を真祖に間違いないと信じている。

 望む望まないに関係なく、私は――真祖という名前と向き合わなければならない。

 その第一歩がこの瞬間なのだ。


「……真祖? あの伝説の?」

「……たぶん」


 ルヴァンさんは平坦な声で尋ねた。

 私はそっと視線を下げた。

 覚悟はしていても、何と言われるか不安だった。

 でも、すぐにルヴァンさんが忍び笑いを漏らし始めた。

 はっと顔を上げた私に、ルヴァンさんはにこりと微笑んで言った。


「甘党の真祖がいるとは思わなかった」


 言葉に嫌悪感がなかった。認めて、冗談を混ぜたような雰囲気。

 彼の言葉に私の心はじわじわと温かさを感じた。

 プルルスの配下のヴァンパイアだけではなく、純粋な人間に認めてもらえたことが、心のどこかに感じていた重しを軽くした瞬間だった。

 私は、弾むように言った。


「だって、甘いものが大好きだから!」

「そうだね。その気持ちを強く感じたから、僕は協力したくなった。甘い者が好きな人は、もっとたくさんいるはずなんだ。リリちゃん――僕を、ここで雇ってくれないかい?」

「え?」

「僕は、まだまだたくさんの技術を持っている。教えられてないことも多い。ケーキ作りにも協力できる。だから、この店の盛り立て役の一人に加えてほしい」


 ルヴァンさんがコック帽を胸に当てて、頭を下げた。

 私は大慌てで言った。


「お店は!? あのお店はどうするの!?」

「たたんで、こっちに専念したい。きっと役に立つ」


 予想してたのだろう。即答だった。


「わ、私は嬉しいけど。ほんとに?」

「ほんとだとも。またとない機会だと思ってるよ」


 彼の目は本気だった。

 真祖と認めるどころか、力を貸してくれるなんて。

 思ってもみなかった状況に頭がついてこない。

 私はごくんと喉を鳴らして、シャロンと、ルリィとユミィの顔を見回した。

 三人とも首を縦に振っていた。

 私は、おずおずと小さな手を伸ばした。

 ルヴァンさんの大きく皺の入った手が、その手を握り返した。とても分厚く温かかった。


「よろしく、リリ店長」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」


 ルヴァンさんは言葉に詰まる私をじっと観察しながら口端を上げた。

 瞳の奥がじわりと熱を帯びた。

 彼がそっと視線を外して、シャロンに向き直った。


「真祖さまに、ここまで喜んでもらえるのは、世界広しと言えど、僕くらいだろうな」

「その通りでしょうね。でも、そんな真祖であるからこそ、私たちを必要として下さるのです」


 どう反応していいのかわからない私を置き去りに、シャロンがいい雰囲気でまとめてしまう。

 双子のヴァンパイアがくすりと微笑んだ。



 ***



 熱せられた焼きごてが、茶色い表面に押し当てられる。そっと引き上げると、私の顔のイラストが見事にお目見えした。

 甘い香りが漂う中、全員が、わっと歓声をあげた。


「できた!」

「やりましたね、リリ様!」

「これは十分、売り物になるよ」


 シャロンとルヴァンさん、そしてユミィ、ルリィと順に抱き合う。

 少し離れて、クロスフォーのメンバーたちが、ぱちぱちと両手を叩いて祝福してくれている。彼女たちにも材料集めで色々助けてもらった。

 精霊が住むというミルクの川に行ったら、ミルクに流された精霊を助けるはめになったり、羽の生えた卵を網を持って捕まえに行ったら、竜種と出くわして友達になったりと、本当にお世話になった。

 この世界でどれだけお菓子作りがしんどいのか、なぜこんなに高いのか、嫌と言うほど痛感したのだ。

 でも、そんなあらゆる苦悩を乗り越えて、『ちっちゃなケーキ屋さん』のカステラが完成した。


「開店までもう少し。ケーキ作りも順調ですし、何とか間に合いそうですね」


 シャロンが髪に小麦粉をつけた状態で、にっこり笑う。

 この店の一番の立役者は嫌な顔一つせず、最後までがんばってくれた。

 細い指をたおやかに動かし、特製の木箱に詰めていく。

 包装し、リボンで結んで完成だ。同時に焼いたカステラも同じく詰めていく。


「リリ様、どうぞ」

「ありがと。じゃあ、一本はシャロンたちに」

「私たち……ですか?」

「当たり前でしょ? 最初の一本はみんなで味合わないと」


 きょとんと首を傾げたシャロンに、一本をさし出した

 ルヴァンさんが優しい声で「受け取るべきだよ」と彼女を促した。


「ありがとう……ございます、リリ様」

「うん。こちらこそありがとう。でも、シャロンは味見しすぎて、飽きたんじゃない?」

「まったくそんなことはございません」


 シャロンは朗らかに言って、「お仕事が終わったら大事にいただきます」と頭を下げた。


「残りはどうなさるのですか?」

「もちろん、うちのパーティメンバーに一本」


 ミャンが「わかってますわね」としたり顔で頷いた。

 即座にアテルが「あなたは強くなりたくて同行していただけでは」と突っ込むが、ウィミュが「がんばったのはみんな一緒」と良いことを言う。

 私も同感だ。


「残りは……いつもお世話になってる人たちに配ってこようかな」

「私も参ります」


 シャロンが追随したけれど、私は首を横に振った。

 ちょっぴり緊張する場所もあるのだ。


「こういうのは店長の役目だし、一人で行ってくる。みんなは一足先に乾杯でもしておいて」


 私はアイテムボックスに、できたてのカステラを詰め込み、お店を出発した。

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