第15話 のけ者にしようなんて心外よ
「リリ様、ただいま戻りましたー!」
「ごはんも持ってきたよ! お肉の串焼きー、いい匂いだよー」
夕方になり、ようやく二人が戻ってきた。
ウィミュは我慢できなかったようで、口に小ぶりの肉がすでに入っている。
部屋に入ってきたアテルが、こっちを見てぎょっとした顔をした。
私がベッドの上で三角座りしていたので驚いたらしい。
「リリ様、どこか具合が悪いのでしょうか!?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと、失敗しただけ」
「失敗?」
「それより、二人はどこ行ってたの? 朝いなくて驚いたのに」
私はふくれっ面で二人を見た。
アテルとウィミュが顔を見合わせ、にっこり笑った。
「しっかり稼いできました!」
声を揃えてそう言った。
反省の色が見えなくて、ちょっとだけ腹が立った。
こっちはとんでもない事態に巻き込まれていたのに。
二人はそんなことをまったく知らず、自慢げに袋を突き出した。
ジャラリと音が鳴った。お金だろう。
「ウィミュがんばったよ!」
「確かにいい働きでした」
アテルがうんうんと頷くと、ウィミュがちょっと照れたように、はにかんだ。
「どんな仕事をしたの?」
「売り子です。知り合いの果物屋に頼んで雇ってもらいました。私が、お金の計算を。ウィミュが店頭で客引きです」
「果物って高いんだねー」
「高いからなかなか売れないのですが、ウィミュの元気のいい声が、客を引き付けてくれました」
「果物を持って出張にも行ったの!」
「曲芸師のように果物を回すのは感心しませんが、人目は引きましたね」
「みんな、上手って褒めてくれたよ!」
ウィミュにそんな才能があったなんて。
通りを歩きながら果物でジャグリングをしている様子が目に浮かんだ。
「これ、おまけでもらったの。リリが好きかなって」
「これって…」
ウィミュが何を背後に隠しているのか気になっていた。
真っ赤なリンゴだった。
自分の服で優しく吹いて両手で差し出した。
私が大事に受け取ると、ちょっとぬるくなっていた。ずっと大事に運んでくれたんだろう。
「もしかして……リンゴ、嫌い?」
「好きよ。本当にうれしい。ありがとう」
「私の分もどうぞ」
アテルも同じようにリンゴを差し出した。
私は笑顔で受け取った。
「でも、これは二人がもらったものだし、一緒に食べましょう」
「では、三等分にします。リンゴと言えば、近いうちにアップルパイも食べたいですね」
「アップルパイかあ……しばらく食べた記憶ないなあ」
「アップルパイってなに?」
「ウィミュは知らないのですね。リンゴをパイ生地で焼いた――」
「甘いお菓子!」
「正解です。よくわかりましたね」
「だって、リリとアテルってお菓子の話ばっかりだもん」
ウィミュはそう言って、にへらと笑った。
私とアテルは顔を見合わせて苦笑する。
「まあ、間違ってないかもね」
「私もリリ様がこんなに甘党とは思いませんでした」
「こっちも、ヴァンパイアが甘いもの好きとは思わなかった」
「私は元人間ですから。でも、そういう感覚を思い出したのは、リリ様の眷族になってからですよ」
「そうなの?」
「はい。プルルスの眷族のときは、食事を楽しいとは思いませんでした。唯一の楽しみは吸血ですが、いつも自己嫌悪していたのは話したとおりです」
「そうだったの」
「だから、リリ様にはとても感謝しています」
「お互い様ね」
「お互い様とは?」
「私もアテルには感謝してるってこと。もちろんウィミュにもね」
「私たちに? どういうところにですか?」
私は少しだけ意地悪く微笑んだ。
「自分で考えなさい。そうすればもっとアテルは自信を持てるし」
自分ごとき、とか、私に『様』付けとかなくなるはずだ。
何より、二人は心細かった私を助けてくれた。にぎやかさは自分ひとりじゃ作れない。
「まあ、それはそれとして、明日は私も連れていってね。その果物屋さん」
「何か欲しい果物があるのですか?」
アテルが首をかしげた。
まったく的外れで、苦笑いしかできなかった。
「私も働くの」
「それは……」
「あなたたちと一緒に働きたいの。だから、お願い」
困惑するアテルをよそに、ウィミュが私の手を取った。
満面の笑みだった。
「それがいいよ! 私もリリと一緒に働きたい」
「ウィミュ、リリ様はヴァンパイアの真祖だからと教えたじゃないですか。そんなお方を――」
「でも、リリはそんなの気にするタイプじゃないよ。ね? リリは私たちと一緒がいいんだよ」
「その通り。私のことをよくわかってるのは、ウィミュの方みたいね」
アテルがしばし沈黙して、小さくため息を漏らした。
眷族の一人としては納得いかないのかもしれない。
でも、彼女は「仕方ありません」と妥協した。
「では、明日は今朝よりもう少し早く起きないといけませんね」
「どうして?」
「リリ様の髪をすいたり、衣装を綺麗に整える必要があるからに決まっています!」
「私、そういうのは全然気にしないけど。今までだってしてないでしょ?」
「だって! 良かったね、アテル!」
「嫌です! リリ様に働いてもらうのなら、せめてそれくらいはしないと我慢できません。これは譲れません」
「ま、まあ……じゃあ、それくらいなら……」
強い勢いに私は折れた。
アテルはなぜか「ありがとうございます」と言って、どこから取り出したのか、綺麗な模様の櫛を眺めだした。
彼女は満足そうだった。
***
翌朝、私はとんでもない早朝に起こされた。
外は真っ暗で、通りで誰かが働いている気配もない。宿は静まり返っており、精力的に活動しているのはアテルだけだ。
ウィミュはぐうぐう寝ているし、私も眠たくてまぶたが上がらない。
「大丈夫です。とにかくここに座ってもらえれば。すべてお任せください」
手を引っ張られ強引に椅子に座らされた私は半分眠った状態だった。
きっと、疲れてぼろぼろになった会社員が、電車で寝落ちしている様子そのままだっただろう。
夢うつつの世界で、「では始めます」と声が聞こえると、自分の髪が軽く引っ張られるような感覚が断続的に訪れた。
「爪も、綺麗にします」
「うん…………ぐぅ」
「足を拭きます」
「うん、うん……」
「お顔、少し冷たいですが」
「うん、むにゃ、つめたい……」
「下着、降ろします」
「うん……うん……んん!? ちょ、ちょっと待ちなさい! どこ触ってるの!?」
「えっ? 着替えですが」
私は一気に覚醒した。
そして、昨夜、妥協したことを後悔した。
スカートの中に、きょとんとしたアテルの両腕が入っている場面だった。
指先は下着をしっかり捉えている感覚。
限度を知らないらしい。
「これからは髪だけでいい」
「えぇー、そんなぁ……」
冷え切った声で言ったのに、アテルは名残おしそうだった。
すぐに最後通告を言い渡した。
「わかってると思うけど、髪も私が起きてる時だけよ。約束破ったら――絶交だから」
「ひうぅっ!? しょ、承知しました」
「絶対だからね。一度しか言わないから」
朝からなんと寝ざめの悪いことだろう。
よく見ると、アテルの目がひどく充血している。
どれだけ楽しみだったんだろう。
ちょっと悪い気がしたけど、甘やかすのは良くない。
「アテル……ちゃんと寝た? 目が赤いけど」
そう言った瞬間、アテルの瞳がすぅっと塗りつぶされるように『紅』色に変わった。
これはヴァンパイアの色だ。
私はじとっとした視線を向けた。
「ごまかしたつもり?」
「た、たまには力を戻さないと……忘れるんです」
「充血してるの白目の方だから、ごまかせてないし。で、何を忘れるの?」
「ええっと……自分がヴァンパイアということをです」
「そう、案外簡単に忘れられるのね。まあ、そういうことにしておいてあげる。とりあえずウィミュを起こして、出かけましょう。遅れないようにしないと」
アテルとばたばたしていて時間が迫っていた。
ウィミュは今も寝ているし、昨日はよく起きられたものだと思う。
寝ぼけまなこの彼女を起こし、手を引いて果物店に走った。
さらに時間がギリギリだったのは、私が「せめて服は変えたい」とわがままを言ったからだ。
転生後のコスプレ衣装のような銀ドレスから、黒の可愛らしいワンピースに。
丸いフードには白い耳がついていてかわいらしい。猫イメージだろう。
アテルが偶然にも、サイズの合うものを持っていたことは謎だけど。
着替えたい理由は、うやむやにごまかしておいた。
単に武闘派シスターの目を少しでもごまかしたかったからだ。
広いエリアだ。簡単には出会わないと信じたい。というか、もう絶対に会いたくない。
特にリーダーとナイフをかちゃかちゃしていた人。
「ねえ、アテル、果物屋の近くに教会ってない?」
「真祖協会ですか? ありません。なぜですか? シスターに興味が?」
「ううん! ぜんっぜん、ないから!」
「は、はあ……」
そんな会話をかわしつつたどり着いたのは、こじんまりした木造の店だった。
外観は率直に言ってぼろい。
ひなびた看板が二階にかかっていて、『わんちゃんのフルーツ屋』と描かれている。
中から現れたのは背の高い獣人だった。
狼――ワーウルフだろうか。いや、わんちゃんだから犬?
どちらにしろ体がとても引き締まっていて、銀色のたてがみがとても綺麗だ。
トレードマークの黒いはちまきがファンタジー感を演出している。
「おっ、今日も来てくれたのかい」
「ワルマーさん、またお世話になります」
アテルが元気よく挨拶し、ぺこっと頭を下げた。
ワルマーと呼ばれたワーウルフが人懐っこくほほえんだ。
見た目は狼と七匹の子ヤギにでてきそうな強面だけど、アテルの様子を見ているといい人なのだろう。
「曲芸師のウサギちゃんもか。頼もしいねえ」
「今日は、メロン投げに挑戦しまーす!」
「メロンはやめてくれ。あれは高い」
「じゃあ、ミカンで」
「おうっ。それでいこう」
ワルマーは、がっはっはと破顔した。
ウサギ族とワーウルフ。普通なら捕食関係にありそうだけど、不思議と馴染んでいる。
ゲームに出てこないキャラクターたちの関係はよくわからない。
「そっちの、お嬢ちゃんは?」
ワルマーが視線を降ろした。
遮魔布ごしに、私の視線と合った瞬間――
まるで雷に撃たれたように動きを止めた。
毛並み豊かな尾は静電気をため込んだように総毛立ち、ざわりと全身の体毛が逆立った。
「安心してください」
そう言ったのはアテルだった。
彼女はワルマーの太い腕にそっと手を添えて見つめた。
「私の、大事な主人です」
「主人……」
ワルマーは太く長い息を吐いた。
緊張感が緩んだ頃を見計らって、ウィミュが「大丈夫」と続いた。
「リリは私の友達だから」
「お前さんたち二人が言うんだからそうなんだろう」
「とってもいい人だよ」
「悪いやつとは思っちゃいない。だが――俺の目の前にはずっと岩が見えている。体の大小じゃない。でっかい岩だ。何をしたってどうにもならない相手だっていう感覚に近い。何者だい?」
「ヴァンパイアです」
私は素直に伝えた。
ワルマーがアテルをちらりと見た。
彼女が無言で頷いた。
「アテル、お前、ここから逃げたあと、この人に拾ってもらったのか。ようやく……わかった」
「ワルマーさん」
「あの晩、お前から、ここから逃げるって打ち明けられたときには気が気じゃなかった。プルルスから逃げられるはずがない。あいつの部下は無数にいる。追いつかれて、絶対に殺される」
ワルマーがくぐもった声で続ける。
「逃走に手を貸すべきか、全力で止めるべきか、随分悩んだ。けど、死人みたいな目をしたお前の覚悟を見て、俺は止められなかった。もう会えなくなるとわかっていたのにだ。死地に送り込んだのも同然だった。俺にできたことと言えば、プルルスに反抗して宮仕えをやめたくらいだ。だが、アテルは戻ってきた。昨日会って、無理やり連れ戻されたんじゃないと、すぐにわかった。何か、もっと別の、安心できることがあったんだ。それが……それが、この人か。良かったな……良かったな……アテル」
ワルマーが鼻をすすった。
大きな手がこちらに伸びた。
「アテルを……よろしく頼む。俺は、こいつがこの国に連れてこられたときから知っている。人間からヴァンパイアに変わった日の苦しみもそばで見ていた。危なっかしくて何をしでかすかわからんやつだが、俺にとっては娘も同然だ。リリと言ったかい?」
「ええ」
「守ってやってくれ。俺じゃ力不足なんだ。俺には見守ることしかできない」
小さな手で握手に応じた。
包まれている手から、ワルマーの期待を強く感じた。
やっぱり悪い人じゃなかった。
私は口角をあげて、拳でとんっと胸を叩いた。
「約束する。アテルもウィミュも、私の大事な仲間だから」
「ありがとう。アテルは、いい主人を持ったな」
ワルマーは腹の底から吠えるように笑った。
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