156.アインの怒り

「くぅぅッ、うぉぉおおおおッ!!」


 平衡感覚を失う程の凄まじい勢いで飛ばされたセリオは、勢いを落とす間もなく地面に叩き付けられて派手に転がった。


「うぐぅッ!? ……はぁ……はぁ……」


聖域サンクチュアリ』を展開していたことと、地面を転がった時になんとか受け身を取れたことで、セリオはダメージを最小限に抑えることに奇跡的に成功した。

 しかし激しく乱された平衡感覚はそう簡単に戻るものではなく、セリオはすぐに立ち上がることが出来なかった。

 立ち上がろうとする度に貧血に似たような感覚が襲い頭がフラフラと揺れ、足に力が入らず倒れそうになる。

 そんな自分のあまりにも情けない現状に、セリオの心に再び怒りが込み上げてきた。


「――ぐぅッ!? くそ……くそくそくそぉぉッ!! 何なんだ、あのメイドは!? あんな奴がいるなんて、聞いてないぞッ!!」


 ヴァンザルデンとの一騎打ちはセリオにとっても特別なものだった。

 ヴァンザルデンを一流の戦士と認めた時、セリオの心の中には確かに充実した高揚感が溢れていたのである。


 サピエル法国において、セリオと並び立つ戦士など存在しなかった。それはつまり、自分の全力を発揮できる環境が無かったということだ。

 戦士にとって、それは苦痛以外の何物でもない。

 勿論その欲求はセリオも何となくだが感じていた。しかし教皇を守護する『教皇親衛隊』の一人で、サピエル法国内では“戦士”よりも“司教”という立場にあったセリオには、そのような欲求を満たす機会が訪れるはずもない。

 自分の全力を出すことが叶わない。そんな環境に長くいたことでセリオの“戦士の心”は、本人も気づかぬ内に枯れてしまっていた。

 ……あるいはその欲求から目を逸らすように、教皇へ絶対の忠誠心を注いでいたのかもしれない。


 しかしそんなセリオに絶好の機会が訪れた。それが今回の戦争だ。結果としてセリオは、プアボム公国最強と呼ばれるヴァンザルデンと相見あいまえることになった。

 そして一騎打ちを通してヴァンザルデンをと認めた瞬間、セリオの枯れていた“戦士の心”が蘇ったのだ。

 セリオは今まで我慢してきた反動もあったのか、作戦や教皇の命令を忘れるくらいにヴァンザルデンとの戦いを心の底から愉しんでいた。

 ……だがそれも、邪魔が入ったせいで唐突に終わらされてしまった。


「あのメイド、この私の事を、まるで道端に落ちている小石を捨てるように扱いやがったッ!! こんな屈辱は初めてだッ! ……絶っ対に許さないッ!!」


 時間が経ち、平衡感覚が徐々に戻って来たセリオは怒りに任せて剣を地面に突き刺し、その剣を杖の代わりにしてようやく立ち上がる。

 勢いよく飛ばされ派手に転がったがどこも骨は折れておらず、致命的な怪我も負っていないのは幸いだった。


「あら? 気を失っていませんでしたか。予想以上に頑丈なのですね?」


 また突然、声が聞こえてきた。

 セリオが声のする方を見ると、いつの間にそこに移動していたのか……アインがセリオのすぐ目の前に立っていた。


(い、いつの間に!? まったく気配を感じなかった!?)


 セリオは驚きのあまり、一瞬だけ体が硬直する。……それが不味かった。


 シュッ――!


「――ぐはぁッ!?」


 突然セリオの横っ腹に衝撃が走り、気が付けば体が吹き飛んでいた。

 セリオはまたしても訳も分からずに地面を大きく転がる事になる。


「うぐぅ、げほぉッ――!?」


 転がった先でセリオは、大量の血を吐血した。……無理もない、セリオが受けた衝撃は凄まじく、あのヴァンザルデンの攻撃よりも重たく鋭い物だったのだから。

 その威力を証明するように、セリオの鎧は衝撃を受けた個所が『聖域サンクチュアリ』の防御ごと砕かれて粉々になり地肌が露出していた。

 衝撃はそれだけに留まらず身体の内部にまで到達し、セリオの肋骨をも粉砕していた。更に折れた骨が肺や内臓に突き刺さり、セリオを今まで経験したことのない激痛と呼吸不全が襲う。

 あまりの激痛にセリオは立ち上がる事さえ出来なくなってしまった。


「い……一体、な……なに、が……!?」

「……まだ意識がありましたか。その『聖域サンクチュアリ』、という技でしたか? 使う分には便利そうですが、相手にすると予想よりも厄介なものですね」


 セリオは激痛を堪えながら、声の主に目を向ける。

 そこには転がるセリオを見下ろすアインの顔があった。

 アインの表情は無表情ではあったが、セリオの事を貫かんとするその目には確かな怒りが表れている。

 セリオはそのアインの目に、本能的な恐怖を感じて身震いした。


「お……お前、は……、一体、なんな……のだ……?」

「……そういえば、自己紹介がまだでしたね」


 アインは衣服に付いた埃を軽く払うと、片足を後ろに引いて軽く膝を曲げ、両手でスカートの裾を軽く持ち上げて小さく頭を下げる。


「私の名はアイン。淵緑えんりょくの魔女に仕える使用人の一人です」

「淵緑の、魔女だと……?!」


 セリオはその名前に聞き覚えがあった。

 教皇親衛隊だったリチェがその名前の人物の調査に向かい洗脳された。その結果、サピエル法国が極秘で進めていた計画が全て暴露されることとなり、今回の戦争の発端になったのだ。

 実はセリオはプアボム公国奪還後に、淵緑の魔女の調査と可能なら討伐の任務も教皇から命令されていたのだ。忘れるわけがない。


「その、使用人が……なぜこん、な……所に……!?」

「これから死ぬあなたがそれを知る必要はありません」


 アインは冷酷にそう言い切ると魔力を解放する。

 解放された膨大な魔力はアインの全身を覆い、アインを赤く光り輝かせる。

 それを見たセリオは驚愕のあまり目を限界まで大きく見開いた。


「そ、それは、私の『聖域サンクチュアリ』……!? 何故お前が、それをッ……!?」

「……一つだけ教えて差し上げましょう。あなた達の敗因は、プアボム公国でもブロキュオン帝国でもありません。私の主人を敵にしたことです! ……もしあなた達の宗教がこれまで言ってきたように“転生”というものが実在するのなら、次の人生では精々その事をお忘れなきよう。では――」


 そう言うとアインは、転がっていたセリオの腹部を神速の勢いで蹴り抜いた。

 攻撃の動作すら視認出来ない速度で蹴り抜かれたセリオの腹部は、まるで鋭利な刃で切り取られたかのように両断され、セリオは声を上げる間もなく一瞬の内に絶命した。



 ◆     ◆



 真っ二つになったセリオの確かな死を確認し、私は『セリオの技』を解除する。確か『聖域サンクチュアリ』とかいう大層な名前の技だった。

 私が技を真似してセリオがひどく驚いていたのを思い出す。多分、自分だけが使える特別な技だと思っていたのだろう。


「自身の魔力を体外に放出し、性質を変化させて表面に纏うだけ。たったそれだけの事を、どうして特別だと思えたのでしょうか?」


 魔力の操作は個人差と技術差はあっても誰でも出来ることで、体外に放出することも同様だ。あとは放出した魔力に役割を与え、それを自在に操るだけ。……やっていることは魔術の発動と殆ど変わりがない。

 結論を言ってしまうと、やり方さえ分かってしまえば誰でも模倣できる技だった。


 確かに魔術と違って使った魔力は体内に戻せるので魔力切れを心配することなく、攻撃にも防御にも瞬時に応用できるのはかなりの強みであるなのは間違いない。

 でも結局は魔力を纏って戦うということに変わりなく、魔力を吸収する魔獣相手には全く通用しない。

 魔獣を相手にするならこんな技より、ヴァンザルデン様のように肉体を直接強化する技が有用なのは明らかだ。


「……正直、かなり名前負けしている技ですよね。『魔力装備』とかの方がまだしっくりくるレベルですよ……いえまあ、そんな名前なんてどうでもいいんですけどね。でもせっかく使うのでしたら、技の特性や実力に見合った名前にしてあげないと、恥ずかしくてとても使う気にはなれないわ……。この辺りはセレスティア様に相談してもいいかもしれないですね」


 とりあえず新しく覚えた技の事は一旦保留にして、私は目の前の無残な姿となった死体について考える。ついセレスティア様に牙を剥けた怒りに任せて攻撃して、勢い余って真っ二つに両断してしまった死体だ。

 このまま捨て置きたい気持ちはあるけど、この男はサピエル法国の重要人物らしいのでしっかりとヴァンザルデン様に引き渡して、そちら側で処理して貰った方が事後処理の面で都合がいい。


 だけど真っ二つにしてしまったので、このままでは非常に運びづらい。それに今頃ヴァンザルデン様は軍を率いて王都を奪還している頃だろうから、それが終わってからでないと死体が邪魔になるだけだ。

 それにこの死体を私が運んでいけば、確実にこれ以上目立つことになってしまう。それはセレスティア様が望んでいることではないので、できる限り避けなくてはいけない。


 どうしたものかと考えながら死体の周辺をじーっと眺めていたら、天啓が降りたかのように一つの妙案を思いついた。

 私はすぐにその場でしゃがみ込むと、足元の雑草に向かって囁く。


「……カールステン様、私の事を見ておられますよね? もし見ているのであれば、この死体の運搬をお願いしたいのです。私達がこれ以上目立たない為にも、よろしくお願いします」

「…………」


 私の囁きに、雑草は返事を返さない。……いや、雑草はそもそも喋らないから当たり前だ。

 ただ、マイン公爵軍参謀長のカールステン様はドリュアスという珍しい種族の方で、“植物と心を通わせ自在に操る能力”を持っている。

 援軍浮遊島が到着したことで敵は混乱に陥り、プアボム公国連合軍はただ単純に攻めるだけで王都奪還ができるという簡単な作業になっているはずだ。少なくともカールステン様の知略を活かす機会はほぼ無い状況にはなっていると予測できる。

 だからカールステン様がその力を私の状況の偵察に向けていても不思議ではない。そう読んで、足元の植物に囁いてカールステン様に伝言を届けようとしたのだけど……まだそこまで余裕がないのかな?


 もしもカールステン様が見ていないことも想定して別の案を練ろうと立ち上がろうとした時、足元の雑草が突然私の足首に絡まって来た。

 私は少し驚きその雑草に再び目を向けると、雑草は不自然にもぞもぞと動き、小さく「〇」の印を作って私にアピールして来た。

 どうやら予想通り、カールステン様は私の事を見ていてくれたようだ。


「ありがとうございます! よろしくお願いします、カールステン様」


 私は感謝の言葉と共に雑草にお辞儀をした。

 そしてしばらくその場で待機していると、馬に跨ったカールステン様と、何故か王都奪還の指揮を執っているはずのヴァンザルデン様も一緒にやって来た。


「お待たせしましたアインさん!」

「いえ、わざわざありがとうございます。でもどうして、ヴァンザルデン様もこちらに? 王都奪還の方はどうなさったのですか?」


 私が素直な疑問を口にすると、ヴァンザルデン様はどう答えたらいいのか考える顔をして頭を軽く掻く。


「……実は援軍の登場がよっぽど効果的だったみたいでな……正直俺が直接指揮するまでもないくらい敵が混乱しちまってな。だからパイクスとピークに経験を積ませようと、二人に王都奪還の全権を預けて任せることにしたんだ。……それに俺も一騎打ちでかなりの怪我を負っちまったからな、この後の事も考えると回復を優先した方がいいと思ったわけだ」


 どうやら私が思っていた以上に、浮遊島の登場は効果覿面こうかてきめんだったようだ。

 まあヴァンザルデン様の手が空いたのは私にとっても都合がよかったので、セリオの死体処理をそのままヴァンザルデン様とカールステン様にお任せることにした。

 二人はあらかじめ用意して来た二つの大きな麻袋あさぶくろを取り出し、セリオの上半身と下半身を別々の麻袋に入れ、手際よく乗ってきた馬にくくり付けた。


「この死体の処理は私達にお任せください」

「俺達はこのまますぐに戻るが、アインさんはどうするんだ?」

「そうですね……」


 私は少し考える。この場所での私の役目は既に終わっていて、このまま合流というのも悪くないけど、二人と共に戻るのは少し目立ってしまう気がした。


「……王都奪還が落ち着いたタイミングでそちらに合流したいと思います」


 私の回答にカールステン様は追及することなく「分かりました」と一言だけ添えて、ヴァンザルデン様と共に足早に去って戻っていった。


 二人の姿が見えなくなり周囲に誰もいないことを確認した私は、セレスティア様から頂いたウエストポーチの中からスクロールを二枚取り出す。

 二枚とも『転移魔術』のスクロールだ。でも中身は少し異なっている。

 片方は転移位置固定のスクロールで、もう片方は『転移魔術』発動のスクロールだ。


 私は転移位置固定のスクロールを地面に広げて魔力を流す。するとスクロールは青い炎をあげて燃え尽き、地面には一人用の大きさの魔法陣が設置された。

 次に私はその魔法陣の上に立ち、もう一つのスクロールに魔力を流して記録された魔術を発動させる。


「“転移”」


 魔術が発動すると、浮遊感と共に私の視界は暗転した。しかし次の瞬間には、私の目の前には見慣れた屋敷の玄関ホールの景色が広がっていた。

 私はそのまま自室に戻って新しい服に着替え、戦闘で汚れた服を洗濯し、倉庫から新しいスクロールを補充すると、すぐにまた先程の場所に転移魔術を使ってとんぼ返りするのだった。

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