44.イワン

「待たせたな」


 数十分後、馬車から荷物を降ろし終えたカグヅチさんは、店の戸締まりをしっかりして出掛ける準備を整えた。


「そんなに待ってないわ。さ、カグヅチさんも乗って」


 カグヅチさんが戸締まりをしている間に店の前に移動させた馬車の御者台に私とカグヅチさんが座り、荷台の方にクワトルとティンクが乗る。

 因みに、屋敷から貿易都市まではゴーレムの御者に馬車を引かせていたが、貿易都市に着く直前に錬金術を解除して土塊つちくれに戻していた。なので今、馬車の手綱は私が握っている。

 といっても馬車を牽く馬は私が本物の馬そっくりに作ったゴーレムなので、手綱を握らなくても思念や言葉だけで操ることができる。わざわざ手綱を握っているのは、いかにも私が操っているようにみせてゴーレムに見えないようにするためだ。


「それじゃあ、行きましょうか」


 全員が乗ったのを確認して、手綱を握る手に力を入れる演技をする。そしてゴーレム馬に思念を飛ばして馬車を動かそうとした、正にその時だった。


「お~い、カグヅチー、どこへ行くんですかな?」


 カグヅチさんの名前を呼びながら、一人の男が馬車に近づいて来た。

 男は貿易都市の紋章である火を纏った女性が描かれた白銀の鎧を着用し、腰には立派な鞘に収まった二本の刀を携帯していた。髪の毛は年齢を感じさせる白髪で、顔には白髪の髪によく似あう年期のある皺がいくつも走っていた。だがその足取りは重たい鎧と刀を装備しているにもかかわらずとても軽快で、何処にも老人らしさを感じることはない。

 馬車の横にまでやって来た老人は小走りで走って近づいて来たにもかかわらず、息が全く上がっていない。そして老人が装備している鎧や刀の質からも分かるのは、この老人が只者ではないということだった。


「おお、イワンじゃねえか! この時間にこんな所に来てるってことは、今日は非番か?」

「まあな。だから前から言っていた、刀のメンテナンスを頼もうと思って来たのですぞ。……それよりカグヅチこそ、馬車なんかに乗ってどこへ行くんですかな?」

「仕事だよ。ちょっと商人組合までな」


 カグヅチの「仕事」という単語を聞いた瞬間、イワンと呼ばれた老人はあからさまに驚いた表情をして声を上げる。


「なんと!? あの閑古鳥が鳴いているのが日常のカグヅチに仕事ですと!? 今日は嵐ですかな!?」


 会話の雰囲気から二人の仲が良いのは感じられたが、流石にそれは言いすぎだと思う。しかし、カグヅチさんはそう言われるのが分かっていたかのように動じておらず、むしろ待ってましたとばかりにカウンターの言葉をイワンに叩き込んだ。


「うるせえぞ! イワンこそ毎日毎日『平和で暇ですぞ~』って呟いて仕事を部下に任せてる暇爺ひまじいのくせして!!」

「あれは若い奴等が儂がする仕事を、勝手に率先してやっているだけですぞ! 仕事が無いカグヅチのようになってしまって、迷惑してるのは儂の方だというのに!!」


 ……なんだか、会話の雰囲気が段々と怪しくなってきたわね。


「それは聞きづてならねえなぁ……!? そんなこと言うなら、今後お前の刀のメンテナンスしてやらねえぞ!」

「そんなことをしたら困るのはカグヅチの方ですぞ! 貴重な仕事を定期的に提供している儂を追い出したら、それこそ本当に仕事が無くなるのを分かっているのですかな?」


 こう言われたらカグヅチさんが困ると分かっているかのように、イワンは勝ち誇ったようにニヤッと口元を緩めた。

 だがカグヅチさんは、イワンのその表情にそれ以上の勝ち誇った表情をして返す。


「……イワン、お前のその言葉に俺は毎回毎回言葉を詰まらせてきた……。しかし、それも今日までだ!」

「な、なんですと!?」

「何故なら、既に俺はイワンに頼らなくてもいい仕事の取引を持ちかけてもらっっているからだ!」

「なにぃぃぃいいーー!!??」


 カグヅチさんの言葉に、イワンは本気で驚いた声を上げる。


「カグヅチに仕事を持ちかける物好きが儂以外にいたのですか!? ……まさか、その隣の女性がそうなのですかな?」


 ムッ、物好きとは失礼ね。

 それにしても、『イワン』という名前、何処かで聞いたことがあるような……。


「おいイワン、俺の取引相手にそんな言い方をするのは止めてもらおうか? ……いくらお前でも流石にキレるぞ……」

「うっ……す、すまん……」


 カグヅチさんの本気マジトーンにこれ以上何か言うのは流石に不味いと思ったのか、イワンは咄嗟に謝罪した。


「あの、カグヅチさん、それでそちら人は?」

「ああ、すまねぇミーティアさん。こいつはイワン、うちの店の常連客で俺の旧友だ。見ての通り歳を食っちゃいるが、これでも『貿易都市警備隊』の総隊長を務める程の実力者だぜ。イワン、こちらはミーティアさんだ。俺に仕事の取引を持ちかけて来てくれた人だ。失礼なことはするなよ?」


 イワン……貿易都市警備隊の、総隊長? ……あっ、思い出した!?

 つい先日オリヴィエから説明を受けた、貿易都市を経営する8人組の組織『八柱オクタラムナ』。色々あって、私達のことを監視している組織だ。たしかそのメンバーの一人に、貿易都市警備隊の総隊長を務めるイワンという老将がいると言っていた。

 間違いない……この人が私達を監視している八柱の一人だ!


 チラリとイワンの方に目を向けると、イワンもカグヅチさんの紹介で私の名前偽名を聞いて思い至ったらしく、ほんの一瞬だが眉毛がピクッと動いて反応し、私に目線を向けた。

 ……目線が交差する。

 イワンの目はどことなく私の外見よりも本質を見抜こうとしている様な鋭さがあり、油断が出来ない人物だと私は直感で感じ取った。

 しかし、イワンはすぐに平静を装いニコリと笑みを見せると、普通に挨拶をしてきた。


「初めましてミーティアさん。儂はイワン。貿易都市を守護する警備隊の隊長を務めている者です。どうぞ、よろしくですぞ」


 イワンはそう言って手を差し出してくる。

 私はイワンが何かしてくるのではないかと思い咄嗟に身構えようとしたが、カグヅチさんに失礼なことはするなと言われた手前なのか、イワンにそんな事をする雰囲気はなかった。どうやら本当に普通に挨拶してきただけのようだ。


「……私はミーティア、商人組合所属の商人よ。こちらこそよろしく」


 イワンが差し出してきた手を握って私も挨拶を返す。警戒しながらだった所為か、言葉が少しぎこちない感じになってしまった。


「はっは、そう緊張しなくてもいいですぞ。別に取って食ったりするわけではないですからな」


 イワンはそう言って私の警戒を解こうとしているようだが、その手に簡単に乗る程私は甘くない。さっきの反応からしてイワンは、私が監視していた本人だという事に気付いている。

 私達を執拗に監視してくるメンバーの一人だ、何を考えているか分かったものじゃない。八柱が何の目的で私達を監視し続けているかは知らないが、少なくともそんな相手に隙を見せる愚行を取る訳にはいかない。

 しかしイワンがこう言っている手前、あからさまに警戒した態度を取ってしまえば逆に怪しまれることになる。だから私はイワンの言葉にニコッと笑い、「ありがとう」の意味を込めた笑顔だけを返した。

 イワンもそれ以上突っ込んでくる気は無いようで、カグヅチさんの方に向き直って話題を変える。


「それでカグヅチ、これから商人組合に行くと言っていましたが、何をしに行くのですかな?」

「ああ、ミーティアさんとの取引の契約書を作りに行くんだ」

「ほぉ、契約書ですかな。なるほど……」


 イワンはそう言うと、顎に手を当て思案し始めた。……なんだろう、嫌な予感が――。


「でしたら、儂もついて行ってもいいですかな?」


 ……はい?


「ちょっと待て、なんでそうなるんだ!?」


 カグヅチさんの言う通り、なんでそういう結論に達したのかが理解できない!

 私はコクコクと頷いて、カグヅチさんの意見に同意の意を示す。


「儂はそもそもカグヅチに刀のメンテナンスを頼みに来たのですぞ。契約書を作るのならそれなりの時間がかかりますし、その間非番とはいえカグヅチが戻ってくるのをここで待っているのは流石に暇というもの。そんな事をするならカグヅチ達について行った方が、遥かに有意義な暇潰しが出来そうですからな」


 イワンの説明に友人を待たせるのは忍びないと思ったのか「……それもそうだな」と納得するカグヅチさん。友人にそんな事を言われて断りづらいのは分かるが、カグヅチさん、もっと粘ってほしかった……。

 しかしカグヅチさんが納得してしまった時点で私が同行を拒否するわけにはいかず、内心嫌々でもイワンの同行を受け入れるしかなかった。


「決まりですな。ではよろしく願いしますぞ、ミーティアさん!」


 こうして不本意だったが、イワンも商人組合まで一緒に行くことになった。御者台は私とカグヅチさんが座っているのでイワンにはクワトルたちと同じ荷台に乗ってもらい、私は改めて商人組合に向けて馬車を出発させた。

 私はクワトルとティンクに思念を飛ばしてイワンの正体を伝え、何か質問されても言動に注意して怪しまれることがないようにと言い聞かせた。



 ◆     ◆



 貿易都市中央にある管理区画と呼ばれる区画に、『管理棟』という大きな二階建ての建物がある。

 管理棟の中は大きなひし形状の広いホールになっていて、ひし形の四辺それぞれに『労働組合』『商人組合』『ハンター組合』『役所』の施設が振り分けられ、商人組合はホールの入り口から見て右側手前の位置にある。

 商人組合の中は労働組合ほど多くの人でごった返しているわけではなかったが、それに負けない違った熱気がそこにはあった。

 商人組合の壁一面には様々な部署のカウンターが並んでいて、その各カウンターを沢山の商人達がまるで獲物を探す肉食獣の様に目を鋭く尖らせて素早く行ったり来たりしていた。その動きに無駄は無く洗練されつくされていて、そんな商人達が行き交うその光景はさながら戦場の最前線のようだった。


 そんな場所に新しく一組の団体が加わった。セレスティア達だ。

 セレスティア達が商人組合に入ってくると、先客であった商人達は自分の仕事をこなしながら、器用に横目で新しい来訪者に値踏みする様な目を向ける。


「「「「「………………」」」」」


 相手を値踏みする時にわざわざそれを声に出したりはしない。そんな事をするのは精々経験の浅い新人商人ぐらいである。だからこの沈黙の値踏みは商人組合では日常的に見られる光景だ。


 しかしこの沈黙は一見いつもと同じようだが、今回はその意味合いが180度ぐるっと違っていた。

 何故なら本来横目をこっそり向けるだけの商人達が、それを忘れて目だけではなく顔までついつい向けてセレスティア達を凝視していたからだ。

 紙に何かを書いていた者は筆を止めて、歩いていた者は立ち止まり、カウンターで商人の相手をしていた受付も、その受付と話をしていた商人さえも、商人組合にいたほぼ全ての人が動きを止めてセレスティア達に視線を向けている。まさに異常事態だ。


 何故そんなことになっているのかと言えば、それはセレスティアが引き連れているメンバーが原因だ。

 まず、貿易都市警備隊・総隊長のイワン。貿易都市に暮らす人や貿易都市を拠点に活動している商人ならイワンのことを知らない者はいない、超が付く程の有名人だ。

 次にカグヅチだが、世論が生んだ鬼人の風評被害と、貿易都市に暮らしている唯一の鬼人ということで、こちらもある意味有名人になっている。そのダブルパンチによって、カグヅチは人前に出るだけで勝手に悪目立ちしてしまうのだ。

 そして次にクワトルとティンクだ。実は二人のことは『ドラゴンテール』のパーティ名と共に、貿易都市内では既に広まっていた。新人でいきなりCランクハンターとしてデビューし、あっという間に多数の功績を上げ、Bランクを飛び越え史上最速でAランクハンターに昇格したことで一躍有名となり、その存在は商人達の知るところとなっていのだ。

 そんな色々な意味で有名人である彼等を従えるように先頭を歩いているのが、名も知らない若い女性商人なのだから、これが目立たないはずがない。


(((((何者なんだ、あの女性は……!?)))))


 そんな商人たちの視線が気になるが、オリヴィエから商人としての知識をある程度聞いただけの商人事情に未だ疎い『なんちゃって商人』であるセレスティアが、商人組合が異常な空気になった理由に気付ける訳がなかった。

 商人達の視線が自分に集中している中で、視線を向ける商人達をキョロキョロ見回したりすれば変に目立つと思ったセレスティアは、そんな商人たちに目もくれることなく堂々とした振る舞いをして空いているカウンターに向かい歩いて行く。しかし堂々としたその姿勢が逆に大物の風格のようになってしまい、更に目立っていることをセレスティアは知らない。


「契約書の作成がしたいのだけど、ここで大丈夫かしら?」

「あ、はい、大丈夫です! ではまず、商人証明書をお預かりしてよろしいですか?」


 受付の女性に言われた通り、セレスティアは商人証明書を手渡した。受付の女性は商人証明書を受け取ると、広げて中を確認する。


「…………少し、お待ちください」


 女性はそう言って商人証明書を持ったままサッとカウンターを抜けると、足早に奥の階段を駆け上がって行ってしまった。

 あまりにもあっという間の出来事に何かを言う事すら出来なかったセレスティアは、女性が戻ってくるまで大人しく待つしかなかった。


 しばらくすると先程の女性が戻って来て、セレスティアにこう言った。


「お待たせしました。組合長がミーティア様に是非お会いしたいとの事です。どうぞこちらへ」


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