スクナビコナとチュルヒコ④―スクナビコナとチュルヒコついに地上へと出発!―

「ふう、いよいよ出発か……」


 スクナビコナは天の安河の水の流れをぼんやりと眺めながら、久々に行くことになった地上のことに思いをはせる。

 自分で望んで行くわけではないとはいえ、地上の今の様子がどうなっているかにはそれなりに興味はある。

 おわんと箸は自分の荷物と同時には持って行けないため、一度出発地点まで荷物を運んで来てしまってから、再び倉庫に戻ってここまで運び出した。

 もっともその間、オワンヒコもハシヒコも口では激しくスクナビコナに抵抗したのは言うまでもないことだが。


「…それにしても……」


 ただ、今のスクナビコナにはヒジョーに気になることがある。


「…なんなんだ、あいつらは……」


 それは自分といっしょに地上に向かうはずのチュルヒコが〝見送り〟と称して連れて来た白い毛のネズミの大群である。

 そのチュル王、チュルヒメ、チュルジイをはじめとして、高天原中のネズミが集まったと思われる大群はすでに天の安河の両岸を白く染めている。

 スクナビコナがあるネズミに聞いたところによると、チュル王がここにチュルヒコの見送りのために来るまでには、昨日から多くのネズミたちがずいぶんな〝苦労〟をしたらしい。

 何しろチュル王は普通のネズミの十倍はあろうかという巨体をしている。

 そんなチュル王の巨体はネズミの穴を通り抜けることができないため、高天原のネズミたちは総出で、昨日から一昼夜かけて通り道の〝拡張工事〟をしなければならなかった。

 また、チュル王は一人では歩くこともままならないため、ネズミが百匹がかりで担いでここまで運んできたとのことである。

 いかにネズミたちの王とその息子のためとはいえ、たった二匹のネズミのためによくここまでやるものだ、とスクナビコナは心底思う。


「…ねえ、スサノオ様……」


 スクナビコナは自分から少し離れた場所にいるチュルヒコを横目に見ながら、唯一自分を見送りに来ているスサノオに言う。

 チュルヒコはチュル王、チュルヒメ、チュルジイと何事か言葉を交わしている。おそらく最後の別れの言葉といったところだろうか。


「なんでチュルヒコにはこんなに見送りがいるのに、僕の見送りはスサノオ様だけなんだよ!」

「たわけが!」


 スサノオは不満を言うスクナビコナを叱り飛ばす。


「チュルヒコはただ単に地上に行くだけだが、貴様は罰として地上に行くのだ!待遇が違うのは至極当然のことだ!」

「…く、くそ……」


 スサノオの言葉はスクナビコナの反論を一切許さない強いものである。


「…ふん、まあこのスサノオが唯一の貴様の見届け人として言葉をくれてやろう……」


 スサノオはしゃがんだ姿勢となり、普段よりはスクナビコナに近い目線で言葉を送る。


「はっきり言ってこれまでの貴様は〝高天原の問題児〟だ。だが貴様には本来自分の行いを反省し、改めるだけの力が十分備わっているはずだ。今の自分に何が足りないのか、これから地上で大いに学んでこい!貴様がそれを知って改めたとき、再び貴様は高天原に戻れるはずだ!」


 スサノオはスクナビコナに強く、加えて諭すように言う。


「…ふん、…今でも僕に欠点があるなんて思えないけど、…言ってくるよ……」


 そう言うと、スクナビコナはスサノオに背を向け、歩いて川岸に置いてあるオワンヒコとハシヒコに近づいていく。

 ふとチュルヒコたちのほうを見てみると、まだチュル王たちと話をしている。どうやら相当に別れが名残惜しいということらしい。


『…ごめん、スクナ、待たせちゃって!』

「…ふん、まあいいよ……」


 チュルヒコはようやく話を終えると、スクナビコナの元に急いで駆け寄ってくる。

 それを確認すると、スクナビコナは右手で箸を持ち、左手でおわんを持ち上げて、川の水面に浮かべる。

 そのオワンの〝舟〟にスクナビコナ自身とチュルヒコが乗り込む。スクナビコナの荷物はチュルヒコが両手で〝舟〟に乗せる。


「…じゃあ、行って来るよ……」


 スクナビコナは相変わらずふてくされたような様子で言う。


「…行ってこい……」


 そんなスクナビコナにスサノオもぶっきらぼうに答える。


『父上、母上、チュルジイ、そしてみんなも…、行ってきます!』


 スクナビコナの隣にいるチュルヒコがそう言うと、ネズミの大群から、ちゅー、という大歓声が上がる。

 チュル王とチュルジイはそんなチュルヒコを目に涙を浮かべながら見守る。チュルヒメに至っては大号泣しながら、チュルヒコー、必ず高天原に戻ってくるのよー、と叫んでいる。


「…さあ、さっさと出発するぞ……」


 そんなチュルヒコとそれを見送るネズミたちの様子を横目に見ながら、スクナビコナは

 両手に持った箸で川べりの土を強く押す。

 するとおわんは岸から離れ、天の安河の上を流れ始める。


『チュルヒコ王子に万歳三唱ばんざいさんしょう!』


 そのすぐあとに、一匹のネズミが声を上げる。


『王子ー!万歳ー!王子ー!万歳ー!王子ーー!万歳ー!』


 それに続いてその場に集まっていたネズミたち全員が声を上げながら、万歳をする。その大勢の白いネズミたちが一斉に万歳をする様は実に壮観である。


『みんな、ありがとう!』


 そんなネズミたちに向かって、チュルヒコは礼を言いながら、オワンから身を乗り出して両手を振る。


『…チュルヒコー……!』


 さらに万歳をするネズミたちの列の前を、四本足で川岸を全力疾走する一匹のネズミが出現する。


『…あれは、…お母さん!』


 よく見ると、それはチュルヒメである。


『チュルヒコ!』

『母さん!』


 川岸を走る母とおわんの上の息子はお互いの名を呼び合う。

 しかしそれはいつまでも続けられることではない。

 やがてチュルヒメは走り疲れ、その場に倒れてしまう。


『…チュルヒコー!必ず高天原に帰ってくるのよー!』


 そしてチュルヒメは倒れたままの状態で最後の力を振り絞って、川を流れて行くおわんに向かって叫ぶ。


『母さーん!必ず帰ってくるよー!』


 そんな母にチュルヒコも両目から涙を流しながら答え、その姿を完全に見えなくなるまで見送るのだった。

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