スクナビコナとチュルヒコ②―スクナビコナ、お椀(わん)と箸を無理やり地上への道連れに!―

 そのあと、しばらくの間チュルヒコとチュルヒメの地上に行きたい、ダメだ、の押し問答が続いた。

 それは全く不毛の上に、無駄としか言いようのない時間だった。

 そうしてしばらくすると、両方ともさすがに疲れたのか、互いに言葉少なになった。


『…ふう、そろそろこのジイがしゃべってもよろしいかな?』


 そんなタイミングを見計らって、チュルジイが口を開く。


『チュルヒメ様。あなたの我が子を思う気持ちはこのジイも十分心得ているつもりじゃ。しかし世の中には〝かわいい子には旅をさせよ〟という言葉もある』

『ならばあなたはチュルヒコが地上に行くのを認めろと?』

「そうそう!」


 すかさずスクナビコナもたたみかける。


「だいたいもしチュルヒコがこのまま穴の中にいたら、そのうちあんな風になっちゃうぞ!」


 そう言うと、スクナビコナはある方向に視線を向ける。

 その先にはでっぷりと不健康そうに体を太らせているチュル王の姿が。

 実はチュル王の〝太りすぎ〟は高天原のネズミたちの間では普段からかっこうの〝ネタ〟になっている。

 その中身は、チュル王はひょっとしたら生まれてから一度も穴から外に出たことがないのではないか、チュル王は太りすぎでもはや歩くことも一切できないのではないか、などといった高天原のネズミの王としてはありがたくないものばかりである。


『…ま、まさか、そんなことは……』


 そんなチュル王のように将来チュルヒコがなってしまう、などということは、チュルヒメにとってはチュルヒコが地上に降りることに負けず劣らず恐ろしいことなのである。


「いやあ、それはわからないぞ」


 スクナビコナはさらに追い討ちをかける。


「もうしばらくすればチュルヒコは信じられないくらいでっぷり太って、この穴から出ることはおろか、歩くことさえできなくなるに違いない!」

『そんなはずはありませんわ!ワタクシのチュルヒコがそんな姿になることなど……』

「いいや、ぜえったい、チュルヒコは太る!」


 そう言いながら、スクナビコナはチュルヒメの顔の目の前に右手人差し指をビシッ、と指し出す。


「このままチュルヒコがここにいたんじゃあ、チュルヒコはぶくぶく太ってサイアクの一生を送ることになる!もちろんあんたもサイテイの母親になるって訳だ!」

『ひいいいいい、そんな!そんな!』


 チュルヒメは再び半狂乱状態になり、気が狂わんばかりに叫ぶ。


「だ・か・ら!」


 スクナビコナは大声で叫びながら、再びチュルヒメの顔の目の前に人差し指を向ける。


「チュルヒコが地上に降りるのを認めてよ。いいだろ?」

『そうだよ、認めてよ、母上!』

『ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、このジイからもお願いいたす』


 スクナビコナの言葉にチュルヒコとチュルジイも続く。


『…う、…うわああああーっ……』


 すると突然チュルヒメが号泣しだす。

 そしてしばらく泣き続けたあと、ついに言うのだった。


『…わかりました、…チュルヒコが地上に降りるのを、…認めましょう……』



「あーあ、やっとお前の母さん、お前が地上に行くことを認めやがったな」

『うん、そうだね』


 スクナビコナとチュルヒコはいっしょにネズミの穴から出たあと、歩きながら話をする。

 チュルヒメが、チュルヒコが地上に降りることを認めたあと、チュルヒコもスクナビコナと共に明日の出発の準備をすることになった。


「それにしても、お前の母さんを説得するのに時間がかかったから、もう昼過ぎになっちゃったな……」


 スクナビコナは太陽が見える位置まで歩いてくると、空を見上げる。

 もはや太陽は天高く昇っている。


『うん、確かにね。ところでさ、なんでスクナは僕がいっしょに地上に降りることに賛成してくれたの?』

「ふん、旅は一人よりも〝道連れ〟がいるほうが楽しいからだよ」

『そうなんだ』

「さてと、着いたぞ」


 スクナの言葉と共に一人と一匹は足を止める。そして目の前にある巨大な倉庫を見上げる。


『ほんと、この倉庫っていつ見ても大きいよね』

「ああ、高天原のほとんどの物が保管してある倉庫だからな、さあ、中に入ろうぜ」


 そうして一人と一匹は階段をよじ登り、扉を開けて木造の倉庫の中へと入っていくのだった。



『うわあ、いろんなものがあるね』


 チュルヒコは歩きながら感嘆の声を上げる。

 薄暗い倉庫の中には本当に色々な物がある。

 農具、家具、祭りや行事に使うに使うと思われる物まで、本当に様々なモノたちが置いてある。


「そうだな。…さてと、何か使えそうなものはあるかな?」


 そう言いながら、スクナビコナは倉庫内に置いてある物を物色し始める。


『おい』

『誰だ』


 スクナビコナたちがそばを通ると、いくつかのモノたちが声をあげる。

 ここにある物はずいぶん昔につくられた物も数多くある。

 それはもちろんすでに魂と心が備わったモノも多いということを意味する。


『あれ、あいつはスクナビコナだぞ』

『なに、あいつがいるのか?』

『おい、スクナ!お前は以前俺たちの仲間にずいぶんと手荒な真似をしてくれたことがあったな!』

「ふん、それは過ぎたことだろ。昔のことを今さら言うなよ」

『えっ、スクナはここで何かとんでもないことをしたことがあるの?』


 スクナビコナたちの会話の意味が気になったチュルヒコはスクナに尋ねてみる。


「ああ、昔何をやったかは忘れたけど、罰を受けてこの倉庫の中を掃除させられたことがあったんだ。その時何かのはずみでつぼをいくつか壊しちゃったことがあって……」

『おいおい、そりゃあ壊されたつぼたちにとっては重大な問題だよ!』

「…うーん、…でもまあ別に壊してやろうと思って壊したわけではないわけで、…まあ、不可抗力というやつだよな……」

『ああ、スクナにとってそれくらいはこれまでやってきた〝悪事〟の一つに過ぎないってことだね。何しろスクナは今までに高天原から追放されるくらいいっぱい〝悪事〟をしてきたからね』

「おいっ、なにもそこまで言うことは…、って、ちょっとあれを見てみろよ」

『えっ、何?』


 スクナビコナが突然指差した方向をチュルヒコも見る。


「ここからじゃ暗くてよく見えないから近くに行ってみようぜ」


 そう言うと、スクナビコナは自分が指差したほうに向かって近づき、チュルヒコもそれに続く。


「なあ、このおわん、僕たちの舟にするのにちょうどいいと思わないか?」


 スクナたちが近づいた先には外側をうるしで塗られた木製のおわんが。


『うーん、確かにこれくらいの大きさならスクナと僕が乗っても十分な広さがありそうだね』

「あっ、こっちにもいいものがあるぞ!」


 スクナビコナはおわんのすぐそばにある物にも目をつける。


「見てみろよ、この箸!これはおわんの舟をこぐのにちょうどいいぞ!」


 スクナビコナはやはり木製で漆塗りの箸を見つけてはしゃぐ。


「まあ、箸は二本も必要ないけどな。一本あれば十分だ」

『ちょっとあなた、何を勝手なことを言ってるの!』

「なっ!」

『この箸もう〝目覚めてる〟みたいだね』

『ハシヒメだけじゃないぞ!僕はハシヒコ、ハシヒメの双子の兄だ!』

『俺もだ、名はオワンヒコという!』


 ハシヒメという名らしい一本の箸に続いて、もう一本の箸ハシヒコとおわんのオワンヒコも声を上げる。


「ふん、お前ら全員もう魂も心もあるってわけか」

『そうよ!』

『やい、スクナ。俺たちをどうするつもりだ!』

「ははっ、お前らはこれから僕とここにいるチュルヒコといっしょに天の安河から地上に降りるんだ」

『ち、地上に!』

『嫌よ!』

『なんで俺たちがそんなことしなくちゃならないんだ!』

「はんっ、そんなの僕がそう決めたからに決まってるだろ!」

『ひどいや!』

『サイテイ!』

『ふざけるな!』


 スクナビコナの言葉におわんも二本の箸も猛抗議する。


「うるさいぞ、お前ら!まあそっちの、…ハシヒメだったか?…お前だけは女みたいだから見逃してやる。だからいっしょに行くのはおわんと箸一本だけだ」

『何を言っているの!女だから連れていかないなんてふざけないで!箸の女にだって箸の男と同等の権利があるはずよ!』

『そうだよ!それに僕たち兄妹は生まれてから今までずっと二本で一つの箸として生きてきたんだ!それをこれから引き離そうとするなんて本当にサイテイだよ!』

『そうだぞ!無論このオワンヒコだってお前に従うつもりはない!』

「お前ら本当に面倒くさいやつらだな。でも言っておくけど、これは僕のお前たちに対する〝命令〟だからな!」

『なにい!』

『サイアク!』

『なんてやつだ!』

「はっはっはっはっ、いくら文句を言ったところでお前たちは所詮〝モノ〟に過ぎないんだよ!どうせこの倉庫から自力で逃げ出すこともできないんだろ!じゃあな、とりあえず明日の朝迎えに行くから、それまでにせいぜい出発の心の準備でもしておけよ」


 そう言いながら、スクナビコナはくるりとオワンたちに背を向け、ひらひらと右手を軽く振(ふ)って〝サヨナラ〟をする。

 その背中におわんと箸は、逃げるな、卑怯者ひきょうもの、薄情者、などとあらん限りの罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせる。

 そしてそのまま倉庫から出て行こうとするスクナビコナに、チュルヒコも慌ててついていくのだった。

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