第13話
溶けて凛果の膝に落ちたアイスを見て、杏香が少し笑った。
「長く話しすぎちゃったみたい。ごめんね」
もういい加減忘れないとね、と言う杏香を、アイスを食べ終えた凛果が引き止めた。
「忘れる必要は、ないと思うんです」
「え?」
「忘れなくていいです。……だって、先輩がその人を愛した時間は、嘘じゃないんだから」
「内田、さん?」
「それに、本当に想い続けていればきっと……いつかまた、会えるかもしれない」
「また、会える……?」
「私も忘れるべきか心に留めておくべきか、よく分かんなかったんです。彼のこと。あんなに好きだったのに、憎んだこともあった。でも忘れずに留めておけば、きっといつか、ひょんなことから巡り合える時もあるんだなって」
「内田さん、元彼と再会したことがあるの?」
凛果は思わず杏香の顔を見た。
彼女を励まそうとして、ひといきに話してしまったが、どう話せば良いのだろう。
ずっと想い続けていたら、彼とワイヤレスイヤホンで繋がれたんです、って?
杏香の元彼は生きている。そこに死んだ人間の話をすることに、意味がある?
「あ、いや、今のは……」
杏香の切れ長の瞳が、真っ直ぐに凛果を射抜く。そこにあるのは、驚きか、期待か、疑惑か。すぐには読み取れない。
その眼光に思わず目を逸らしてしまうと、杏香は優しい口調で言った。
「励まそうとしてくれてた?」
「あ……」
「気持ちだけで嬉しいよ、ありがとう。無理に元彼を忘れることはやめてみる。でも髪の長さにはいい加減困ってきたからさ、髪を伸ばす以外で元彼を心に留める方法を考えてみるわ」
さ、戻ろうか、と言われ、レジ袋にアイスのゴミを入れて凛果は再び車のエンジンをつけた。会社の駐車場まで帰ってきて、助手席の杏香にもう一度お礼を言う。「恋愛相談に乗ってくれて、むしろありがとう」と返された。
「先輩、これから会議ですよね? 私が鍵とか戻しておきます」
「あ、うん。ありがとう。じゃあお先に」
「ありがとうございました」
運転席に一人残され、凛果は考える。
駿平との出来事を、つい話しそうになった。少し親密な関係になれば、特に同性なら年齢関係なく、恋バナというものはついて回るだろう。杏香や小夏とは、先月のパーティーの後も何度かご飯に行っている。今は仕事や趣味の話が多いが、さっき杏香は初めて恋愛のことを口にした。今後「彼氏は?」という話が出ない方が不自然なのかもしれない。
でもこのこと、話すべきなんだろうか。
実は杏香も小夏も、凛果が急に周囲となじみ始めた理由を探ってるんじゃないんだろうか。それが真実だとして、二人に真相を話せる?
……流石に信じてもらえない気がする。
でも証拠を出したら? 信じるしかなくなるのでは?
その場でスマホとワイヤレスイヤホンを出して、『日陰の星』を再生したら……
「あれ?」
鞄をまさぐる。さっき入れたハンカチ、会社でなぜか突っ込んできた同期との会議の資料、メイクポーチ、ペンケース、ダイアリー、財布。
「ない……」
シャンパンゴールドの、手のひらサイズのケースがない。中身もない。
「なかったら、聴けないじゃん……」
駿平と繋がるための必需品、ワイヤレスイヤホンが、ケースごとなくなっていた。
◇
もう何も手に付かない。
どんな言葉も上の空で、今生きていることすらも実感ができない。
杏香先輩と同じだ、とふと思う。
彼女が髪を切ることで過去を虚像だと思ってしまうように、凛果もまた、ワイヤアレスイヤホンを無くすことで、駿平との繋がりが幻だったのではないかと疑ってしまう。
定時になった瞬間、凛果はデスクの下に潜り込んだ。すぐにこちらに近づいてくるヒールの音がする。
「ちょっと凛果?! どうしたの」
小夏がデスクの下を覗き込んできた。
「ものを無くしちゃったの」
「もしかして、相当大事なもの?」
「え?」
「会社帰ってきてからずーっと貧乏ゆすりしてるし、上司から指示出されても上の空だった。『内田さんに何かあった?』って聞かれちゃったよ」
「それは、ごめん」
「で、何を無くしたの?」
「ワイヤレスイヤホン……ちょっといい? 別の所探す」
「あ、うん……私も一緒に探すよ」
「ありがと」
それからデスクのあるフロア全体、廊下、エレベーターホール、会議室を小夏と一緒に探したが、一向に出てこない。
「取引先で慌てて落としちゃった、とかは?」
「うーん、どうだろう……ここにあればいいんだけど……」
二人は会議室の隣にある小さなラウンジで、小休憩を挟んでいた。もう30分も探しているが、見当たらない。
「そのイヤホンって、誰かからのプレゼント?」
「ううん」
「じゃあ、初任給で買ったとか?」
「違うの。でもあれじゃなきゃ、いけない気がするの」
他のワイヤレスイヤホンに買い換えても、シュンと話せるかもしれない。でもそれは可能性でしかなくて、確実に繋がるにはやっぱり、あのシャンパンゴールドのケースに入ったワイヤレスイヤホンが必要だった。
小夏には申し訳ないが、まだ理由を話せる勇気がない。訝しむ小夏を尻目に、凛果はため息をつくことしかできなかった。
「あ、内田さん! 宮崎さんも残ってたんだ」
少し重たくなった空気を革靴で切り裂いたのは、同期の坂井圭太だった。
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