第11話

 何とか先ほどの宴会場に戻ると、何皿目かのサイコロステーキを食べていた小夏を見つけた。


「ただいま」


「あ、おかえり! ストッキング買ってもらえた?」


「いや、その……変態だった」


「えっ?! ちょっと凛果、それ大丈夫なの?!」


「絶妙なタイミングで、私のスマホが鳴って……その隙に逃げ出してきた」


「何もされてない? 大丈夫?」


「うん、されてない。心配してくれてありがとう、小夏」


 それでも小夏は心配なようで、パーティーがお開きになると、真っ先に杏香に駆け寄って事の顛末を話した。


「え、そんなことが……ごめんね内田さん。私も得意先の人と話してて、ちゃんと見れてなくて。今後の商談に繋がりそうな話もあったから……」


「こちらこそ、先輩の見えない所で勝手に外に出てしまったこと……反省しています」


「内田さんの謙虚な所は素晴らしいことだけど、こういう時にはダメよ。話を聞く限り、加藤が120%悪い。さしずめ、新人の女の子だから抗えないとでも思って、わざとシャンパン零したんでしょ。ほんっと最悪、許せない。もう金輪際GPフーズの人間とは付き合わない。うちの上司が何か言っても、絶対聞かない」


「そうですよね! コソコソとゲスなことをする変態野郎は徹底的に潰す。それくらいはしなきゃだよ、凛果」


「う、うん」



 小夏はともかく、パーティーではろくに食べていないため、三人は近くのファミレスで夕食をとった。

 そこで凛果は、二人が加藤に対していきどおる理由がやっと分かった。小夏は高校生の時、先輩は大学生の時に、凛果と同じような目に合っていたのだ。小夏は丸い瞳が愛らしく、先輩は切れ長の瞳が大人びていて、どちらも異なるタイプでありながら男性に人気のありそうな顔立ちをしている。結局二人とも、肩や顔には触れられてしまったものの、それ以上の行為を何とか断り逃げ出した。


「もうほんっと、なんで勘違いするのかね? ゼミで同じ発表班になったのはクジじゃん。チームワークは避けられないじゃん。なのにちょっと話しただけで自分に気があるとか思ってさ。『俺の目見て話してくれるから好きなのかと思った』ってバカなの? 目見て話すのはマナーで仕方なくですけど」


「その通りですよ! ただのクラスメイトでたまたま五十音順で座るとペアにさせられるだけなのに、『俺ら運命だよね』とか勝手に言い寄ってくるし。『小夏から話しかけてこないのは、本当は照れ隠しでしょ?』って、あんたの脳みそどうなってんのって話ですよ。今日の凛果なんか、名刺交換しただけでしょ? もう耐えられない。何なのあの超短絡的スーパー単細胞」


 次々と喉に流し込まれた安い酒は、副作用のように二人に延々と毒を吐き出させる。ただ凛果を思ってくれていることはよく伝わってきたので、せめてものお礼として、凛果は彼女達を介抱しながらそれぞれの家へと送り届けた。



 ◇



 凛果が帰宅した時にはもう、日付を跨ごうとしていた。


「ただいま」


 シンと静まり返ったワンルームが、先ほどの加藤との場面を否応なく思い起こさせる。


「怖かった……」


 この体は、駿平にしか触れられたくない。あんな男の手で汚されたくなかった。

 しかしあの非通知の着信がなければ、今頃どうなっていたか……想像するだけで恐ろしく、胃酸が上がってきそうになる。


「でも……あれ?」


 凛果はスマホを取り出し、左側面を見た。音量調節ボタンの上にあるスイッチは、確かに赤い線が見えている。それはつまり、マナーモードを意味する。

 しかしあの時、大音量で着信音が鳴り響いた。このスイッチは、そう簡単に動くものではない。マナーモードにしているのに鳴ったということは、一時的にスマホが壊れたんだろうか。使って一年弱しか経っていないのに?


 それに非通知の相手。非通知で電話がかかってくることなんて、滅多にない。一体誰だったのだろう。

 不思議だ。そして人間が最も恐れるのは、分からない事象だ。


 時計を見れば、日付を跨いでから十分ほど経過していた。一人で考え続けることに不安を感じた凛果は、『日陰の星』から駿平を呼び出す。


『もしもし、リン? もう帰ってきたの?』


「あぁ、シュン。今さっき帰ってきたところ」


『そっか。お疲れ』


 凛果は加藤との出来事を手短に話した。


『えっ……もしかして、触られた……?』


「ううん。その今にも触られそうって時に、非通知の着信があったの。もう危機一髪だった」


『間に合った……』


「え?」


『実は、天国こっちに現世の様子を見れる能力者がいてさ。ちょうどその頃かな、そのおじさんが俺を呼んで、「彼女ちゃんが危ない」って教えてくれて。慌てて管理人のおじいさんに状況を伝えたら、本当は一日二回になっちゃうからルール違反なんだけど、リンに繋がるこの電話を貸してくれたんだ。でもあの場合は、リンがいつも使ってるアプリじゃなくて、非通知って感じでかかったみたいだね』


「非通知って、天国からだったの……?」


『そういうことになるね』


「じゃあ、マナーモードにしてたのに着信音が鳴ったのは?」


『多分それは……俺からのシグナルが、音になって現れたのかも』


「そうだったんだ……ありがとう、シュン」


『本当はもっと前、その加藤って奴が話しかけてくる前に何とかしてあげたかったな。ギリギリまで怖い思いさせてごめんな』


「それはいいの。実際にシュンとかその能力者? のおじさんとか管理人のおじいさんが助けてくれたんだし、泣き寝入りはしないって決めたから」


『あれ、何か逞しくなった?』


「うん。自分の体は自分でちゃんと守る。そう思えたのはシュン達のおかげ。天国そっちの人達にもお礼、言っといて」


『分かった。前から言ってるけど、俺、いつでもリンの味方だから』


 大好きだよ、と、いつもの柔らかな声が凛果を包み込む。凛果も同じ言葉を返した。



 駿平が亡くなってから、人間関係を放棄して、自分は一人ぼっちだって思ってたけど。

 会社の人も、この世界にいない人でさえも、本当は自分を支えてくれている。



 汗ばむ夜空にぺこりと頭を下げてから、凛果は眠りについたのだった。

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