短編集 

茄子

鏡写しの花

悩める公爵令嬢

「ミラージュ様、最近貴女についてよくない噂が出回っているけれども、大丈夫かい?」


 生徒会の仕事の合間に尋ねられた言葉に、ミラージュは首を傾げる。

 噂というのは、ミラージュがディシュの事を虐めていると言うものだろうかと当たりをつけ、「問題はありません」とミラージュは答えた。

 生徒会に入り、放課後になればすぐに生徒会室に顔を出すミラージュがディシュと関わりを持つ事等ほとんどなく、あったとしたら合同授業の時ぐらいなのだが、それでもミラージュの周囲には多くの令嬢が集まり、ディシュが付け入る隙は無いといっても過言ではない。

 実際、二人が関わったのはディシュが入学早々にミラージュの所に突撃してきたときと、ミラージュがディシュのあまりの態度に多くの令嬢から苦言を聞き、注意をした二度だけなのである。

 それでもディシュはミラージュの事を、自分を陰で責め立てる冷血で悪逆非道な、いい子の仮面を被った悪女なのだと主張するのだ。

 この事には、ミラージュ自身困っている。

 ありもしない噂の為信じない生徒が殆どだが、ディシュの手管により誑かされた数名の男子生徒はディシュの言葉を信じ始める傾向がある。

 それでも、ミラージュは学園内で最も地位が高い令嬢の為、直接抗議されることは今のところないが、このままの状況が続くのも良いとは思っていない。

 一番いいのは、ディシュが態度を改めてくれることなのだが、その兆候はなく、何かにつけてミラージュと張り合うような行動をとったり、ミラージュに嫌がらせをされたと訴えている。

 クラスの違う二人に接点がそうそうあるわけもなく、忙しいミラージュにそんな暇はないのにもかかわらず、そう主張し続けるディシュの真意がわからず、ミラージュとしてもどのような対策を取るべきなのか考えている最中なのだ。

 高位の子息をディシュが誑かしたところで、ミラージュには何の影響もないのだが、ディシュ本人はそうは思っていないらしく、自分が高位の子息に好かれているから、嫉妬してディシュに嫌がらせをしているのだと主張している。

 確かに、多くの子息から好かれることは良い事だとミラージュも思っているし、その事が子孫繁栄につながるのであれば、それはむしろ喜ばしい事だとすら思っている。

 したがって、ミラージュがディシュに対して嫌がらせをすると言う理由は全くないのだが、ディシュはミラージュが自分を虐めてくると常に周囲の子息に言いふらしているのだ。

 いったい何がそこまでディシュを駆り立てているのかは全くわからないが、とにかく、ミラージュにとっては迷惑で困ったことでしかない。

 そもそも、この国の貴族には百五十年ほど前からとある疫病が蔓延しており、それは男にのみ感染し、高い確率で死に至ると言うものだ。

 よって、この国においては女社会が築かれており、貴族の男とは女に子種を提供する存在だと考えられている。

 不思議な事に、平民の男には発病しない為、これは一種の呪いのようなものなのではないかとも言われているが、未だに原因は不明である。

 そもそも、呪いや魔法などと言うものは迷信とされて久しい上に、そのようなものを扱える存在は今の所確認されていない。

 国としても、貴族に男児が生まれれば丁重に扱い、出来る限り病に感染しないようにと気を付けているのだが、どこから感染してしまうのか、病に倒れる男子は少なくない。

 ともあれ、ミラージュには全く身に覚えのないいじめを訴えられ続けるという現状がよくないことも確かで、このままではいずれ婚約者の耳にも入ってしまうのではないかとミラージュは不安を募らせている。

 ミラージュがいじめを行うなど信じるような人ではないとわかってはいるものの、それでも悪印象をわずかでも持たれてしまえば、婚姻後の生活に何らかの影響が出てしまう可能性もある。

 多くの貴族の男が複数の女に子種を提供することが一般的であるにもかかわらず、婚姻関係を結び、自分だけに子種を与えてくれる婚約者を得ることが出来るのは、ミラージュがこの国でも高位の公爵家の令嬢であるからだ。

 もしかして、ディシュの狙いはミラージュの婚約者なのではないかと勘繰ってしまうほど、ディシュはミラージュを責め立てている。

 一度しか注意したことがないにもかかわらず、何度も同じことを注意されているだの、所詮は庶子なのだとバカにされているなどと、ありもしないことを吹聴して回っている。

 信じる者はほとんどいないが、それでも数は少なくとも信じ始めている子息が居る以上、ミラージュとしてもこれ以上見過ごすことがいい事だとは思っていない。

 かといって、ディシュに何か言えば、これ幸いと尾ひれに背びれをつけられてまるで自分が被害者のように言いふらすことも目に見えている。

 もちろん、ディシュが言いふらしているように、権力を使い強硬手段に出ることも出来るのだが、ミラージュとしては出来る限りその方法はとりたくはない。

 使えるものは使うべきだとはわかっているのだが、そうしてしまえば、ミラージュという今まで作り上げてきた人物像が全て、家の権力によるものだと思われてしまうのではないかと考えているのだ。

 それはミラージュにとって好ましい事ではない。

 あくまでもここまで築き上げてきた地位と同じように、今後も自分の力で解決していきたいと思っている。

 それに、ミラージュは他人には絶対に言えない秘密を抱えている。

 もし、家の権力を使いそれが露呈することになってしまえば、それこそいままでミラージュが築き上げてきたイメージが崩れてしまうのだ。


◇ ◇ ◇


 解決しない問題を抱えたまま、今日もミラージュは家に帰る。

 いつものように使用人に出迎えられ自室に戻り部屋着に着替えて人払いをすると、ミラージュは大きな鏡に向かって自分を映し出す。

 そこには、今の自分とは似ても似つかないきつい目じりに厚化粧を施した、自分自身が映り込んでいる。

 それは、本来であればそうある事が正しいミラージュの姿だ。

 ミラージュには記憶がある。

 この世界とはまた別の世界で興じていた乙女ゲームの記憶。

 そこに登場するミラージュは主人公であるディシュを虐め抜き、最後には公爵令嬢としての地位も剥奪され、辺境の修道院に送りこまれるという結末だ。

 幼いころにその事を思い出したミラージュは、そうはなるまいと必死に乙女ゲームの中のミラージュとは別のミラージュを作り上げてきた。

 けれども現実と言うものは残酷で、ディシュにもその記憶があるのか、まるで乙女ゲームをそのまま再現しているかのようにミラージュを責め立ててくる。

 今のミラージュを見てそんなことをするはずがないと多くの人が言ってくれているけれども、ミラージュはいつ、鏡の中の自分が表に出て破滅への道を辿ってしまうのか日々恐れているのだ。

 国でも高位に位置する公爵家の跡取りをそう簡単に廃することが出来るのかと言われれば、この家に限っては出来るのだ。

 なんといってもミラージュには妹がいる。

 まだ幼いけれども、今から教育を施せば立派な公爵家の跡取りとなれるであろう才覚を持っているとミラージュは確信している。

 それではいけないのだ。

 幼いころから厳しい教育を受けて来た事、乙女ゲームのようにならないように振る舞ってきたことを無駄にしない為にも、ミラージュは美しく完璧で愛され慕われる存在でなければならない。

 今後も今の地位を守る為、ミラージュは鏡の中の自分と戦うのだ。

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