第5話 人生とは理不尽の繰り返しである
「待ちたまえ」
しかし、案の定ドア前で呼び止められた俺。
無視すると後が怖いので、仕方なくそれに応じた。
「はぁ……またそれか」
俺が振り返るや否や、呆れた様子で先生は言う。
「君はどうしていつもそうなんだ」
「どうしてって、この状況なら普通はこうなるでしょうよ」
「不満があるのはわかる。でも君は青春真っ盛りの高校生だろ」
「高校生なら、黙って教師の言うことに従えと?」
立花先生は小さく首を横に振る。
そしてタバコの先で俺を指した。
「私が気にくわないのはそのくたびれたような面だ」
俺は生まれつきこの顔なんだが。
「高校生ならもっと高校生らしい、活き活きとした表情はできないのかね」
「こんな状況で活き活きしてる方がおかしいでしょうよ」
「だとしても最近の君は辛気臭すぎて、見てるこっちまで生気が削がれる」
生気が削がれるって……
あんたにとって俺は妖怪か何かなのかよ。
「君は不器用だが決して無能ではないはずだ。なのになぜいつも逃げようとする」
「逃げるなんて人聞きが悪い。俺はただ戦略的撤退を——」
「それが逃げるのと何が違うのかね?」
超が付くほどのド正論に黙るしかない俺。
クラスで浮いてて、高校生活最大のイベントである修学旅行を本気で欠席したいと思っているこの俺に、よくここまで厳しくなれるもんだ。
不登校になったらどうしよう……とか、考えちゃうだろ普通は。
「まあいい。ひとまず君の要件はわかった」
なんて思っていたら。
急に頷き始めた立花先生。
「それで、君はどうしたいんだ」
おまけに俺の意見まで聞いてくれるご様子。
さてはこれ、ついにアメちゃん貰えるのでは?
「えっと、だから修学旅行は欠席――」
「行かないのは構わない。だがその代わりに、原稿用紙100枚分の作文を書いてもらうことになるが」
純粋無垢なる俺の希望は、一瞬にして打ち砕かれた。
この人のこういうところ、マジで嫌いだ。
「それでもいいなら好きにしたまえ」
「いいわけあるか……」
原稿用紙100枚とか。
あんたは俺を小説家にでもするつもりかよ。
「理不尽過ぎません?」
「理不尽で何が悪い」
先生は開き直ったようにそう言った。
そして「ふぅぅ」っと静かに煙を吐いて続ける。
「これから君が直面するであろう社会という現実は、嫌というほどの理不尽で溢れている。何かが気に食わないからと言って、簡単に投げ出すのが許されるほど、都合のいい世界じゃないんだよ」
こうして始まったのはお得意の独り語り。立花大先生のありがたーいお言葉が、次から次へと吐露される。
「修学旅行はとてもいい機会だ。普段の授業では社会で役立つ知識こそ与えてやれても、それに伴う経験まではさせてやれないからな」
俺はそれを半分うわの空で聞いていた。
こういう理屈っぽいところ、マジで面倒くさい。
「それともなんだ。君は私と行動したいのかね?」
「はい?」
やがて先生の語りはおかしな方向に。
「どうしてもと言うなら、新宿飲み歩きの旅のお供にしてやってもいいが」
急に何言ってんだこの人。
先生と行動したいなんて一ミリも思っていないんだが。
「嫌ですよ。酔っぱらった先生はだるそうですし」
「バカ者、私は大人だぞ。酒ごときに理性を害されるわけがなかろう」
酒癖悪いせいで、教師間の飲み会呼ばれないくせによく言うよ。
「そもそも勤務中に酒飲んだらいかんでしょ」
やがて先生は、懐から新しいタバコを取り出した。
それを慣れた手つきで、専用機にセットしながら。
「君だって授業中バレないようにスマホ使ってるだろ」
「ギクッ……」
「それと一緒だ」
見事なまでのカウンター。
これには俺も納得して黙るほかない。
「つまりはバレなきゃセーフと」
「そうだ」
小さく頷いた先生は「ふぅぅ」と煙を吐いた。
罪の意識を微塵も感じさせない堂々たる一服。
狂人って、多分こういう人のことを言うんだろうな。
「まあ、君の場合はバレバレだけどな」
「いやぁ、立花先生ってほんっと美人だなぁ!」
俺は反射的に先生をよいしょする。
今のは見逃してくれる流れじゃん!?
「生徒指導だけは本当勘弁してください」
次いで躊躇なく床にデコを擦り付けた俺。
羞恥の欠片もないこれこそ、俺流の言い逃れ術である。
「指導するつもりならとっくにしている」
「深いお心に感謝を」
どうやら効果は
俺は腹の中でほくそ笑みながら顔を上げる。
「とにかく修学旅行は全員参加。これは決定事項だ。異論は認めん」
だがその言葉に再び落胆。
これに関しては正直もう打つ手がない。
「別に仲良く楽しく良い思い出にする必要はない。それは修学旅行に限らず、普段の学校生活にも言えることだ」
またしても語りモードに入ったご様子の先生。
「君がアウェイだと感じている環境で、それなりに上手くやれたらそれでいい。別に100点じゃなくたっていいんだ。まずは70点を目標に頑張ってみろ」
「その70点でも、俺にとっては十分高すぎるハードルなんですけど」
「飛ぶ前から下を向いてどうする。何のための修学旅行だね」
すると先生は「ふぅぅ」と一つ息を吐いた。そして元気に稼働するプリンターをちらりと見やり、淡々とした調子で続ける。
「いいかい
「助走……?」
「君が高すぎると悲観する70点のハードルを越えるため、まずは修学旅行という”助走”を納得いくものにしてみせろ」
「仮に納得いくものにしたとして、70点のハードルは超えれるんですかね」
「そんなものはやってみないことにはわからないな」
いやいや……わからないって。
「やっぱ理不尽ですよ、それ」
「ああ。人生というのはこうした理不尽の繰り返しで出来てるんだよ」
その言葉には、妙な説得力があった。
やはりそれなりに歳を食った大人だからだろうか。
社会の社の字も知らない俺では、反論する隙も無い。
「別に気負う必要はない。案外行ってみると楽しいものだぞ」
「それは友達いる奴限定でしょ。俺にはその法則適用されませんよ」
「友達なら旅先で作ればいいだろう?」
それが出来たら苦労してねぇよ。
万年ボッチのコミュ力舐めんな。
「マジで行かなきゃダメですか」
「何度もそう言っている。いい加減諦めなさい」
この感じ。
おそらくこの人を説得するのは不可能だ。
となると、俺に残された道は一つ。
修学旅行当日にバックレる。これしかない。
「仮に君が来なかったら、その時は家まで迎えに行くから覚悟しておけよ」
「怖すぎるだろそれ……」
朝起きて先生が家にいるとかホラーすぎる。
あんたそこまでして俺を連れていきたいのかよ。
「はぁ……わかりましたよ」
「よろしい」
しぶしぶ頷けば、先生は満足そうに頷いた。
「君は物分かりがいいな」
「先生が頑固すぎるだけですけどね」
「失礼な。これも私なりの愛だよ、愛」
重い重い。
その愛重すぎるから。
「君も私の教え子なら、この愛を受けるにふさわしい人間になることだな」
なんて、随分と上から目線で言ってくれるが。俺からすれば「勝手なこと言ってんじゃねぇ」って感じだ。
社会が理不尽だか何だか知らないけど、これまであんたが語っていたことの大半は、あんたの身勝手な価値観を押し付けているだけ。つまりはただの詭弁だ。
俺の性根が腐ってるのはわかる。でも人のことをとやかく言う前にな、自分も相当ひねくれた人間だということに気づいてくれよ。
「だから独身なんだよ」
「何か言ったか」
「いえ、何も」
うっかり漏れてしまった本音を速攻で誤魔化す。
「何かよからぬことが――」
「いえ、何も」
先生からただならぬ圧を感じたので、俺は急いで背を向けた。そして命を取られる前に、印刷室を後にしようとしたところ。
「そうだ井口」
名前を呼ばれたので咄嗟に立ち止まった。
え、何、もしかして俺殺されちゃう……?
「帰りに渡すプリント持ってってくれ」
「なんだそっちか」
一瞬マジでヒヤッとした。
「今日の日直俺じゃないんすけど」
「これくらいいいだろ。ついでだついで」
「ついでねぇ……」
まあ、プリント運ぶくらいならいいか。
そう思い、俺は差し向けられたプリントを受け取った。
のだが……
「……ん?」
予想外な内容に俺は思わず目を細めた。
「なんすかこのプリント」
「何って、保護者宛の連絡事項だよ」
その割には学事的な要素が一つもないんだが。
「超簡単! サルでもわかるカップケーキの作り方!」
「……っっ!?」
見出しを読み上げると、先生はわかりやすく目を見開いた。
「料理教室でもやるつもりですか?」
「ちょ、ちょっと見せてくれ……!」
電子タバコをシャツの胸ポケットに突っ込み、慌てた様子で俺からプリントを奪った先生。重なったそれらを捲るにつれて、その顔から余裕の色が薄れていく。
「なんでこの記事がプリントされて……」
やがて顔面蒼白でそう呟いた先生。
この反応を見るに、どうやら印刷ミスっぽい。
「修学旅行に関する資料を印刷したつもりなのに……」
「一体何がどうなってこうなったんすか……」
聞けば先生は、バツが悪そうに明後日の方向を見た。
そして明らか頬を赤く染めて。
「これ、昼間に見てた記事……」
なるほど。
全部理解した。
シンプルに印刷元を間違えたわけだな。
おそらくは立ち上げた記事が、PCの裏画面に残っていたのだろう。
それでカップケーキの作り方を大量印刷とか。あんた実は可愛いかよ。
「先生ってお菓子作りとかするんすね」
「わ、私とて乙女の端くれだっ! お菓子くらい作るっ!」
そんな露骨に恥ずかしがらなくても。
ボクは良いと思いますよ、女の子っぽくて。
まあ先生の場合、年齢的に『子』は付かないかもだけど。
「そんなことより再印刷だ! 君は先に教室に戻っていたまえ!」
ドタバタとタバコの後始末をした先生は職員室へ。ギャップの激しいその去り姿に、俺は一言こう呟いた。
「抜けてんのかしっかりしてんのか、どっちかにしてくれ」
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