20 消された味噌汁
おにぎりを一口
「今夜はね、ゴルフに行くよ」
ゴルフ? 隼人、ゴルフなんかしたっけ?
「なんかね、カラスちゃんが言うにはクラブハウスを改修してて休業中なんだって」
なんだ、ゴルフ場に行くってことか。
「トプトプちゃん、何を連れてくるかなぁ」
何気に楽しそうなのは気のせい……じゃ、なさそうだね。密かに僕は頭を抱える。計画的なのか、行き当たりばったりなのか、隼人を理解するのは難しい。
「カラスさんたちに訊きたかったのは、トプトプちゃんをおびき出すのに都合がいい場所だったの?」
僕の質問に
「カラスちゃんたちとお話ししたかったんだよ」
と、いつものようにはぐらかしているかのような返事だ。
「ボクね、具はお米にして。海苔、要らないから」
と言って、ダイニングの椅子にちょこんと座った隼人だ。
要は塩にぎりだけど、奏さんは
「よし、米をたっぷりだな、任せとけ」
と、ニコニコ答えた。
お米を炊いている間に奏さんはお味噌汁も作った。その匂いが漂い始めると、
「隼人、今夜、出かけるんでしょ?」
と隼人の対面に座って満が訊く。
「うん。ボクね、ゴルフに行くの」
「ミチルも一緒に行っていい?」
「朔ちゃんも一緒に行きたいの?」
満の隣に腰かけた朔を隼人が見る。朔は隼人を見詰めるだけで返事をしない。
「バン、できたぞ。運んでくれや」
奏さんが僕を呼んだ。
僕が用意したお盆に、奏さんが味噌汁を装ったお椀を乗せていく。いつになく奏さんの動作が遅い。気のせいだろうか? そして僕は聞き耳を立てる。
あれきり隼人も朔も、おしゃべりな満でさえも何も言わない。三人分のお椀がお盆に乗せられて、奏さんが持ってけと言う。仕方なく僕はダイニングに運ぶ。さっさとテーブルにお椀を置いて、僕はまたキッチンに戻った。
「朔ちゃん、ゴルフに行きたいの?」
隼人の声が聞こえた。
朔の代わりに満が答える。
「隼人、あのね。もう痛くないんだって。朔ね、隼人に迷惑かけたって――」
「なんだ、ボクの家、飽きちゃった? お屋敷に帰る?」
朔がハッと隼人を見る。満が慌てて
「そうじゃないってば、隼人。痛みはないってこと!」
あぁ、居たくない、と隼人はとったか。
「薬、ちゃんと飲んだの?」
「うん、全部飲んだ。とってもいい子だったよ」
満の言葉に嫌そうな顔をした朔だったが、何も言わず黙っている。
「そう……」
隼人がお椀に手を伸ばす。慌てて満が止めようとするが、遅かった。ずずずずっ、と熱い味噌汁を
「あっち! バンちゃん!!!」
椀を放り出して、隼人が叫ぶ。
「隼人!」
「隼人ぉ!」
熱い味噌汁がダイニングテーブルにぶちまけられる。さっと立ち上がって、飛沫を避ける朔、満は隼人を心配して、立ち上がったがどうしたものかオロオロしている。
「持ってけ」
奏さんが僕に氷の入ったグラスと布巾をくれた。
「隼人、立って、そこをどいて」
「バンちゃん、ボクね、熱かったの。で、びっくりしてお椀、落としちゃったの」
「大丈夫、片付けるから。ほら、どいて。これ、飲んでいいから。服にはかかってない?」
うん、とグラスを受け取って、隼人が場所を開ける。見ると、味噌汁はテーブルの上にすべて残り、床に流れた様子はない――椀にはたっぷり入っていた、変だ。
テーブルの上を布巾で集めて、ひっくり返った椀の中に、テーブルの端で落とし込む。味噌汁の具は回収できた、でも……
隼人、何考えてる? 汁はどんどん消えて、濡れたはずの布巾さえ乾いていく。隼人が消したに違いない。こんなことができるのは、隼人と僕しかここにはいない。
「奏ちゃん、お味噌汁をね、
キッチンで隼人が奏さんに謝っている。奏さんは『気にするな』とニッコリし、新しい椀を出して味噌汁を装った。
片付け終わって下げる椀と布巾を持ってキッチンに戻ると、入れ替わりに隼人がダイニングに行った。
見ると調理台のお盆には、お椀が一つとおにぎりが三皿乗せられている。どうやら奏さんは、隼人と人狼兄弟だけにしてあげたいようだ。
配膳が終わると、隼人が僕を見上げる。
「バンちゃんのは?」
「僕は奏さんとキッチンで」
「なんで?」
なんて答えよう。
僕が答える前に、隼人はキッチンに向かって声をあげた。
「奏ちゃん! 奏ちゃんもこっち。五人で今夜の作戦会議!」
隼人の言葉に満がほっとし、朔が隼人を再度見る。嬉しそうな顔だ。
「朔ちゃんはおにぎり残さず食べること」
奏さんが僕と自分の分をもってダイニングに来る。隼人が塩にぎりを一口
「今夜はね、ゴルフに行く――クラブハウスが改修中なんだって」
隼人のおにぎりは塩にぎりだけど、僕たちのおにぎりは昆布と炒め高菜だった。どちらも隼人が嫌いなものだ。ボクだけ違うと言われないように奏さんが考えたんだろう。
「でね」
モグモグしながら隼人が続ける。
「クラブハウスって何?」
隼人っ! 小首傾げて可愛いフリするなっ!
「今夜は幽霊ちゃんシリーズと見てるんだけど、奏ちゃん、どう思う?」
「幽霊ねぇ、つまり人か――まぁ、武者どもも人と言えば人だがな」
「あれはね、亡霊。今夜は幽霊」
「違うモンが出てきたときのことも考えたほうがよくないか?」
「カラスちゃんたちの情報が間違ってるって奏ちゃんは思うの?」
おぃ、隼人、カラス情報だったのかよっ!
「カラスがそう言ったのか――カラスはほかに何か言ってたか?」
「うん、カラスちゃんたちはカァカァ言ってた」
いつも通りの隼人の返事。
「だからね、朔ちゃんは来てもいいけど、出番はないの」
急に話を振られて朔がドギマギする。
「ずっと
「判った、朔のことはミチルがちゃんと見てる。
不満そうな朔を満が押さえてそう言った。朔は挽回を狙ったんだろうけど、何もするなと隼人に言われてしまったんだ。
「十時になったら出かける――奏ちゃん、コーヒー淹れて。冷たいのできる?」
食べ終わった隼人はさっさとリビングに行ってしまった。テレビでも見るのだろう。
隼人にコーヒーを持って行った後、洗い物を手伝いながら奏さんに訊いた。朔と満もリビングにいる。
「隼人、味噌汁、わざと
「……かもしれんなぁ」
奏さんが笑う。
「隼人はさ、本当は朔たちを連れて行きたくないんだよ」
「そうなの?」
「朔は自分がヘマをして隼人に迷惑かけたと思っている。隼人はそれを否定したかった。自分が状況を見誤ったのが原因だってね。でも、それを言っても朔は納得しないと思ったんじゃないかな」
「それ、どう味噌汁と繋がるの?」
「イラっとしたんじゃないか? ある種のちゃぶ台返しだな」
なんだ、それ?
「なんでボクの心配が判んないんだよ、って味噌汁ひっかけたかったが、さすがにできなかった。で、椀を手にしたから飲んでみた。そんなところだろうさ。隼人らしいだろう?――まぁさ、隼人がうまく気持ちを言葉で表現できないのは、今に始まったことじゃない。知っているよな?」
「うん……でも、なんだかんだで朔を連れて行くんだね」
少しだけ奏さんが黙った。
「隼人の役に立ちたい、朔のその思いを否定しちゃいけないとでも思ったんじゃないのかな? 何かあれば自分が盾になる、ってことだろうよ」
リビングから、
「わぁい! 今日のお天気お姉さん、美人! でも、八王子に来たら部分的にブスッ!」
隼人の声が聞こえた。
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