第98話 人はそれをインシデントと呼ぶ
会議資料を広げたタブレットの片隅に、ピコンと起き上がって来たメッセージは、和花からのものだった。
”お疲れ!会議何時に終わる?”
”もう終わる、どうした?”
ちょうど課長が締めの挨拶を始めた所だったので、タイミングとしては、とても良かった。
”二人でミスしちゃって、暮羽ちゃんが激凹み。あたしじゃ力不足なの。相良さん、時間取れないかな?”
”ちょうど食べ損ねた昼飯兼早夕飯に行こうって話してたとこ”
”え、そうなの!?こっち寄って貰えるようにお願いしてくれない?”
”いいよ。言っとく。お前は?”
”ん?”
”和花は、大丈夫なの?”
”あたしは、反省もだけど、憤ってる><”
起こる通り越して、憤るなんてよっぽどだな、と思いつつ、まあ他人を思いやる余裕が有る事にホッとする。
本気で泣いた時の和花は、手が付けられないからだ。
泣いては無かったし、怒ってる位だったけど、気になる事には変わりない。
にも拘らず、一方的に話は終了になった。
”ご飯ちゃんと食べてね!忙しいのに連絡してごめん。じゃあね!!”
自分は平気だからこっちには構うなって?なんだそれ・・・
和花のこういう鈍感さにはかなり理解を示してきたつもりである。
きっと今頃、自分は良い事をしたと悦に入っているに決まっている。
暮羽ちゃんが元気になった、良かった。
じゃあ、松見を優先させた和花の気持ちは?
少なくとも俺は、松見よりも和花を優先するよ、そんなの当たり前だろ?
だから、今回も、そうするだけだ。
☆☆☆
暮羽はベテラン事務員だし、自分よりずっと経験も豊富。
だから、形だけのダブルチェックに慣れてしまっていた。
和花が配属されてから、暮羽のミスは一度もない。
和花の異動ミスも、商品誤発送も、在庫確認漏れも、全部暮羽がフォローしてくれた。
店舗時代とは違う在庫管理システムで間違って、部署コードの入力を失敗して、インチ違いの商品を送っても、最初はそんなものだよー、と慰めて貰った。
和花も新人の店員を教育した事があるから、その苦労は分かる。
そして、商品部は扱う商品も、発送する店舗も販売員の頃とは比べ物にならない。
それら全てを把握して、後輩のフォローもしつつ業務を回すのは相当大変だったと思う。
それなのに、一人の時より、仕事が回せるようになって嬉しい、なんて言ってくれたのだ。
下手に叱られるよりも、ずっと反省したし、もっと頑張ろうと思った。
そうやって、何とか暮羽をサポート出来るようになろうと、必死に頑張って来たのだ。
それなのに・・・
「なんで客注袋の中まで確認しなかったかなぁ!!」
通常ダブルチェックは、発送商品と伝票に相違が無いか確認する作業で、確認に必要な事項は袋に全て記載してある。
今回は、同封の伝票に納品日が書いてあったので(それも小さな走り書きで)暮羽も和花も通常納期で対応してしまった。
店舗から納品日なのに客注袋が戻って来ないと問い合わせがあって、納期確認ミスが発覚したのだ。
暮羽にも散々言ったが、納期は袋の表面に分かりやすく記入するのが原則になっているのだ。
特に記載の無いものは、1週間から10日ほどで納品される事になっている。
今回の客注は、結納日にネックレスを付けて行きたいので、インチ直しをして4日間で送り返して欲しいというものだった。
「そもそもなんで袋に書かないかなぁ!ちゃんと教育しろってのよ店舗!!」
元販売員として、客注のルールを守らず依頼をかけた担当者が物凄く憎い。
暮羽の気落ちした顔を見ているとこちらまで泣きたくなった。
もっとちゃんと確認して、ミスに気付いてあげられたら、こんな顔を見ずに済んだのにと思うと胸が痛い。
掛かって来た電話で事態に気付いて、お詫びするも納得して貰えず、上司を出せと言われた暮羽は、今しがた北村に事情説明に行った所だ。
北村は温厚な優しい上司だから、只でさえ落ち込んでいる暮羽をさらに打ちのめすような事は絶対言わないが、それでも上司まで巻き込んだと暮羽はさらに責任を感じてしまう。
そして、同僚とはいえ、後輩の自分の前では気を遣って気丈に振る舞ってしまう事も、よくよく分かっていた。
和花が気に病めば気に病むだけ、暮羽は申し訳ない気持ちになるのだ。
さすがに同い年とはいえ先輩に、気にしないで、泣いていいよ!なんて、絶対に言えない。
こういう時、頼れる相手がいるとしたら、それは・・・
迷ったのはほんの一瞬だった。
メールの予定表から、慧の予定を確認すると、会議中になっていた。
連絡が取れなかった諦める、もし、取れたら、ダメもとで言ってみる。
今のところ、和花の頭に浮かぶ一番の最善策が、コレだった。
そして、その作戦は見事に成功した。
出来上がった宅急便を持って行こうとする暮羽を押し留めて、これはあたしが責任持って出しますと言い切って、フロアの外へ送り出す。
相良の姿を確認して、一気に表情が緩むのを見て、改めて良かったと思えた。
暮羽は責任の9割9分が自分にあると思っているようだったが、和花は、今回のミスは五分五分の責任だと思っていた。
だってその為のダブルチェックだ。
確認がきちんと行えていなかった自分にだってその責任は当然ある。
けれど、それを言った所で暮羽の気持ちは楽にはならない。
だから、こういう形で、彼女を元気づけたかった。
直行便を出し終えて、やっと一息つけると思ったら、フロアの入り口に慧の姿を見つけた。
「・・・けーい。どうしたの?」
背後から掛かった和花の声に振り向いた慧が、眉間に皺を寄せて溜息を吐く。
どうしたの?は、無かったかな、と思ったけれど、ついいつもの口調で言ってしまったから仕方ない。
「落ち着いた?」
「ん、何とか。そうだ、相良さん来てくれたよー。暮羽ちゃん連れ出してくれた、ありがとう」
「・・・うん・・・」
こくんと頷いた慧が、じっと和花を見下ろしてくる。
違和感を覚えた和花は、眉根を寄せた。
「え・・なに?」
「怒る通り越して憤ってんじゃなかった?」
「ああ、うん。でも、さっきの暮羽ちゃんの顔見たら、なんかもういっか、って・・・ちゃんと泣かせてくれる人の所に行かせてあげられたから」
「んじゃあ、次は和花の番だよな?」
「ん?どゆこと?」
「お前の第一優先が暮羽ちゃん、だったのは良く分かった。それは解決したんだからもういいだろ?確かに相良さんが適任だよ。ほかの誰でも役不足だ」
「知ってますよーだ」
これだけの仕事量を文句も言わずに一人でこなしてきた暮羽なのだ。
責任感が人一倍強い彼女だからこそ続けて来られたのだろう。
そんな彼女だから、今回のミスは、相当堪えたはずだ。
こういう時だからこそ、一番甘えられる人の隣で、思いっきり泣いて欲しい。
甘えられる相手が、ちゃんといるんだから。
そして、そこへ送り出してあげられた自分を、ちょっとだけ誇らしく思う。
勿論、より一層ミス再発には気を付けないといけないけれど。
開き直って言い返したら、慧がだから・・と呆れた顔で大袈裟に溜息を吐いた。
「なによその嫌味な態度は・・・」
「俺が此処まで何しに来たと思う?」
「それは、あたしの事気に掛けて、様子見に来てくれたんでしょ?そんなのちゃんと分かって・・」
「俺は、様子を見に来たんじゃなくて、和花のこと慰めに来たんだけど」
「・・・え」
それは全く予想外の台詞だった。
”慰めに”来た、此処まで、慧が、自分を。
告げられた言葉がグルグル頭の中を駆け巡る。
「いや、待って、反省はしたけど・・・」
「ほらな、いっつもそうやって後回しにして我慢するから・・・」
言わんこっちゃないと、和花の手首を捕まえて、慧がフロアの入り口からスタスタと離れて行く。
「だから、ほっとけないんだよ」
「え、ちょっと、待ってよ!」
自席に戻るつもりだった和花は、どこいくのよ!?と焦ったが、慧はどこ吹く風だ。
1階まで降りた慧は、従業員入り口から外へ出て、裏手に回った。
通りを歩くサラリーマンや親子連れがちらほら見えるが、誰もこちらを気に掛けたりしない。
慧は和花の手を掴んだまま迷うことなく歩き始めた。
「慧、どこ行くの?」
「コンビニ」
「何買うのよ」
「こういう時は、好きなだけ甘いもの食べて、飲めば?」
「やけ食いしろって?」
「した事しろって」
「したい事って・・・そんなの・・・」
「少なくとも今の俺は、和花の我儘聞くためだけに此処にいるんだけど」
「なによ、その発想・・・」
「だから、甘えろって言ってんの」
「・・・そういうの・・・は・・・」
会社から一番近いコンビニは徒歩3分だ。
目の前に迫って来た自動ドアを前に、思わず尻込みしそうになった和花の手首を一瞬慧が離した。
そして、次の瞬間、改めて手を差し出される。
「苦手だって知ってる、から・・・ほら」
自分から繋いで来いと目で訴えらる。
強気なくせに、こちらを伺う空気を纏わせて、その上目は優しい。
「わーか」
「だから、いま・・・そうやって呼ばないで」
慰めるとか、甘やかすとか、そんな風に言われたら、気付かない振りしようとしていた色んな気持ちが見えてきて、我慢が出来なくなってしまう。
悔しいとか、なんで、とか、自分より責任を感じている人の前では言える訳も無くて。
やっと力になれてるかも、なんて思った矢先にこのミスで。
怒っていないと泣いてしまいそうだったのは自分の方で。
でも、そんなの言えるわけもないから、平気な振りをした。
した、のに。
慧はいつも気づいて欲しくない所ばかり気付いて、置き去りにした和花を拾い上げようとする。
これも甘える、という事なんだ、と思ったら、少しだけ開き直れた。
「なあ。和花、俺の事は、要る?」
「・・・・なんで・・・それ訊くかなぁ?」
「こういう時でも無いと、言わないだろ?ほーら」
「・・・あんた、破産するかもね」
「いいよ、カードもあるし」
「・・・馬鹿っ・・・でも、要るっ」
呟いて慧の手を握ると、柔らかいキスが頭の天辺に落ちた。
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