第75話 人はそれをショコラパーティーと呼ぶ
「さーどれでも好きなのをどうぞー」
チョコレートフォンデュを前に、エプロン姿で腕まくりした和花が両手を広げて見せた。
「和花ちゃん、これはどうやって食べるんだい?」
「えーっとね、溶けたチョコに、好きなフルーツやお菓子をくぐらせて食べるものなの。チーズフォンデュのチョコレートバージョンね。お父さんも食べたことあるでしょ?」
「ああ!パンにつけて食べた事があったなぁ」
説明を受けた東雲がぽんと手を打って、さっそく竹串の刺さったバナナを掴んだ。
一番安心で無難な組み合わせだ。
「今回はお父さんと慧の好みに合わせて、甘さ控えめのビターチョコレートを使ってみました」
バレンタインだからね、と微笑んだ和花に、東雲が穏やかな表情にしわを刻む。
「いいねえ。家族団らんってやつだね」
日曜の昼下がり、お茶の時間に家族三人で食卓を囲むのは珍しい。
「うん、たまにはこういうのもいいかなーって・・・慧は、どれにする?」
和花の質問にずらりと並んだお菓子やフルーツを順に目で追っていた慧が、半月型に切られた緑色のフルーツを持ち上げる。
「キウイとチョコって合うのか?」
「そこは挑戦で・・・いろいろある方が楽しめるかなと思って」
「ふーん・・で、さっきからお前は何をそわそわしてるの?」
「え!?」
至って普通に振る舞っていたつもりだったのに、どこに慧は違和感を覚えたんだろう。
大げさに視線を逸らした和花が口を開く前に、インターホンが鳴った。
「宅配便かな?」
「お父さん、出てくれる?」
いつもなら一番に玄関に向かう和花が、珍しく東雲に視線を送った。
「ああ、いいよ」
立ち上がった東雲の背中を見送って、和花が慧に視線を戻す。
「・・あーそう」
和花の顔を見た途端、訳知り顔で慧が頷いた。
「なるほどな」
「なにが!?」
「香澄さん呼んだんだろ」
見事に和花の作戦を読んだ慧が、頬杖をついて玄関を振り仰ぐ。
バレンタインだし、こんな事でもないと香澄はなかなか東雲の敷居を跨がない。
両親へのちょっとしたサプライズプレゼントの予定だった。
ちなみに香澄には、慧と和花しか家にはいないと伝えてある。
「・・おせっかい・・かな」
「いーや。喜ぶだろ、普通に」
たまには親子4人で過ごしたいと提案した和花に、香澄がどんな思いで頷いてくれたのかは分からない。
過去に東雲と香澄の間にあったやり取りは分からないし、きっと知る必要もない。
けれど、嫌い合って離れたわけでは無いことは慧も和花も理解している。
些細なきっかけがあれば、ふたりの距離は戻ると信じたい。
その小さな一歩を作りたかった。
間もなく戻って来た東雲の後ろには、和服姿の香澄の姿があって、和花はほっと肩の力を抜いた。
和花と慧の顔を見るなり困ったような笑みを浮かべる。
「・・・ここは昔と変わってないのね」
呟いた香澄に、慧が優しく声をかける。
「お帰り、香澄さん」
いらっしゃい、ではなかった。
瞠目したのは東雲のほうだ。
香澄は小さく微笑んで、手にしていた紙袋を持ち上げる。
「二人の好きだった抹茶のパウンドケーキ、焼いてきたから」
「わあ!嬉しい!!手ぶらで良かったのに」
「バレンタインだろう?そういうわけにはいかないでしょうに。
和花、包丁だして来て」
「はーい。お母さんも、チョコレートフォンデュ食べてね。やったことないでしょ?」
「これはなんだい、チョコレートをつけて食べるの?」
「そうらしいよ。ちなみにキウイは微妙」
台所に向かいかけた和花が、慧の言葉に振り返る。
変わり種としていいかと思ったのに。
「え!駄目だった?」
「あったかいのとすっぱいのと甘いのが混ざるって、なんか変な感じだな。お前も食べてみろよ。香澄さんはどれがいい?」
「ええ・・・こんなにいろいろあったら選べないねぇ」
「バナナはね、美味しかったよ。ほら、チョコバナナってあるだろう?子供が好きなやつ。あれと同じだよ、香澄さん」
いそいそとバナナをチョコレートの海に沈めながら東雲のいつになく積極的に会話に参加する。
香澄が来て少なからず舞い上がっているのが分かった。
「あ!せっかくだから、パウンドケーキも小さく切って、チョコレートフォンデュにしようよ!」
「抹茶とチョコなら王道だな」
「ね!いいアイデアでしょ?慧、ケーキ持ってきて。こっちで切るから」
「はいはい」
和花の気持ちを察したのか、慧が二つ返事で頷いて香澄の持ってきた紙袋を取り上げた。
「香澄さんは、ゆっくり食べてて」
「ありがとう」
椅子を引いてくれた慧にお礼を言って、香澄が東雲の隣に腰を下ろした。
休日の午後に両親が揃っていると、なんだかくすぐったくて嬉しくて、少し落ち着かなかった。
ドラマみたいな家族団らんに憧れていたものの、実際始まってみると、適当な会話が思いつかない。
結局お菓子を手に黙り込む和花と、それをにこにこ見つめながらお代わりを進める東雲と、それをあきれ顔で眺める慧と、お茶の用意をする香澄というのが、東雲家の定番のスタイルだった。
耐熱ケースの中からパウンドケーキを取り出しながら、慧がちらりと居間を振り返る。
出来立てのチョコバナナを珍しそうに頬張る香澄と、それを嬉しそうに眺める東雲の姿に、小さくため息を吐く。
分かりやす過ぎる。
自分も和花に対して同じような表情を向けているんだろうと分かってしまうから余計に複雑だ。
「こういうの、いいよね」
「どこにでもある普通の家庭的な?」
「うん、お父さんがいて、お母さんがいて、おんなじテーブル囲むの」
2センチ幅にカットしたケーキを、さらに半分に切っていく。
竹串に差すとなるとあまり大きいものは扱いにくい。
切れ端をつまんだ慧が、迷わず口に運んだ。
「あー、ずるい、つまみ食い」
「うん、うまい」
「あたしも食べたい」
包丁を置こうとした和花に向かって、慧がケーキを差し出す。
「ほら」
「あーん・・・うん!やっぱり美味しい」
洋菓子を殆ど作らない母親だったが、和花のリクエストで焼いてくれたのがこのケーキだった。
緑茶にも合う、上品で大人の味のケーキだ。
東雲はおはぎに次いで、これをよく好んで食べていた。
「香澄さんがこれ作る度、大喜びしてたもんな」
「お父さんってわかりやすいよね。
さっきの嬉しそうな顔・・・お母さん呼んで良かった・・・」
「バレンタインのプレゼントにしてはかなりの上出来だと思う」
「ありがと」
「で、俺のことはどうやって喜ばせてくれるの?」
「チョコレートフォンデュしたでしょ」
「あれは、香澄さん呼びつけるための口実だろ」
「それもあるけど、慧の事も考えて選んだの」
まあ、7割父親と母親の事だけど。
「ケーキとか・・別に焼いて欲しい?」
「空洞だらけのスポンジケーキ?」
「・・・もう絶対焼かない」
料理が得意ではない和花にとって、お菓子作りは結構な試練だ。
オーブンを予熱して、粉をふるって・・と普段の料理とは手順が異なるとそれだけでパニックになる。
「ケーキはまた今度でいいよ」
「なら次はあんたも手伝ってよ。ひとりでやるより、ふたりでやるほうが効率いいんだから。
クリーム泡立てるのとか、洗い物片付けるのとか」
絶対に面倒くさがると思ったのに、慧は和花の提案にも鷹揚に頷いて見せた。
「いいよ」
「・・いいの?なに、慧すっごい機嫌いい」
「そうか?」
「うん」
「だって、今日は邪魔が入らないから」
「邪魔?」
切り終えたパウンドケーキに竹串を差しながら和花が怪訝な表情になる。
「いつもはすぐにお前にちょっかいかける大人がいるだろ」
東雲の事だ。
確かに和花がいるとすぐに声をかけて構いたがる父親は、慧にとって一番のライバルでもある。
「香澄さんがいてくれれば、和花の事は目に入らない」
慧が腕を伸ばしてくる。
一歩下がった和花を囲むように慧が距離を詰めた。
踵がキッチンの奥の壁に当たる。
抱き寄せられた肩が、慧の肩に触れた。
「ちょっ・・」
「どうせすぐ戻ったってお邪魔虫扱いされるだけだよ」
「・・それは・・」
「否定できないだろ?」
耳元で囁いた慧が和花の耳たぶを甘噛みする。
息を詰めた和花が、声を出すまいと慧の背中にしがみついた。
その仕草が可愛くて、吐息で笑った慧が腕の力を強くする。
抱きすくめられたほんの少しの息苦しさと、それを上回る心地よさ。
すっかり、慧とのこの距離に慣れてしまった。
「たまには俺の機嫌取って」
俯いた和花の額にキスを落とした慧が強請るように囁く。
「機嫌いいでしょ」
「いいけど、もっと良くして」
彼が欲しいものは言われなくても分かる。
言葉じゃない部分で理解し合うすべを知ってしまった。
おずおずと顔を上げれば、慧が声に出さずに、唇だけで”正解”と微笑んだ。
ほんの少しだけつま先立ちになって、慧の首の後ろに腕を回す。
和花からキスをするときはいつもこうだ。
前髪が触れあって、吐息が肌をくすぐる。
「目、閉じて・・じゃなきゃ出来ない」
「はいはい」
嬉しそうに笑った慧がそっと瞼を下すのを待って、そっと唇を重ねた。
触れるだけの優しいキス。
ほっと息を吐いて踵を床に下すと同時に、慧が強引に腰を攫った。
唇を触れ合わせたまま、悪魔の囁きが降って来た。
「もう一回」
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