まりも。


 目の前に、女子中学生がいた。


「ん?」

 山菜を取りに出かけた山の中。木の根元。紺色のブレザーを着た緑髪の少女が座り込んでいた。

 木の根元、なにかに向かって手を伸ばしていて。

 生えていたキノコ。半透明になった腕が、手が、そのキノコを飲み込んだ。

「……あ、ごちそうさまでした」

 もぐもぐ、ごっくん。そんな擬音が聞こえた気がした。

「ば……」

 しんしんと雪が降り出した、そんな冬の日。


「ばけものだ――――――――っっ!!」


 わたしは女子中学生の化け物と出会った。


    *


 この世界は壊れてる、らしい。

 にせん……何年って言ってたっけ。二十年くらい前だってパパやママは言ってた。わたし――十四歳の、学校というものがあれば中学生って呼ばれてたであろうわたしが産まれる、もう少し前くらい。

 日本は化け物によって大混乱に陥った。

 ツイッターでなんかいろいろ議論された挙句に、いまの「ゲンセイ生物」って呼び方に落ち着いたらしい。

 研究施設も研究する人もだいたい壊されたり殺されたりしたのでいまだに研究が進んでいないんだそうで。

 人々は化け物に殺されないように散り散りになって、小規模な村とか街でひっそり固まって暮らしてるんだとか。

 そんなふうにパパやママ、村の長老みたいな人とかから習ってきたけど、正直言って実感はない。産まれた時からそうだったから、この暮らしが普通だったし。

 この山の中の小さな村は、少なくともわたしが知る限り、平和そのもので。

 わたし――玄間(くろま) クロは、衰退する村のさいごの希望、なのだそうだ。


 小さな屋根付きの小屋。バス停(もっともそれが何を意味するかまではわからないけど)の待合室の跡だって、もう何年も前に亡くなったパパは言ってた、いまは物置代わりのそれに入って、わたしは緑髪の女の子――女の子かどうか、そもそも性別があるかどうかすら怪しいけど、一応女の子ってことにしておこう――の化け物に話しかける。

「ねえ、あなたはなにもの?」

「まりもはまりもだよ?」

 彼女はさも当然かのように口にする。知らないよ。

 でもまあ、名前は聞けたからいい。わたしはわずかに採取できた野草の入ったかごを両手で抱えながら、息を吐く。

 まりもと名乗った化け物は、わたしに聞いてきた。

「ん、なまえは?」

「玄間 クロ」

「くろ、なにしてたの?」

「山菜とかキノコとか探してた」

「……たべもの、ない?」

「家にないわけじゃないけど、もう少ないからね」

 お米は腐るほどあるけど。

 そんなことを話すと、彼女は少し悲しげな顔をした。

 わたしはすかさず微笑んで「そんな悲しい顔しないでよ」と告げる。

 ――他人が悲しんでるのを見るのは、やだから。わたしが笑えば、みんな笑ってくれる。

 けど、目の前の旅人はきょとんとしていた。

 くう、とお腹がすく音が聞こえた。わたしじゃない。

「ばけものも、おなかすくんだね……」

 呆れながら告げると、目の前の少女は無表情で「ん」と首肯した。


「ただいま、ママ」

「おかえりー。……その子は?」

「拾った」

「まりもです」

 少し幼げな声で名乗った少女。私は彼女を居間に招き「ちょっと待っててね」と告げる。

 備蓄食糧庫。この村はずれのボロボロの古民家の地下、パパ曰く昔は座敷牢や書庫としても使われていたそこに降りて、なにか食べるものはないかと漁る。

 ……コンビーフの缶があった。ちょっと古いけど、消費期限もギリギリ切れてないし、たぶんカビも生えてない。

 埃臭い空気を吸って、「よしっ」とガッツポーズ。ひと缶だけ拝借しちゃおう。

 台所。電気よし。ちょっと贅沢だけど、炊飯器も使っちゃおう。楽だし。

 米びつから米を一合、いや二合。炊飯器の釜に入れて、お水を使ってといで、炊飯器に入れて電源を入れて。

 コンビーフの缶を開けて、使ってない茶碗に。マヨネーズと醤油を少し加えて、混ぜる。

 ある程度準備もできたので居間を覗いてみると、まりもはラジオをぼうっと聞いていた。

 臨時ニュース。アメリカが核実験とか、ゲンセイ生物がまたコロニーを一つ壊したとか。聞いてて飽き飽きするような、陰鬱なニュース。いつも通り。

 ぴー、と電子音が聞こえた。お米の炊き上がりだ。

 炊きあがったお米を茶碗に盛って、その上にコンビーフと調味料を混ぜたものを半分だけ乗せる。それを二つ作って。

「できたよ、まりもちゃん」

「こんびーふ!」

 わたしの分と、彼女の分。箸も二膳取り出して、ちゃぶ台に乗せた。

 コンビーフに目を輝かせる目の前の少女。かわいい。

「それじゃあ、いただきます」

「いただきますっ!」


 コンビーフ。備蓄食料の中ではちょっと豪華なやつ。

 少ししか拝借してないつもりだったけど、ママはおやつ代わりにそれを食べる私たちを見て怪訝な目をして。

「最近、備蓄の食糧、少なくなってきてるのよね……」

 イヤミったらしいひとりごと。わたしは「あはははは……今度の配給楽しみだね」って言う。ちなみに前の配給は何年も前。かろうじて残ってるらしい政府は、とっくにわたしたちを見捨ててるみたい。

 絶望的。そんなのはみんなわかってるから、せめてわたしだけは道化を演じて、みんなを照らす電球にならなきゃ。

 笑ったわたしの頬に、冷たい感覚。

 猫のように、まりもはわたしの頬を一度なめて言った。

「――おいしい」


 そのときだった。

 ばん、と音がした。

 目を見開くまりも。

 ちゃぶ台を突き破る、太くて長くて大きなもの。

 ミミズのような、それは。


「ゲンセイ、生物――逃げ」


 ママが口にした。

 感情が追い付かぬままに――ママは、そのミミズのような化け物にパクっと食べられた。

「ママっ!」

 宙を舞うコンビーフ丼。まりもの半透明になった手がそれを包み込み――もぐもぐ、ごっくん。

「ごちそうさまでした」

 律儀だ。そう思った。それどころじゃない。

 ママは――バキバキ、もしゃもしゃ、ミミズのような化け物の肉を骨を喰らう音。思考が止まる。

 ――ママが死んだ。死んだ。死んじゃったんだ。

 咀嚼、咀嚼、そして――跪いたわたしの手に、冷たい感触。

「にげよ」

「……だ、ね!」

 ミミズのような化け物はわたしを、ないはずの目で見つめていた。

 息を呑んだ。唾をのんだ。ガタガタ震える身体を引きずって、わたしは逃げる。


 草の生え散らかした、家と村を繋ぐ唯一の道。雑木林をかき分け、逃げる。逃げる。逃げる。

 地響き。土の中を這う化け物の気配。詰まりそうな息。必死に呼吸する。

 くさい。くさい。切れる息。嗚咽、しそうになる。おえっとえづく。

 ――村に逃げれば、きっと、誰か助けてくれる、はずだから。

 後ろを見ると、緑に紛れて涼しい顔をしたまりもがいた。

 なんで。なんでこの子は、そんなに平気でいられるの。

 一瞬、彼女が化け物だってことを忘れそうになっていた自分に気付く。

 人じゃない生き物だから、なのかな。目の前で人が死ぬなんて異常事態を、そんなに冷淡で冷静な目で見られるのは。

 この世界において、人の死が「異常だ」って思った自分がおかしいのかもしれない。

 すーはーすーはー。過呼吸気味になってる。笑え、笑うんだわたし!

 村の明かりが見え――悲鳴が耳に飛び込んだ。

「あ、は」

 口角が上がるのを感じた。

 まるで色褪せた写真が連続するように、コマ送りで、目の前の光景が過ぎる。

 火の手。悲鳴。悲鳴。笑顔が意味をなさない――地獄。


 村は無数のミミズ型の化け物が襲っていた。


 赤黒いものが散乱する。

 何が何かもうわからない。誰が誰なんてもうわかったもんじゃない。

 ここは、化け物たちの陰惨な食事会。会場は混乱の渦。大人も老人も関係なく、救済いをもとめ、悲鳴のクラシックを奏でる。

 わたしはそれを、棒立ちで見ていた。

 ――おかしくなるくらい絶望したときって、無理しなくても勝手に笑えてくるんだね。

 ああ、いままで無理して笑ってたんだ。今になって――今際の際で初めて気づく。

 目の前にミミズのようで違う化け物が、牙の生えた口を開けて迫る。

 こわいや。こわいけど――もういいや。みんなと死ぬならそれでもいいや。

 さよなら、わたしの小さな世界。

 わたしは震える体を土に委ね、上がり切った口角のまま苦しくなるほどの呼吸をして、来たるべき最期を待った。


 こんなときでも、生きたいと思ってしまう本能に嫌気がさした。

 こんなにも、苦しい――苦しいという言葉すら、辛いという言葉さえ、生温く感じるくらいなのに。


 いつまで待っても、来たるべき痛みは来なかった。


 妙に落ち着いてきた。バクバクと鳴る心音の感覚は少しずつ平常のそれに戻ってきて、地獄のような轟音も鳴りを潜めてきた。

 目を開けるのが怖かった。あのバケモノがいるかもしれなかった。

 ――やがて、風が柔らかく木々を揺らす音が聞こえた。

 はぁ、はぁ。荒い息の音が聞こえてきて――おそるおそる、目を開けた。

 木々、星空。体を起こす。

 陰惨な食事跡は夜闇のベールで覆い隠されていて。

 星空のライトが、「彼女」の半透明でエメラルドグリーンの身体をてらてらと照らす。

 わたしはただ見つめることしかできなかった。

「――だい、じょうぶ? くろ」

 体中の痛々しい傷跡から半透明の緑色のスライムを垂れ流しながら、わたしの名前を呼んで微笑んだそれは。

 ――まりもという名前を持った、ばけものだった。


    *


「なんで、わたしだけなの」

 村はずれのボロボロの古民家。わたしは自分の部屋でうずくまりながら問いかけた。

「なんで、わたしだけ生き残ったの。みんなみんな――わたしのしってるみんな、みんなころされたのに」

 どうして、こうなった。

 ざぁ、と風が木々を揺らした。

「こんびーふ、くれたから」

「じゃあ、ママを助ければよかったじゃん。ママなら、きっと備蓄とかを考えてもっといい食事を作ってくれたはず」

「くれたのは、くろだから」

「ほかの長老とかを助けたほうが、ぜんぜんいい食事ももらえたと思う。お米もいっぱいあったし、備蓄もいっぱいあったはずだよ? それなのに――」

「そうじゃなくて!」

「そうじゃないならなによ。わたしなんて、わたしなんて――笑うしか能のない、ゴミ屑なのに!」

「ちがう!!」


 傷どころか服――きっと、制服の部分も自分の身体で形成していたのだろう――も回復したまりもが、わたしを背中から抱きしめる。

「……くろが、やさしかったから」

「優しかったから、なに?」

「まりもも、くろ、だいじだって、おもった」


 たどたどしい言葉に、笑うことすらできなくなったわたしは、ただ俯いて。

「だいじなの、だけは、にどと、なくしたくないから」


「だいじ、まもれて、よかった」


 ただ俯いて、涙を流すしかなかった。


 完


    *


初出:2023/07/20 小説家になろう・pixiv

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