おねしょな私のお泊り会
「ねぇ、今日、わたしのお家でお泊り会しない?」
顔を朱に染めた彼女から告げられたのは、私にとっての葛藤の始まりだった。
「ちょっ……保留でっ! 今日中には答えだすからっ!」
叫んだ私に、彼女は「う……うん」と引きつった笑みでうなづいた。
私は内心で叫んだ。
「やっばいよどうしよおぉぉぉぉ!!」
「なに叫んでんのサミエル」
「いつも言ってるけどサミエルって誰!?」
幼馴染のツッコミにツッコミを入れつつ、私はため息をつく。
「で、なにがあったの、ささみ」
「彼女の家に招かれることになった……。ってか私は鶏肉じゃないわ」
「で、そのことに何の問題が? 酢酸サーミン」
「おねしょが治ってないの……。つーか未知の物質作んないでいい加減私の名前言ってよ」
「ごめんごめん。まだ夜のおむつが外せないんだっけ。かわいい沙美ちゃん(笑)」
「笑うなぁぁぁ!」
こほん。今のやり取りでだいたい説明しきった感もあるけど。
私こと
……でも、今は由々しき問題が私と彼女の前に立ちふさがっていた。
この年になってもおねしょが治ってないなんて……そんな恥ずかしいこと知られちゃったら、あの子はきっと私を笑うんだろうな。
いくら好きな人でも、いや、好きな人にだからこそ、悪いところは見せたくない。だって、嫌われたくないから。
「ヤバいマジでどうしよ……」
呟くと、幼馴染は私に、語調を強くして問いただす。
「沙美は行きたいの行きたくないの」
「そりゃ行きたいけどさー」
「じゃあ行きゃいいじゃん。万難を排してさ」
「その万難が万難すぎるんだよ!!」
「おねしょしなきゃいいじゃん」
「それができりゃ苦労はしないっての!!」
おねしょなんて、するもしないも神様と膀胱様の気まぐれだし。というか毎晩しちゃうものだからどうしようもないし。
「逆に、普通の人はなんでおねしょしないのかが不思議でたまんないよ」
「それあんただけだと思うわ」
少し泣きそうになりながら、私は案をひねり――。
「何にも思いつかなかったよ!!」
「ドンマイw」
「単芝生やすなっ!」
というわけで放課後。普段は出入り禁止の屋上で、真琴ちゃんは、愁いを帯びた夕焼けの朱に顔を染めて、私が来るのを今か今かと待ち望んでいる……のを見ながら、幼馴染と作戦会議。
「おい、マジでどうすんのあんた」
聞かれると、私はため息をついて答えた。
「……今回はやめとく。だって、あの子に幻滅されたくないんだもん」
「沙美ってさ、意外と臆病なんだね」
目の前の女に言われた言葉にちょっとかっとなって。
「おっ、臆病なんかじゃないわい!」
言い返してみたら。
「じゃあ、とりあえず行ってこい!」
背中を押された。
屋上に押し出された私の目に映ったのは、真琴ちゃんの花の咲いたような笑顔。あどけなくも可愛らしいその表情に、私の心臓は強く鼓動する。
「沙美ちゃん、お泊り会いけるかな」
少し不安そうな表情を見せる彼女。心にきしむような痛みが走った。
深呼吸して、酸素と勇気を肺に取り入れて、いざ。
「……ごっ、ごめん。今日は――「大丈夫。行けるよー」
自分の声が、思いもよらないことを告げる。……あのバカ幼馴染の声マネじゃん。余計なことしよって。
私は慌てて断ろうと息を吸い直すが……少し背の低い真琴ちゃんが上目遣いで向けてくる、期待に満ちたキラキラした瞳を見ると、どうしても――。
「とゆーわけで、はいっ! 地獄のお泊り会決定しましたー!」
「いえーい。ぱちぱちぱちー」
「わーいひゅーひゅー……って、どこもめでたくないんですけどこの状況ッ!」
真琴ちゃんが去った後、屋上へ向かう階段の踊り場で、私は叫んだ。
「おねしょしちゃうのを隠し通すなんて難しいことこの上ないって……。しかも、今日だよ。この日、今すぐにだよ!」
「じゃあ、なんで断らなかったのさ」
「……あのキラキラした目を、あの期待と希望に満ちた純真無垢な瞳を、裏切れるわけがなかろう……」
ため息をつく私の肩を、幼馴染は抱いてくれて。
「まぁ、しょうがねぇじゃん。あとは、なるようになれだ」
「……だね。ありがと。頑張ってみる」
「ああ、頑張れよ大天使サミエル様w」
「いやだから誰だよそれ!?」
……でも、おかげで元気が出た。いったん家に帰って……おむつを持ってから真琴ちゃんの家に行こう。
深呼吸して、行動を始めた。
インターホンを鳴らすと、愛しき彼女のエンジェルボイスが「はーい」って出迎えてくれる。
開かれた玄関のドアからはピンクのワンピースに身を包んだ真琴ちゃん……。
「かわいい……」
「ふぇっ!? ……沙美ちゃんのがかわいいって……」
そんな言葉の掛け合いが挨拶よりも先に出てきてしまうとは。やっぱ愛の力ってすごい。
そんなのはおいといて。
早速彼女の家に入ってみる。
中は一般的な中流家庭……と言いたいところだが、こんな二階建てのそこそこ広い家なんて、都会にそうそうあるものではない。
廊下からリビング、階段までもとても広々としている。しかも、結構広々とした部屋がいくつか余ってるとまでいうのだ。つまるところ、結構な豪邸なのである。
「ゆっくりくつろいでてね。ちょっとお茶入れてくるから……」
招かれた部屋は、ピンクなどを基調とした、お姫様のような「カワイイ」を演出した空間。真琴ちゃんのイメージにぴったりな気がする。
あのクローゼットの中には、きっとお姫様のようなかわいい服がいっぱい入ってるんだろうな……なんて考えてみたりして。
でも、どこからともなく消臭剤の香りが鼻をつく。それが程よい生活感を醸し出していて――なんてことを考えてるうちに、部屋の主が戻ってきた。
「おまたせー……沙美ちゃん、クローゼット開けた?」
「いや、開けてないけど」
それだけ聞くと、真琴ちゃんはほっとしたように、お茶をテーブルに置いて腰を下ろした。
「じゃあ、お風呂の時間まで一緒にお話ししよう」
微笑む私のスイートハニー。私は夢見心地で「うん!」とうなづいた。
それからは特に何もなく、幸せな時間を過ごした。
時々真琴ちゃんがぶるりと震えたように見えた気もしたけど……寒がりって言ってたっけ。だからなのかなぁ。
ともかく、お風呂の時間になって。
「……ねぇ、沙美ちゃん。お風呂、先に入っててくれる?」
「えぇ~。どうせだし、一緒に入ろうよ~」
とにかく真琴ちゃんと一緒に居たくて、考えなしに言ってしまった。すると、真琴ちゃんは「えっ……」と顔を真っ赤にして。
「うっ、うん。……そうだね。……一緒に、入ろう」
ゆっくりと、か細く震えた声で、言った。
そして、二人で脱衣所に行き、私は服を脱ぐ。
その間、真琴ちゃんは息を荒くして震えていて。
「……脱がないの?」
聞くと、真琴ちゃんは小声で。
「あは、はは……。そう、だよね。ぬがないと……だめ、だよね……」
うわごとのように呟いて、深呼吸。そして、意を決したように、今まで着ていたピンクのワンピースのチャックが下ろされ。
その布がすとんと床に落ちた時、私は目を疑った。
「……それって」
「そうだよ。……おむつ」
黄色く垂れ下がったその下着は、排せつのコントロールができない赤ちゃんのためのもの。
「わたし、生まれてこの方、おむつが外れたことがないんだ。……正直、笑っちゃうよね。この年でおむつなんて」
自嘲する彼女。憂鬱な雰囲気が漂いだし……そうになったところで、
「ぶっ……ははははははっ……」
私はつい吹き出してしまった。
真琴ちゃんはため息をついて。
「……そうだよね。わたしはおかしい……」
「違う違う! 私とおんなじでびっくりして! はっははははは……」
「……え?」
キョトンとした顔をした真琴ちゃんに、私は正直に告白した。
「私もね、まだおねしょしちゃうんだ。夜はまだおむつ。……ほら、一緒じゃん!」
「……でも、わたしは昼間もだよ?」
「五十歩百歩ってやつだよ多分! あー……言うかどうかとか迷いまくって損したわー……」
私は笑ってから、真琴ちゃんに手を差し出した。
「ほら、とりあえずお風呂入っちゃおうよ。重たくなったおむつを脱いで、さ」
「……うんっ!」
「で、美少女サミーちゃんの悩みは杞憂に終わったってわけね」
「そゆこと。その美少女サミーちゃんってのはだれか知らないけど」
幼馴染の声が、私に語り掛ける。
「……楽しかったかい」
「うん! 私のおむつをかわいいって言ってくれたりとか……あとね、一回おもらししちゃってね、結局おそろいのおむつで寝ることになっちゃったりとか」
「ふぅん」
「でねでね、今度デートすることになったんだ。おむつデート! うへへ……その約束したときの時の真琴ちゃん可愛かったなぁ……うれしょんしてたっぽいのも最高……」
「ちょっと待て変態ここで惚気るな。本人が隣で寝てるんだぞ」
私は一人、ふふふっと笑い。
「……でも、背中を押してよかったよ」
脳内に聞こえる声は次第に薄くなっていく。
「あんたがいてくれたおかげで、真琴ちゃんとの仲がさらに深まった気がする」
「いや、沙美一人の力だよ。全部」
「……そうかも。でも、ありがと」
お礼を言うと、脳裏に浮かんだあいつの顔が、にやりと笑った気がして。
「おはよう……。沙美ちゃん、誰と話してたの?」
「いや……なんでもない。おはよう」
妄想の中の幼馴染に、おやすみと心の中で告げながら。
「シャワー先に貸してもらっていい?」
「うん……でも……」
「そうか……真琴ちゃんも失敗してたんだね」
「んもう!」
香る二人分の失敗のにおいを吸い込んで。
「じゃ、一緒にシャワー浴びようか」
私は、小さく笑った。
*
初出:2020/06/17 小説家になろう・カクヨム・pixiv・ノベルアッププラス
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