ひとり旅する女の子、今宵も変わらず寝床を濡らす

 赤い髪の少女が、怒声を上げながら目の前の巨大なオオカミのような異形――マモノに向かって駆けていく。

 その手に光が収束し、やがてその小さな身の丈にはとても合わないような巨大な大剣が現出したのは、そのわずか三秒後のことだった。

「はあぁぁぁぁぁぁっっっ――――っ!!!」

 気合一閃。

 その質量を叩きつけるように豪快な大振りで振るわれた剣。放たれた光がマモノを侵食するようにして――次の瞬間、目の前の脅威は跡形もなく消え去っていた。


    *


「すごいですっ! 助けてくれてありがとうです!!」

 小柄な女の子が、木陰から私に向かって駆けてきて、お礼を言う。

「いやいや、当然のことをしたまでだよ」

 なんて澄ましてみると。

「ちなみに、お名前は?」

「……アイラ。君は?」

「ミィです!」

 栗色の髪をしたその女の子――ミィが元気よく告げると、私ことアイラは笑顔を浮かべて。

「じゃあ、私はこれで……」

 この場から立ち去ろうとしたところ、服の裾を強くつかまれた。

「ミィもいっしょに行きたいですっ! アイラさんの強さの秘密、学びたいですっっ!!」

 そういってミィは瞳を輝かせ、私にしがみつく。だけど、私は少しだけ目をそらした。

「だめ。ついてこないで」

「なんでですか!?」

 ミィが驚いたかのように聞いて、私はもじもじしながら言い訳を考えて。

「…………なんでも!」

 やけくそになって叫ぶように答えた。

「じゃあ、近くに町があるから、そこまででも!」

 なおも食い下がるミィのその言葉に、私の耳はびくりと反応した。

「ち、近くってどのくらい!?」

「え、ここから歩いて……だいたいお日様が沈むころにはつくくらいです」

 しめた。町なら旅の道具とか保存食も買い足せる。なるべく倹約はしてたけど、そろそろ心許なくなってきたところだし。

 ……がバレるのは嫌だから、宿屋には泊まれないけど。

「わかった。その町まで、ね」

「やったぁ!」

 こうして、二人は歩き出したのであった。


 やがて二人は小さな町――町、というよりかは農村に近いような、畑もあるとても素朴で小さな町へとたどり着く。

「じゃあね、ミィちゃん」

「はいです! また明日、なのです!」

「いやいや、もう会わないから……」

 さよなら、と言いながら手を振ると、二人はそれぞれ別の方向へと歩いて行った。


    *


「いっぱい買った……」

 もう暗くなって人もまばらになった町。その外に出るための道を、独り言をつぶやきながら歩いていると。

「あっ、アイラさん!」

 こちらに向かってくる小さな人影。まさか。

「ミィちゃん! なんでこんなところに!?」

「うちの宿屋、お塩が切れちゃったからおかいものに行ってて……アイラさんは?」

「ああ、そろそろ次の町に向かおうかと思って」

 というかミィちゃんって宿屋の娘だったんだ。心のなかで呟いたら。

「でも、もう遅いし、うちで泊まってかないですか?」

「えっ」

 私は驚きに声をあげた。


 それからはもう大変だった。

 ミィに引っ張られるように宿屋につれていかれると、彼女のお父さんとお母さんが「娘がご迷惑をおかけして……」「お詫びといってはなんですが……」なんて言うもんだから。

「お世話に……なっちゃった……」

 いま、私はふかふかの布団に寝ている。

 どうしよう。もししちゃったら……いや、もしじゃなくて絶対やっちゃう。

 多分、ミィちゃんを幻滅させることになるだろうな。

 しかし、その布団はあまりにも気持ちよかった。

 野宿していたときの、土の布団とは大違い。ふわふわとして体を包み込んでくれるようなそれは、あっという間に私を眠りへと誘う。

「あっ……らめ……」

 まぶたは閉じていき、意識が途切れるまで、そう時間はかからなかった。


 **********


 コンクリートの街が、燃え盛る。

 ごうごう、ごうごう、ごうごうと、ふるさとの街が燃えて消えていく。

 マンションの十階、燃える町並み、迫る火の手。黒い塊になったパパとママを見て。

「火、火、こわい、こわい!」

 私は半分壊れてたみたいで。

 目の前の窓、その先に火はなくて。


 窓の先に飛び降りて、どちらにしろ私は死ぬ運命だったことを悟った。


 次の瞬間、私は黒い空間に立っていた。

「ここ……どこ?」

 呟くと、目の前に真っ黒に光る玉が現れて。

「お前の精神世界こころのなかだよ」

 玉が喋った。しかし、もうそんな非常識な状況に構ってはいられず、思わず質問攻めしてしまう。

「……パパは、死んだの?」

「ああ。死んだ」

「ママも、死んだの?」

「死んだよ。見ただろ」

「みよちゃんや、かやちゃんも?」

「死んでる、だろうな」


「……私も?」

「そうだな。死んだ」


 涙が、ぽろぽろ。こぼれ落ちる。

「そう、なんだ。みんなみんな、死んじゃったんだ」

「おいおい、漏らしてるぜ」

 上からも、下からも、雫がこぼれ落ちていた。感情が、抑えられなくなった。

「もっと、生きていたかった、なぁ……」

 泣きながら、私はそんなことを口にして――。

「そんなお嬢ちゃんに朗報だぜ。――お前は、もう一度生きられる」

「ふぇ?」

 思わず、顔をあげた。

「ただし、条件付きだ。まず、そもそも別の世界に生きることになるぜ。しかも、その世界に巣食う怪物マモノを倒さなくちゃならねえ」

「……」

「その怪物を倒せる武器はいまここにあるやつしかねぇ。お前にしか世界は救えねえ」

 私は黙って、説明を聞く。

「だが、それを使うと、代償として、尿が我慢しにくい体質になる。おねしょも毎晩するようになるし、度々漏らしたりもするだろうな」

 その説明は耳を通り抜けていて。もう一度生きられるという希望だけが、心を支配していて。

「それでも、いいか?」

「うん……私、もう一度、生きる。そのためには、なんだってするから……!」

「契約、成立だな」

 目の前がホワイトアウトして――。


    *


 次の瞬間、目が覚めると、布が下半身に貼り付く感覚を覚える。

「……やっちゃった」

 やっぱり、なんて言葉が脳裏に浮かぶ。

 この世界に来たときのことを夢に見たのだ。

 マモノを倒す力の代償。それがこんなにも恥ずかしくて面倒なことだったなんて、あのときは思いもしなかった。

 前の世界にはあった「おむつ」という恥ずかしい選択肢が、今ではとても魅力的なものに思える。

 この世界にもあるにはあるけど、自分ではつけられないような、いわゆる「布おむつ」しかないらしく、一人旅にはとても持っていけない。だから、毎晩土の上に眠り寝床と服を濡らす生活を送っているのだ。

 ……以前、仲間になってくれた人は、みんなこれが原因で離れていって。

 気がつけば、二年近く、一人で旅して暮らしてたんだ。

 ううん。今はそんなことどうでもいい。

 私は首を振って、夜中の失敗を吸収して重たくなった布団を片付けようとした、その時。


「ウォアァァォァア!!」


 雄叫び。あれは……マモノだ。私の直観が叫んだ。

 町中に現れたのか。こうしちゃいられない。

 私はびしょびしょに濡れた下着とパジャマを脱ぎ捨て、新しい下着とシャツ、スカートと、最低限外に出られるような服装に着替えて部屋を飛び出した。


 果たして、外は大混乱であった。

 建物はおおかた抉られるように壊れていて、壁の間に垣間見える人々は怯えるように肩を寄せあう。

 そして、その奥のほうに、それはいた。

 誰かが立ち向かった跡が見える。新しい血の臭い。

 巨大な虎のような外見のマモノが、そこにいて。

 その奥に、ミィちゃんがいた。

「アイラさんっ!」

 その女の子の下には水溜まりが、今も広がり続けている。そして、その腕は怪我をしていて、黄色い水溜まりに血が滴り落ちていた。

「ミィちゃん! 大丈夫!?」

「大丈夫……だから、逃げて!」

 ……逃げたいよ。でも――これを倒せるのは、そこの泣いてる子を助けられるのは、私だけだから。


「お前の相手は、私だ!」


 マモノに、吠える。この怪物を唯一倒せる、私の魂に刻まれた呪いの剣を現出させて。殺意を向けて、吠えたのだ。

 虎のようなそれは、四本足をこちらに向け、突撃の体制をとり、私は剣を構えて――化け物は動き出す。

 加速するマモノ。殺意と殺意がぶつかり合い――


 果たして、獰猛どうもうな牙は避けられ、剣がマモノの胴体を切り裂いた。


 切り口から光が溢れ、それがマモノの体を侵食し――やがて、光の粒子になって、消滅した。

 私はほうっと息を吐くと、剣もまた光の粒子になって空気に溶ける。

 終わった、終わったんだ。

 深呼吸して気を緩める……が。

「……っ! やあ……んっ……」

 声が、漏れる。気と一緒に尿道まで緩んだみたいで……足を、熱い液体が伝う。

 思わずスカートを押さえた、が、それが悪手だったことに、手の濡れる感触で気付く。

 スカートも、濡れて、ぱんつも……。

「……アイラ、さん……おもら、し……?」

 そう、それは完膚なきまでに「おもらし」であった。

 ああ、ミィちゃんに、恥ずかしい秘密を知られてしまった。私に抱いた憧れは見事に消え去るだろう。それどころか、赤ん坊みたいだって馬鹿にされて――。

 しかし、そんな勝手に抱いた恐怖を打ち消すかのように、少女は私を抱き締めた。

「……汚いよ、ミィちゃん」

「それは私もおんなじなのです」

「幻滅したでしょ? 私がおもらしっ子だったなんて、おねしょも治らない、赤ちゃんみたいな女の子だって……」

「でも、さっきのアイラちゃんはカッコよかったです」

 溢れる涙。ミィはそれをあやすように続けた。

「むしろ……それを見て、聞いて、『アイラちゃんもやっぱり、ミィとおなじ女の子なんだ』って安心しちゃったです。完璧じゃないんだって……手の届かないような遠い人じゃないんだって……」

 感極まったみたいに、ミィは肩を震わせて。

 私は、優しく少女を抱き返した。

「ありがと、ね……。こんな私を、受け止めて、くれて……」

 私たちは、服を濡らして水溜まりを作りながら、抱き締めあって、互いを暖めあった。

 いつまでも、いつまでも――。


    *


「じゃあ、さようなら。二日間も、お世話になりました」

「いいのよ。こっちこそ、うちの娘がご迷惑を……」

「いえいえ、迷惑をかけたのはこっちですし……」

 宿屋の軒先。その宿の奥さん、すなわちミィちゃんのお母さんにお礼をいう。

 あれから、濡らしたものの洗濯やら復興作業のお手伝いやら……あと、ミィちゃんの要望もあって、もう一日だけこの町に滞在することになったのだ。

 もちろん、おねしょ癖なんかもバレてしまって、ちょっとからかわれたりもしたけど、ミィちゃんのお母さんは「よくあることですから、気にしないでくださいね」なんて笑ってくれて。

「今度この町にきたら、またうちで泊まっていってくださいな」

「ええ、そうします」

 すっかり、この町が気に入ってしまった。

 またいつか、この町に来よう。心のなかで決めた。

 これから、またあてのない一人旅。でも、少しだけ寂しく思ってしまって――。

「ああ、そういえばね、カバンの中におむつも入れておいたからね」

 その言葉に、一瞬、驚いてしまう。

「おむっ!? え、なんで? 一人じゃつけられないし……あと恥ずかしいし……」

「いいのよ。うちの子も去年までこれ無しじゃ眠れなかったのよ。お下がりだし、遠慮なく使ってね」

「えっ……あの、だから一人じゃ」

 なおも食い下がると。

「ミィ、準備はできたかい?」

「は、はいっ!」

 なんでここでミィちゃんが?

 しかし、建物の中から出てきた少女が背負った大きな荷物を見て、察した。

「アイラちゃん。できれば、アイラちゃんの旅路に同行させて欲しいのです。弱くて、出来ることも多くはないですけど……」

 少しだけさらに驚いて、しかし、いまや親友といっても過言じゃないくらい仲良くなってしまった彼女の、決意の炎が点った瞳を見て、私も腹をくくった。

「この旅は、きっととっても危険なものになる。何処にいくかもわかんないし、でも確実に化け物に襲われる。もしかしたら、死ぬかもしれない。それでも、行く?」

「もちろん、承知の上なのです。それに……いざとなったら、アイラちゃんが守ってくれるです。だから、大丈夫なのです!」

 そんなことを言いながら、ミィは笑い。

「わかった。じゃあ、行こう。どこかへ」

 私も笑って。

「うん、なのです!」

 私たちは手を繋いで、歩きだした。

 行く先は、あてのない果てしない旅路。孤独じゃなくなった、その先の未来。


 二人の旅路、今宵もまた、少女は寝床を濡らすのだ。

 親友を抱き締めながら、幸せそうな笑顔で。

 孤独な少女は、そこにはもういなくなっていた。


   *


 初出:2020/08/21 小説家になろう掲載

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