第6話 土方歳三の初恋 ②
「総司【天天】を知っているか?」
「江戸にいてあそこを知らない人いますか?」
「天ちゃんでしょう?名物ですよ。お江戸のビーナスですから」
「ああ、友達だったんだ」
「……ああ、そりゃあさぞカッコよかったでしょう。で口説かなかったんですか?」
「黒船に乗っていっちまったよ」
「え?」
「【天天】でパンケーキとかいう食べ物があったのを知っているか?」
「食べたことあります。美味しかったですから」
「俺もある」
土方さんは遠い海の向こうに思いを馳せているようだった。
「うち……海の向こうに行ってくる。あんたも幸せになるんよ。歳ちゃん……」
甘胡の声がした。
俺の初恋だ……。
「バイバイ」
「ひさしぶりに行ってみないか。総司」
「……」
俺は何も言わずに縁側からたった。今は道を歩けば周りがよけて通る。
「人切り集団や」
ガタガタと椅子から立ち上がり砂利道を足早にかけていく。俺たちに出くわさないようにと、皆さっさと家に引っ込んでいった。
【天天】俺たちは暖簾の前で止まった。
「いらっしゃい」
入ってきた自分たちを見て客が震えだす。
「招かるざる……か」
踵を返して出ようとしたその時天ちゃんの声がした。
「帰らんでもええやんか。久しぶりやね歳はん」
跳ねるような綺麗な声は昔と変わらない。俺は18のあの頃とは変わった……。
変わらないのなんかこの目の前の妖怪天狐位か……。
周囲の目は天狐に注がれて、皆一様に余計なことをという顔をしていた。
「人斬り集団とか言われてるようやけど、うちは知っとる。元々凄い優しかったやない」
「何を言っているんだ天狐ちゃん……」
「ほんまやで。この人まだ試衛館に入る前からこの辺りに居たんやから。うち友達やったんよ」
この人は土方さんの何を知っているんだろう。
「あんたさー、ずっとカンチャンのこと見守っとったやない。それなのにぐずぐずしとるから持ってかれてしもうたよ」
「知っている」
見目もよく声もよく背格好は今時の男の中では群を抜いている。
「一年後ここに寄ったんよ?」
「それも知っている」
「バカやね……」
土方は寂しそうに笑った。
「俺はあの時動けなかった。剣術もままならず、好きな女が斬られるかもしれないのを見ているしかなかったんだ」
「しょうがないやないの。力がなかったんやから……カンチャンだって恨んどらんよ」
天ちゃんは真面目な顔をして言った。
「ああ、しょうがなかった。でもしょうがないと思った段階で負けている。あの時、俺に力があったらと、後悔しない日はない。でも……きっとあいつは……幸せなのだろう?」
「歳はん……」
天狐は思い出していた。おそらくはきっと……両思いであったはずの二人。
「今日はそれを確かめに来た」
土方歳三の意地なのか。
「伝言……預かっとるよ。もう10年、忘れそうやったわ」
「伝言?」
「ああカンチャンからや」
入り口にたったままの土方は、静かなオーラを纏い黙ったまま聞いている。
『歳ちゃん、好きな人は出来たんか?今度はもう……譲ったかんよ』
欲しくて仕方がなかった甘胡が今俺の目の前にたっている。幻影でもこれ程幸せなものなのか……。
あの日掴めなかった掌は、伸ばせばすぐそこにある。
小さすぎて手に入れられなかった最初の恋は甘胡の嫁入りでくだけた。
18にもなったのに、やはり力がなくて失ってしまった二度目の恋もやはり甘胡だった。
『欲しいと言えるようになったんか?歳ちゃん』
「ああ……だから、試衛館に入った。今度は守りたいものは譲らん」
俺は甘胡の後ろに総司をみた。
「で、今の守りたいものは何?」
天ちゃんは聞いた。
「……さあ、なんだろうな。いつかあの世で教えてやるよ」
土方は優しく笑い、海の彼方を見つめた。
幸せなんだな。良かったよ……甘胡。
次回 沖田総司編 浅葱色の恋
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