第3章 ⑬余計なお世話のせいで

「別れちゃいました」

「おい嘘だろ? いつ? どうして? なんでだよ」

「本当です。ユーゴさんに蛙の目だと言われた前の日の日曜日。理由はよくわかりません。でももしかしたら、いえ、きっと好きな人ができたんだと思います。樹はとうとう本当に好きな人に出会っちゃったんですよ」


楓はまたジョッキをグイとあおった。初めて目にする雄々しい飲みっぷりだった。


「もしかして蛙の目は失恋して泣きはらしたせいだったのか?」


ユーゴは頭の中の記憶をそのときまでチャカチャカと巻き戻す。

その失恋の日の前日は、まさにユーゴが樹に効果的なはっぱをかけた、かけたつもりの日だった。どういうことなのだ。

あの時、樹が楓のことをどう思うかと聞いてきたのは、ほかに好きな女性がいたからで、ユーゴに楓を譲ってもいいよということだったのか。ユーゴの嘘話に特に焦る様子がなかったのはそういうことだったのか。


ハッパ全然かかってなかったじゃないか。

ユーゴは顔を顰めた。


「どうして樹に好きな人がいるってわかったんだ?」

「樹と会った前日、樹と彼女が腕を組んでいるところを偶然大学時代の先輩が見つけて写真を撮って送ってくれたんです」

「前日?」


前日は確か――ユーゴはまた記憶をチャカチャカ巻き戻す。


「そうです。私には仕事だって言っていたのに」


楓は胃が痛むかのようにみぞおちのあたりを手で押さえた。


ユーゴは鞄からスマホを取りして画面をクルクル動かると、それってもしかしてこいつ? と写真を楓に突き出した。


「あっ! そうこの女性です。ユーゴさんも知っている人なんですか?」

「まあな」

「ひどい。教えてくれればよかったのに」


肩を丸め一回り小さくなったような楓にユーゴが明かす。


「従妹だよ」

「はい?」

「俺の従妹で樹の妹。その写真は彼女が仙台から東京に出てきたとき、確か樹とランチに行った時の写真だよ」

「え、じゃあ私が振られた理由はなんですか?」


俺に聞くなよとユーゴが苦笑する。


「そんなに長くつきあっていたのに理由も聞かないまま別れたのかよ」

「それはそうですけど」


ユーゴにせがまれ、楓が樹との最後のやりとりを聞かせると、ユーゴは腕組をして首をひねった。

そして唐突に「なあ、俺が海外の赴任先に人生のパートナーとして一緒に来てくれないかって告白したらどうする?」と探るような目で楓に聞いてきた。

楓も探るような視線をユーゴに返し「行きます」と答えた。


「ええ!」


ユーゴの声がそう広くない店内に響き渡る。顔には驚きと強い困惑が伺える。


「なんて言うわけないでしょう」

「だよな」


ユーゴはふうと息を吐き出した。


ユーゴはずけずけものを言うし無駄な遠慮もしないけれど、相手の気持ちをとても気遣う人間だ。もし、本当に楓に好意を抱いてくれていたとしても、このタイミング――樹と別れたと報告したタイミング――で、それなら自分と付き合わないかなんて誘ってくるような人ではない。それくらい楓は知っている。


「なんでそんな思ってもいないこと言うんですか?」


単にからかっているならかなり悪質だと睨んでやった。

ユーゴは慌ててごめんと謝り「実は」と、沙耶から頼まれて樹と楓の仲を進展させるために芝居をうったことを告白した。


「じゃあ他の人と一緒にいたいならそれでいいなんて樹が言ったのは、私がユーゴさんに心移りしていると勘違いしてたってことですか? 他の人ってユーゴさんのことを指してたってことですか?」


いくらなんでもそれはないだろうと、楓はユーゴに詰め寄った。


「けど樹はなんで俺の話をうのみにしたんだろうな。いつも俺の話に疑り深い樹が楓ちゃんに確認しもせずに。て、だました俺がいうのもなんだけど」

「そうですね、だましたユーゴさんに言われてもむかつきますけど、樹は私のこと全然信じていなかったってことですかね」


悲しい、空しい、恨めしい、そんな思いをこねて丸めた大きな塊が胸につかえ、楓はうなだれた。

ユーゴが目の前の枝豆に手を伸ばす。

樹も枝豆が好きだった。長くて骨ばった指で緑のサヤをキュッとつまんで食べる姿を思い出し、楓はしゅんとした。


「で、そこで楓ちゃんはなんて返事をしたんだったっけ?」

「そこって?」

「他の人と一緒にいたいならそれでいいって言われたとき」


楓はその時の会話を思い起こす。


「それって別れてもいいってことかと聞きました」

「なるほど。それだと俺と付き合うために別れてもいいのねって、樹に承諾を得ているみたいでもあるな」


ユーゴはうーんと唸りながら腕を組む。


「そんな。私は樹に新しい彼女ができて別れたがっていると思ったから、私とはもう別れちゃってもいいのねって念を押したんですけど」

「そこだよ。楓ちゃんだって樹にちゃんと聞けばよかったんだよ。好きな人ができたのかって。すごいな、こんなに長く付き合っているのに勘違いし合って別れるなんて」


冗談ではない。親切心とはいえ、ユーゴたちの余計なお世話で楓の絶対の証明が幕を閉じてしまったのだ。


「感心してる場合じゃないです。勘違いの種を蒔いたのはユーゴさんですから。もうどうしてくれるんですか」


楓はごつんと音をさせて木のテーブルに額を落とした。

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