第3章 ②これって普通ですか?

「ユーゴさんて家で食事しないんですか?」


楓はユーゴとタイ料理の店でトムヤムクンのスープをすすっていた。辛みと酸味のバランスが絶妙でスプーンが止まらない。


7月に入ってようやく梅雨が明け、じめじめした鬱陶しい天気から解放されたと思ったらいきなり猛暑に見舞われその暑さにげんなりしていた。暑いときには辛いものに限るというユーゴのチョイスは正しく、冷えたシンハービールの喉越しも最高だ。


「たまにはするよ。でも誰かと食べたほうが楽しいじゃん」


見かけによらず寂しがりやのユーゴがタイの鶏焼ガイヤーンを口に入れたとたん旨い! と叫ぶ。


「それにしても今週は月曜から3日連続で一緒にごはん食べてますけど。もしかして私のこと好きなんですか?」

「もちろん好きだよ。楓ちゃんといると楽だし居心地がいい」

「ああ、ときめかない相手だと逆に気を遣わなくていいですもんねー」

従弟

楓もガイヤーンに手を伸ばす。樹の従弟で会社の上司で、共に恋人に置き去りにされて一緒にクリスマスを過ごした仲だ。楓にとってもユーゴは恋愛でも仕事でも人生でもなんでも相談できる上に、世にも美しいピンク色のカエルが発見されたとか、中国で山男の足跡が見つかったらしいとか、そんな話で盛り上がれる数少ない一緒にいて楽しい相手だった。


「そういえばさ、俺らが付き合ってるって勘違いしてるやついるみたいよ」

「えっ!」

「大丈夫だよ。うちの会社、社内恋愛タブーじゃないし」

「そういう問題ではなくて。勘違いされても困るじゃないですか」

「なんで? 困ることある?」


そう改めて聞かれれば、楓が樹と付き合っていることはユーゴも知っているわけで、樹は楓がユーゴとちょくちょく会っていることを知っている。もとはと言えば樹の予定が合わないせいでいつも2人になってしまうからだしもちろん樹は2人が頻繁に会っていることなど気にかけていない。なんならほったらかしの彼女をケアしてくれて感謝の念さえ抱いているだろう。樹以外の人間にどう勘違いされても別に困ることはない。


「そう言われればないですね」

「だろ。一樹とはうまくいってるんだろ」

「まあ一応。今週末会えなければ3週間会えないことになりますけど」


ユーゴとは3日連続で一緒に食事をしているというのに――と新たに運ばれてきたパッドタイに落とした視線を上げると、ユーゴが哀れむように楓を見ていた。そして残念だなと言ってスマホの画面を楓の前につきだした。


ユーゴと樹のラインのやりとりを読む。今日のユーゴからの誘いに樹は行けないとレスし、その理由は「ごめん、明日からアメリカに出張でばたばたしてる」で、さらに「いつまでだよ」「来週の火曜まで」という会話が続いていた。楓はがくりと頭を下げた。


「樹から聞いていなかったのか」と聞かれ首を振る。楓に送られてきたラインには「ごめん、今日は無理」としか書かれていなかった。


今回に始まったことじゃない。樹は自分の予定を一々知らせてこない。聞けば答えるというスタンスだ。


「ねえユーゴさん、こういうの普通なのかな」

「こういうのって?」

「聞かなきゃ何も教えてくれない。出張とか旅行とか、仕事で問題があったとか、家を出たことだって引っ越し寸前に聞いた。私は樹に何でもべらべら話すけど、きっと話さなかったら私が旅行で留守にしていようが引っ越していようが気にしないし気づきもしないんじゃないかな。これって普通なんですかね」

「普通って人それぞれ違うからなあ。俺の普通とりか子の普通だって相当イレギュラーだったし」

「だからうまくいかなかったんですよね」

「刺さるねえ」

「すみません、ビールのせいです」

「大して飲んでないくせに」

「樹のラインで急に酔いが回りました」


じゃあ俺も酔うかなと言ってユーゴは空になった自分のグラスにビールをついで一気飲み干した。そして「樹にとってそれは普通で、楓ちゃんにとっては普通じゃない。俺とりか子みたいにな。となると楓ちゃんの論理では樹と楓ちゃんもうまくいかないことになる」と濃い眉を片方上げた。


「ひどい。仕返しですか」

「悪い、ビールのせいだ」

「うそつき」

「ああ、うそだよ。樹と楓ちゃんは大丈夫だよ。楓ちゃんには樹を見守る包容力と深い愛情があるし、樹はりか子と違って余計なことは言わないけど嘘つきじゃない。それに楓ちゃんを必要としている」

「そうでしょうか」

「多分」

「そこは多分じゃなくて言い切ってください」


楓はスマホを取り出して樹にラインを送った。


『今週末は会える?』『映画見に行かない?』


自分で確認したかったのだ。少しして『ごめん、今週末は出張なんだ』という最低限の返信が届いた。どこに行くの? とかいつまで? とかなんで教えてくれなかったの? とか、普通はするであろうやりとりはしないことにした。何も返さなかった。一樹は気にしないだろう。


スマホをバッグにしまうと楓はパッドタイを自分の小皿に山盛りよそって猛烈にかき込んだ。太い麺が喉を圧迫してむせながらもかき込んだ。もうかき込むしかないじゃないか、何もかも。そんな気分で、目に涙をためながらかき込んだ。ユーゴが喉に詰まるぞと言ってシンハービールをグラスにつぎ足し渡してくれた。


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