第2章 大学生 ⑬こんなんでいっか

「待ってよ!」


楓はぐんぐんと早足で歩いていく樹を走って追いかけた。すると急に樹が立ち止まったので、楓は樹の背中にぶつかって鼻を抑えた。


「いたっ。どうして急に止まるの」

「待てって言うから」

「そうだけど。鼻血出てない?」

「出てる」

「うそっ」

「うそ。それより楓、ホテルに戻ってDVD見よう」


樹は立ち止まった横にあるTSUTAYAの大きな看板を指すとガラス張りの明るい店内に入っていった。図書館のようにたくさんのDVDが並んでいる棚を眺めながら歩き、樹は洋画の「わ」行の場所で止まった。背表紙のタイトルを目で追って、そして見つけた1枚を取り出して楓に見せた。またこれを見るのかと楓は思わず笑ってしまう。『わんにゃんレスキュー隊』。樹は3度目の鑑賞になる。


「でもここで借りたらまたここまで返却しに来なくちゃならないよ」

「あ、そうか」


楓は店に入る前に家に連絡をしたまま手にしていたスマホでTSUTAYAの店舗を検索し、「ホテルの近くにもあるよ」と教えると、樹は手にしたDVDをもとの場所に戻した。


冷房がよく聞いたTSUTAYAの店から出ると一瞬にしてむんとした空気に包まれた。夜になっても蒸し暑さは一向に衰えない。ただ、あと一息でまあるくなる月は、低い空でひんやり涼し気に光っていた。


「ねえ樹、ずっともやもやするの嫌だから聞いておく」

「うん」

「りか子さんともあのホテルに行ったの?」

「うん」

「そうか」

「気になる?」

「当り前でしょ。もっと怒ってもいいのにって自分で思う。あのさ、樹をずっと好きでいるのは私の勝手だよ。でも私は一応樹の彼女なんだから。嫉妬する権利はあると思う」

「確かに。それと一応じゃなくて楓は僕の彼女だ」

「じゃあなんか弁解するとか、なだめるとかしてよ。他の人と同じデートコースをたどるってデリカシーなさすぎ。ショックで心陥没したから」


樹は以前りか子と植物館に行き、その後りか子とホテルに行くことになったいきさつを楓に話した。そして同じコースとか意識していなかった。植物園もホテルも、ただ楓と一緒に行きたかっただけだと、楓の手を握った。


「それからは?」

「別になにも。留学先で朝飯は食べたけど」

「りか子さん、なんでわざわざユーゴさんの前で言うんだろう。きっとユーゴさんの心も陥没してると思う」

「そういうの考えない人なんだよ」


楓と樹は来た時と同じく地下鉄に乗って新木場駅に戻り、TSUTAYAでDVDをレンタルし、コンビニで買い物をしてホテルに戻った。


2度目のシャワーを浴びた後、缶ビールを飲みながら『わんにゃんレスキュー隊』のDVDを観る。前見たときと同じところで樹と一緒に笑う。そんなんでいっか、と楓は思う。『わんにゃんレスキュー隊』を見て樹と同じ場所で笑えるのはきっと自分だけだ。こんなんでいっか、と思う。

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