第十一話 見慣れた学校の渡り廊下

「ん……」

 目を開いて顔を上げる、少なくともそうしたと思える感覚があった後、僕は意識を取り戻した。

 ただし、そこは弓也くんと共にいた森の中ではなく。何もない、不思議な空間の中だった。

 周囲は足元も含めて、夕焼けに似た橙色に染まっていて。立っているのか横になっているかもわからない、不思議な感覚がした。

「ここは……」

 辺りを見回しながら、僕はぼんやりと考える。先生を殺し、弓也くんと想いを通わせながら息絶えたことを。

 だとしたらここが死後の世界、地獄なのだろうか。何というか、物語の中で語られるよりも随分と殺風景なところである。

 とりあえず、体は動かせるし、視界ははっきりしているようだが。僕は手のひらに視線を落とすと、ぎゅっと握りしめてみた。死んだせいなのか全身の傷は消え、切り落とされたはずの手も元に戻っている。

「うん、ちゃんと動く」

 握った指を、僕はゆっくりと開いてゆく。

 関節を動かし、手が完全に開き切った時のことだった。今まで何もなかったはずの手のひらから、一筋の光が迸って。

 光は僕から伸びる一本の線となり。その線に沿うように、いくつもの光が背後から伸びてくる。

 自分から出た光をよく見ると、今まで僕が繰り返して来た、林間学校の光景が途切れ途切れに映し出されていて。まるで一本の映画フィルムのように思えた。

「これは、一体……?」

 戸惑いながらも、僕が光の線を覗き込んでいると。

「やあ。お疲れ様、琴峰千早ちゃん」

 背後から、僕の声とちょっとだけ似た声が聞こえて。僕は体を動かし振り向いた。

 そこには、一人の少女がいた。年齢は僕と同じぐらいで、やや古めかしい服を着ている。そして、髪型や骨格など明らかに違うところも多いのに、彼女はどこか、僕に似た雰囲気を湛えていた。

「君は……」

「君を選んで、正解だった。僕の長年の望みを、果たしてくれたんだから」

 そう言って、少女はにやりと笑った。笑い方がどこか自分と似ていて、少々気味が悪かった。

 だが。少女の言っていることから察するに。

「お前が、僕を繰り返しの渦に巻き込んで、先生を殺させたのか」

「その通り。さらに聡明な君なら、僕が何者かもわかるんじゃないかな?」

「……十年前、先生に殺された、少女」

 僕の言葉に、元凶の少女は嬉しそうに頷いた。その笑顔を殴ってやりたい。

 だが殴る前に、一つだけ聞きたいことがあった。背後でこぶしを握り固めながら、僕は元凶の少女を真っ直ぐ見つめる。

「一つだけ聞きたい。なんで、僕に先生を殺させたんだ?」

 僕の問いに、元凶の少女は少し驚いたような顔をしてから、やれやれと両手を広げた。

「まったく、まだまだ君も初心だねえ……」

「……」

「ごめんごめん、だからその拳は下ろしてくれないか」

 僕が拳を下ろすと、元凶の少女の瞳からさっと光が消えた。笑顔はそのまま残っているのが、逆に不気味に感じられる。

「愛してるからだよ、八樹お兄ちゃんを」

「え……」

「八樹お兄ちゃんは、僕に異常なまでの躾を行う親の元から救い出してくれたんだ。愛しているって言ってくれたんだ。お兄ちゃんに愛されるのなら、それが愛の証だというのなら、僕はお兄ちゃんに殺されて埋められても構わないと思った」

「……」

「でも……僕は死ぬということがどういうことか、分かってなかったんだ」

 僕よりもやや長い髪を振り乱しながら、少女は狂気的な言葉を続ける。滲みだす感情が、執念が少女の心を、はっきりと表しているようだった。

「僕とお兄ちゃんは、死という名の溝によって決定的に引き裂かれてしまった。僕がどんなに会いたいと願って手を伸ばしても、お兄ちゃんに再び触れることは叶わないんだッ」

 僕より少しだけ長い髪をした頭を掻きむしりながら、少女は立ちすくむ僕に対して叫び訴える。

「だから、僕はこの森を訪れる人間を利用して、お兄ちゃんに僕の元へ来てもらおうとしたけど……僕が干渉できるのは、この森の中だけだったッ。どんなに頑張っても、お兄ちゃんには手が届かなかったんだッ」

 話が読めてきた。どうやら僕はとんでもない存在に、目を付けられてしまっていたらしい。

 元凶の少女は一度言葉を途切れさせて息を吸い込むと、両手で頬を撫でながら、恍惚とした表情で再び語り始める。

「だからお兄ちゃんがこの森に来たのは、『運命』なのだと思った。君という、僕とよく似た少女が一緒にいたことも……だから僕は君の手を借りて、お兄ちゃんとの再会を目指すことにしたんだ」

「それが、先生を殺すこと。僕に、先生を殺させること」

「そう。そして君は見事に、僕の望みを叶えてくれたってわけだ。改めてお礼を言うよ、ありがとう」

 返事は返さなかった。その代わりに、僕は握りしめた拳を元凶の少女の顔面に叩き込んだ。はっきりとした手ごたえと共に、元凶の少女は吹っ飛ばされ、よろめきながら顔を押さえる。

「……ま、まあ。巻き込んでしまったことに、罪悪感を抱かない、こともないから」

 何とか体勢を立て直しつつ、元凶の少女は顔を押さえていた手を離し、両手を広げる。顔からは狂気が消え去り、これから一世一代のショウに挑む、マジシャンのように愉快そうな笑みが浮かんでいた。

「足りないかもしれないけど、少しぐらいの埋め合わせはさせてもらうよ。最後にもう一度だけ、時計の針は巻き戻る。僕とお兄ちゃんがこれからそうするように、君もあの森弓也という少年と、時間をかけて愛し合うといいさ」

 少女の言葉に、僕は小さくため息を吐きだすと、同じような笑みを浮かべて見せた。

「……時間が戻ったら。あの告白も消えるって、分かってるくせに」

「……ばれたか。ま、君次第ということだよ、頑張りたまえ」

「ありがとう、とは絶対に言わない。……だけど、たとえすべて忘れていたとしても、弓也くんともう一度会えることだけは、お前に感謝してもいい、かもな」

「どういたしまして」

 恭しくお辞儀をする元凶の少女を、僕は睨みつける。感謝したとしても、今までの所業に対する、恨みが消えるわけではないのだ。

 少女は睨む僕に笑って、僕より少し長い髪の毛を揺らす。

「それじゃあ、さようならだ。弓也くんと、仲良くしなよ」

「……言われなくても」

 黄昏の橙色をした世界を走る、白い光が一つに収束していく。光はどんどん激しくなって、やがて僕の視界を覆いつくす。

 僕は。いや、あいつと同じこの一人称は、もうやめよう。先生を手に入れるためにあらゆる手段を取って、多くの犠牲を出して来たあいつとは、違うのだから。

 私は。白い光に包まれた視界の眩しさに、そっと目を閉じて。心の中一杯に、弓也くんのことを想った。

 弓也くんに、もう一度会いたい。たとえ彼がすべてを忘れてしまっていたとしても、通じ合った想いが消えてしまっていたとしても。もう一度彼に会って、そして。

 ただ一言、「ありがとう」と言いたい。


 樽見第一中学校の、背川美利が不純異性交遊によって妊娠したというニュースが飛び込んできたのは、二月に入った直後のことだった。

 元々美利は両親と上手くいっておらず、中学に進学してからは荒れ気味で、ガラの悪い仲間たちとつるむようになっていた。

 そして樽見第二中学の三年生である男子生徒と、不純異性交遊に及んでしまった末に、先月の半ばに妊娠していることが発覚したのだ。

 当然出産するわけにもいかず、お腹の子供は堕胎。だが術後の経過が良くなかったことに加え、堕胎により精神を病んでしまったことにより、現在彼女は遠方の療養施設に入院しているという。

 療養施設、と言えば聞こえはいいが。実態は単なる精神病院で、家畜同然の扱を受けているのだと、友広が声を潜めて語っていた。もっともさすがに、幾分かの嘘や誇張は混じっているだろうが。

 美利のスキャンダルを聞いた弓也は、学園祭で会った彼女と、一緒に去っていったあの男子生徒のことをぼんやりと思い出した。

 あの男子生徒が美利を妊娠させたのかどうかは分からないが。あの時彼女は人知れず、地獄の中にいたのかもしれない。

 もしも、あの時彼女の異変に気付いていたら、なんて。後悔したところでどうにもならないし。もし気づいていたとしても、一介の中学生に過ぎない自分に、何かできたかどうかも怪しい。

 そうやって微かな罪悪感から目を逸らし、自分を納得させようとしているだけかもしれないが。どちらにしろ、もう起こってしまったことは変えられなくて。

 背川美利妊娠のニュースが学校中に広まった直後。学校側にこれはよろしくないと判断されたようで、臨時の全校集会が開かれることになった。

 集会では、壇上に上がった校長が数度咳払いをすると、お決まりの説教めいた長話を初めて。

「えーみなさんもご存じかもしれませんが、先日樽見第一中学校に通う女子生徒が、不純異性交遊によって妊娠するという事件が発生しました。中学生になってそういう話題に興味が出てきたというのも分かりますが、行き過ぎて実際の行為に及んでしまう前に、みなさんは将来ある子供であることを今一度思い出していただきたい―――」

 十数分に及ぶ説教の後、保健体育を担当する教師から、不純異性交遊のリスクに関してしっかりと説明が行われ、集会は終了となった。

 弓也も中学生男子として、その手の話題に普通に興味はあるのだが。だからといって千早と一線を越えるにはまだ早いという、分別もちゃんと持ち合わせている。いくら魅力的とはいえ、たった一度の出来心で、これからの人生を棒に振りたくない。

 もっとも。高校生になったらどうなるかは、分からないのだが。体育館を後にして教室に戻りながら、弓也は千早のことを思い出していた。

 千早はこの話を聞いて、どう思ったのだろうか。背川美利とは同じクラスで、例の林間学校で同じ班だったこともあるが、大して親しかったわけでもない。千早はそんな美利のスキャンダルに、何を思うのだろうか。

 教室に戻って授業が始まるまでの数分の間に、弓也はこっそりスマートフォンを起動する。千早とのチャット画面を開いたところで、ぴたりと指を止めた。

 あのクリスマス以来、顔を合わせることはあったものの、お互い忙しくてあまりゆっくりと話せていない。当然林間学校や霜口先生についての話を聞くことも出来ておらず、悶々とした日々を過ごしていた。

 だがこれはある意味、いい機会かもしれない。弓也は出来るだけ焦った口調で、メッセージを打ち込むことにした。

『小学校の時同じクラスだった、背川美利が妊娠したって聞いたけど、あれ、マジだったんだなって。ちょっとまだ衝撃が抜けきらないから、今日の昼休みに二人で話してもいいか』

 落ち合う場所として、学校の二階にある実習棟と繋がる渡り廊下を指定して。弓也は送信ボタンを押してスマートフォンを仕舞った。

 ちょうど担任教師が入ってきて、授業が始まる。弓也が窓へと視線を向けると、外は朝から曇天で、もうすぐ雨が降ってきそうだった。


 昼休み、渡り廊下に行くと、既に千早が待っていた。だが彼女の顔には、いつもの笑顔はなく、険しい表情が浮かんでいる。

「千早」

 弓也が片手を上げて名前を呼ぶと、千早は振り向いてくれた。

「……思ったより、落ち着いているみたいだけど」

「あれから少し時間が経ったからな。でも、背川の妊娠に驚いたのは事実だよ」

 その先の会話が途切れて。弓也と千早はしばらく、渡り廊下の壁面にもたれかかったまま、一時間前から降り始めていた雨の音を聞いていた。

 沈黙が続いた後、弓也はゆっくりと顔を上げて、明りが灯った天井の蛍光灯を見上げる。

「なあ……なんで背川は、不純異性交遊なんてしちゃったんだろうな」

「……」

「やっぱり、両親との関係が上手くいってなかったのか。それとも……」

 弓也は言葉を切って、隣で俯く千早に顔を向ける。これが千早に対する「問い」であることを、はっきりと示すために。

「あの林間学校で、霜口先生が遺体で見つかったことを、まだ引きずっていたのか」

「……ッ」

 千早が小さく息をのんだのが分かった。同時に千早の雰囲気が、がらりと切り替わったことも。

 もたれかかっていた壁面から体を離すと、千早は弓也の正面に回り込む。

「千早?」

 弓也の目の前に立つ千早は、別人かと見まがうほど、冷ややかな雰囲気を湛えていた。その表情には、一切の優しさが感じられない。

「君の言う通りだ。背川美利は、人一倍霜口八樹先生を慕っていた。人生の全てと、言えるぐらいに。だから先生の死を未だに引きずって、不純異性交遊に及んでしまうほど荒れてしまったのだろうね」

 一歩、千早は距離を詰める。いつもならどぎまぎするところだが、今日に限っては微かな恐怖を感じてしまう。

「自業自得だ、同情するつもりはない。たとえ荒んだ家庭の中で、彼女にとって霜口先生が、唯一の拠り所だったとしても。僕は背川美利をこれっぽっちも可哀そうだとは思わないよ」

「千早……」

「……」

 弓也が名前を呼びかけると、千早は小さく息を吐き出した。目をつぶって、もう一度呼吸を繰り返すと、やっとあの冷たい雰囲気が抜けて、いつもの千早が戻って来てくれる。

「ごめん。動揺している君に、少し言い過ぎてしまった」

「いや、いいんだ。だけど」

 いつもの千早が戻って来てくれたのは嬉しいが。だからこそ今、言わなければならないことがある。

 千早の瞳を真っ直ぐ見つめて。弓也はずっと言おうと思っていた、疑問を口に出した。

「なあ千早……あの林間学校で、なんかあったのか?」

「え……」

 瞬く間に広がった、動揺を見逃すことは出来ずに。弓也は千早の言動から疑問に思ったこと、インターネットで色々と調べたことを、包み隠さずに話した。

 千早は動揺した様子を見せつつも、弓也の話を黙って聞いてくれていた。元はといえば千早が取った思わせぶりな言動が原因なのだ、動揺しつつも、ある程度の覚悟は出来ていたということだろう。

「……何かあったというのなら、俺はそれを知りたい」

 話し終えた後、弓也は両手を伸ばし、千早の肩に触れる。

「俺は千早を愛している。だからこそ、知りたいんだ。何があったかは分からないけど、俺が何かを忘れているというのなら、それを」

「……」

 千早は何も言わずに俯いていたが。弓也の説得に、静かに顔を上げる。

「……前に、小説を書いていると話しただろう」

 口から出てきた、予想外の言葉に。弓也が首を傾げる間もなく、千早は諦めたような微笑を浮かべる。

「そこに全て書いてある。だから、書きあがったら読んでくれないか。君の知らない、君と僕の物語を」

「なるほど、そういうことか」

 弓也は千早の肩から手を離すと、胸の前で拳を握りしめ、力強く頷いた。

「もちろんだ。楽しみにしてる」

 すると千早は、何故かまた俯いてしまう。だがさっきと違って、頬が少し赤くなっているのが見えた。

「その……あまりきたいはしないでくれないか。頑張って書いているとはいえ、文才があるわけじゃないし……」

 どうやら照れているようだ。いつもの千早が戻って来てくれた嬉しさを感じながら、弓也は両手を広げると、目の前の愛する少女を優しく抱きしめた。

 ここは学校の中。誰かに見られるかもしれないが、見られたところで気にならない。たとえ先生からお𠮟りを受けようと、自分の千早に対する愛情が、変わることはないのだから。

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