〇プロローグ(3)

 美少女に旅行の話をして一時間くらい経った。

 彼女に話したことは、初めての旅行で軽井沢に行ったら計画がグダグダになってしまったり、茨城のひたち海浜公園のネモフィラの花畑が感動するくらい綺麗だったり、大阪の店屋でたぬきうどんを頼んだつもりがきつねそばが出てきたり等、ごく普通の内容だった。

 それでも美少女は、一つ一つの話をそれはもう楽しそうに聞いてくれた。

 だから話している側も自然と嬉しくなってしまって、あっという間に時間が流れてしまった。

「秋田県に寒風山っていう観光地があるんですけど、辺り一面蒼い芝生で覆われていて、それを展望台から眺めると物凄く綺麗なんですよ! たぶん言葉だけじゃあんまり伝わらないと思うんですけど、本当に綺麗なんです!」

「そうなんだ~! でも言葉でもちゃんと伝わってるよ! なんて言うか……熱意がすごく伝わってくる! きっととても素敵な場所なんだろうなって!」

「そっか! なら良かった!!」

 そこで俺と美少女は目と目があって──あることに気づく。

「す、すみません。つい敬語が抜けてしまって……」

「いや、こっちこそ調子に乗っちゃってすみません……」

 互いに恥ずかしくなって、顔を逸らしながら言葉を交わす。

 しかし、もう一度目が合うと、二人してくすりと笑ってしまった。

「あ、あのね……できたら君とは普通に喋りたいなって思ってるんだけど……」

「奇遇だな。俺もそう思ってた」

 そう返すと、美少女は嬉しそうにはにかんだ。

 そんな彼女は接客してた時とは印象が変わって、快活少女って感じだった。

「そういえば仕事はいいのか? 結構な時間話しちゃったけど」

「うん! 今日は少し余裕があるから……ギリギリのギリギリ大丈夫!」

 美少女は自信満々に頷いた。

 それは本当に大丈夫なのか?

「……あのさ、一つ質問してもいいか?」

「質問? うん、いいよ!」

「その……どうしてそんなに俺の旅行の話を聞きたいんだ?」

 ずっと気になっていた。

 仕事が忙しいって言ってたのに、どうしても俺の旅行の話は聞きたい感じだったから。

「私ね、実は他のお客さんにもこうやって旅行の話を聞いているの」

「他の人にも? ……それはなんで?」

「私のお父さんがね、写真家なの。旅好きでいつも日本中、世界中のどこかを飛び回って色んなところの写真を撮っていたんだよ。それで家に帰ってきたらお父さんは毎日のように旅先でのことを話してくれたんだ」

 そうして父親の話を聞くうちに、美少女はいつか自分も旅行に行ってみたいと思うようになったらしい。でも幼い頃は若女将としての修業で一度も旅行ができず、今は仕事が忙しくて結局旅行に行けていない。

 同じ理由で小学校・中学校の修学旅行は不参加。このままだと高校の修学旅行も不参加になる予定らしい。

 だから自分が旅行に行けない分、旅館に来る客たちからたまに旅の話を聞いて、いつか自分も旅行に行くんだ! と気分を高めているのだとか。

「写真家で旅好きの父親に影響されたのか。よっぽど父親のことが好きなんだな」

「うん! ……でも、お父さんはもういなくなっちゃったんだけど」

 美少女は悲しげに呟いた。この〝いなくなった〟は家を出て行ったとかではなくて……たぶんそういうことなんだろう。

「ご、ごめん。急にこんなこと言われても困るよね」

 ハッとしたのち、美少女は申し訳なさそうに顔を俯けた。

「いいや、別に。俺も母さんいないし、その……似たようなもんだ」

「え……?」

 美少女は驚いて顔を向けてくる。

 ……でも、特に何か訊いたりはしてこなかった。

「さっきも聞いたけど、本当に時間は大丈夫か?」

 念のため再び訊くと、美少女が部屋の壁に取り付けられている時計を確認する。

「いけない!! もうお仕事に戻らなくちゃ!!」

 美少女は焦った様子で、先ほど片付けた食器が載ったお盆を持って立ち上がる。

 だろうな。さっきも全く大丈夫じゃなさそうだったし……。

「じゃあ俺の話はここまでだな」

「その、ごめんね。最後に空気を悪くしちゃって……」

「別に気にしてないよ。てか、自分の旅行の話をするのって案外楽しいんだな」

「わ、私も! 月島くんの話が聞けて、とても楽しかったよ!」

 美少女がちょっと慌てながらも、そう言ってくれた。

 まあ楽しんでくれていたのはわかってたけどな。思いっきり顔に出てたし。

「その……月島くんはまた登別に旅行したりするの?」

 美少女がチラチラと、こっちを見たり見なかったりしながら質問してくる。

 その仕草に、俺は少しドキッとしてしまった。

「そ、そうだなぁ……クマ牧場とかまだ行けてないし、たぶんまた来ると思う」

「だったら次もこの旅館に泊まるのはどうかな? それでね、もし良かったらその時にまた君の旅行の話を聞かせて欲しいな!」

 美少女は嬉々として言った。旅行の話かぁ……。

「ここに泊まるのはこっちからお願いしたいくらいだけど、悪いが旅行の話の件は却下だ」

「えぇ!? なんで!?」

 美少女がびっくりしたように目を見開く。

「俺は旅行中、というか基本的に何してる時も他人のために時間を使いたくないんだ。今回が特別だっただけ」

「そ、そんなぁ……」

 美少女はがっくりと肩を落とす。

 悪いことをしてしまったか? と思った直後、彼女は何か閃いたように顔を上げた。

「わかった! じゃあ次ここに泊まってくれて、私に旅行の話をしてくれたら、宿泊料を割引してあげるよ!」

「割引って……そんなことできるのか?」

「できるよ! だって私、若女将だもん!」

「……そういえばそうだった」

 敬語じゃなくなった途端、印象が変わったから忘れてたけど、こう見えて彼女は文句の付けどころがない接客をする若女将だった。

「それでどう? 旅行の話をしてくれるかな?」

 美少女の澄んだ瞳がこちらを覗きこんでくる。まあこの旅館のお高めの宿泊料を割引してくれるなら、こっちにもメリットはあるわけだし……。

「了解した。割引してくれるなら、まだ披露していない俺の旅行の話をするよ」

「ほんと! やったね!」

 美少女は子供みたいにガッツポーズして喜ぶ。

 やっぱり接客してる時と大違いだな。

「月島くんが約束してくれたことだし、私はお仕事があるから、そろそろ行くね!」

「おう。またな」

 美少女が部屋を出ようとすると、俺は見送るために扉の方まで移動する。

 ……だが、彼女はなぜか扉の手前で止まってしまった。

 まだ何かあるのか? と思いつつ眺めていると、美少女はくるりと体を回した。

「そういえば、君にまだ私の名前って言ってなかったよね」

「ん? ……あぁ、そういやそうだったな」

 そう返すと、美少女は胸に手を当てて可愛らしく笑いながら、

「私はふゆなぎしおり! 絶対にまた会おうね、月島くん!」

「そうだな。また会おう、冬凪」

 二人で最後の言葉を交わした後、冬凪は扉を開けて部屋から出て行った。

 ……さて、プランは少し崩れてしまったが、まだ明日のチェックアウトまで温泉に四回入ることはギリできる。絶対に目標の計五回、温泉に入ってやるぞ。

 今回も完璧な旅行にするためにな!



 旅行で行ってみたい場所は山ほどあるから、ぶっちゃけ次に登別に来るのはいつになるかわからない。でも、約束は守るつもりだ。

 俺は約束を反故にするような、ダサい真似はしない。

 それくらい約束っていうのは大事だからな。

 

 ──だがしかし、この時の俺は思いもしていなかった。

 

 冬凪栞とまさかあんな形で再会することになるなんてことを。

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