第31場 違和感
プラネタリウムから出ると、一気に光の波が視界を覆い、チカチカと脳を揺さぶるような気がした。何度か瞬きをして、やっと視界が鮮明になった。
若干おぼつかない手を動かして、ズボンのポケットからスマホを取り出して、麻白へと電話をかけた。すると数秒ほどのコール音が続いてから出た。
麻白の透き通るような声には、いくらか戸惑いの色が含まれているような気がした。
「もしもし……シンジくん?」
「星座だ」
「え?」
「だから、これまで宗吾が魔力を集めていた場所のことだよ」
「もしかして……星座の形から魔法陣を完成させようとしたって言いたいの?」
「魔法の詳しいことは知らないが、言っていただろ?宗吾を唆した魔女のことについて、尋問しようとしたら、魔法が発動して結局何も聞けなかったって」
「う、うん。でもそれが、星座の形とどう関係あるっていうの?」
「直接的にそのこととは関係ないと思うが、今、思い出したんだ。以前、俺の家で集まって、昏睡事件について情報交換をしていただろ」
「……?」
「あの時に見せてくれた魔法が発動された痕跡のある場所だ。おそらく、それらの場所の一つ一つに独立した意味があったわけじゃないんだ。俺たちが気にしなければならなかったのはほの場所——旧校舎、教会、藍香の部屋そして宗吾から呼び出された古びた神社との関連性だ。それらの場所をなんでもいいが、補助線みたいにつなげて見てくれ」
「それらの場所が星座の位置と一致するってこと?」
「多分な。そこら辺は、お前たち魔法使いの本分だろ」
「ちょっと待って。見てみるから——」
ガサガサとした音が聞こえて、数秒ほど無言になった。
おそらく昏睡事件の手がかり証拠でも見ているのだろう。
「……わかった。シンジくんの言う通り、それぞれの場所自体は独立してみると、単に血脈の上にあるだけのように見えるけど……それだけじゃないみたい」
「そうか。それでそこから何がわかる?」
「藍香さんを生き返らせたいっていう相馬宗吾さんだけの力——魔力では到底叶うはずがない魔法陣を形成しているってことだけかな。だって——占星術も用いられているんだもの」
麻白の声はいくらか明るくなった。
でも何かを戸惑うような雰囲気も含まれていた。
「それが、藍香の死因につながると思うか?」
「直接的ではないかもしれないけど——」
「……?」
「おそらく、天体の法則性と関係ありそうかな」
「どう言うことだ?」
「とりあえず、説明している暇がなさそうなの。天体の法則性と関係あるとしたら、月食が起こる来週中こそ、大規模な魔術を行使するのには打ってつけだからね——」
そう言って、急ぐようにして麻白は電話を切った。
そして電話を切る前に、『とりあえず、シンジくんはこれ以上、余計なことをしないようにっ』と釘を刺すことも忘れなかった。
表面上は、もちろん肯定した。
しかし、そんな簡単に受け入れるはずがない。
やっと藍香がなぜ死ななければならなかったのか、その真相に近づいているのだ。
こんなところで道草を食っている場合ではないんだ。
スマホを握りしめる手が少し強まった。
∞
——誰と話していたの?
「——芽実!?」
「うん、だから、今誰と話していたの?」
「……別に誰だっていいだろ」
一体いつからいたのか。
先ほどまでプラネタリウムにいたはずだ。
いや、そんなのことよりもまずいことがある。
どこから話を聞かれていたのかが問題だろう。
藍香の死因について言及したところを聞かれていたとしたら、まずい。
しかしそんな俺の心配とは裏腹に、芽実のエメラルドグリーンの瞳がスッと細められた。
「へー。ましろんと話していたんだ」
「……」
「ふーん。黙っているってことは、当たったのね」
「別に俺が誰と電話しようが、お前に関係ないだろ。それよりもさっきの『そういうこと』の方が意味わからん」
「今はそんなことよりも、シンジがなんで『ましろん』と『藍香』ちゃんの死因ついて『親しげ』に話していたのか、そっちの方が問題じゃない?」
ああだめだ。
きっと芽実は納得するまで俺を逃すつもりはないのだろう。
芽実は腕を組んだまま、トントンと音を立てて俺の元へと近づいてきた。
「なんだよ……?」
「お父様に黙っていてほしい?」
「脅しているのか」
「まさか」
「じゃあ何だって言うんだよ?」
「もう一度……キスして」
「意味わからん」
「じゃあ、お父様に言っておくから。『やっぱり、シンジは藍香ちゃんの死因について、クラスメイトの女の子を強引に巻き込んで調べ周っているようです』ってね」
「勝手にすればいいだろ」
「へー。そんな反応するんだ」と赤い唇がわずかに動いた。そして、パッとエメラルドグリーンの瞳が、俺を射抜くように見た。
「ましろんとの抱き合っていた写真。あれ……私がばら撒いたの」
「は?……何でそんなことをした?」
「だって、シンジは私のこと全く観てくれないから」
「芽実……さっきから意味不明だから、ちゃんと説明してくれ」
「だからさ、私はシンジのことを誰にも渡したくないってこと」
今になってやっとわかった。
芽実はずっと前から俺のことを好きだったらしい。
俄には信じ難いが……いや、その傾向はあったのかもしれない。
確かに、好きでもない男の父親と仲良くするわけがない。
だからこそ、急に現れた麻白に対して嫉妬していたと言うことなのか……?
俺が麻白と仲良さげにしていたから、急にアプローチしてきたとでもいうつもりか。
いやそもそも、なんでこのタイミングで俺にアプローチしてきたのか。
別にタイミングなんていくらでもあっただろう。
ごちゃごちゃとした思考が次々と流れ込み、判断することなんてできなかった。
ただ一つ言えることは——エメラルドグリーンの瞳が、『絶対に逃さない』ということを頑なに主張しているように思えた。
∞
赤く染まった木の葉が風に吹かれて、ヒラヒラと舞い散った。
放課後の旧校舎へと続く渡り廊下には、人の気配がない。
少し離れたところで、麻白が手に持った箒をで落ち葉を集めながら言った。
「事情はわかったけど……流石に、シンジくんのお家で寝泊まりしているのはいくらなんでも、その……やりすぎというか、大胆というか……」
「正直、あいつの考えていることがわからん」
「そうだよね……なんか危うい感じ」
「同感だ」
何かの感情が欠落したのか、脳内のどこかの神経が壊れてしまったように、芽実は俺に執着するようになった。
それが顕著になったのは、プラネタリウムを観に行った直後からだった。
いや、正確にはキスをされてからだ。
その日の夜に、突然、自宅へと押しかけてきた。そして、泊まった。
その日以来、2日ほど経過したが、今でも家に居る。
家事を率先して引き受けてくれており、正直なところ感謝している側面もある。
特に料理はまるで藍香が生きていた頃のように、美味しく作ってくれる。
それに——少し陽気に鼻歌を口ずさみながら、料理をする後ろ姿は藍香そっくりだとさえ思った。
もちろん、良いところだけを切り取ってみれば、ラブコメのシュチュエーションなのだろう。
しかしながら、そんなに上手くいかない。
そう、家の中だけの話ではなかった。
学校でも同じように振る舞った。
ずっとどこへでもついてくる雛鳥のように、俺と一緒にいることが多くなった。
これまで昼休みは、スクールカーストトップ同士で飯を食べていたはずなのに、いつの間にか俺の分弁当を作って、誰かに見せつけるように一緒に教室で食べることが、ここ数日の日課になっていた。
そのお陰と表現すると少しおかしいが、一時期流れていた『麻白と抱き合っている』などという噂なんて初めからなかったかのように、雲散霧消した。
むしろ今度は、芽実との関係性が噂され始め、結局のところ俺のどん底に近い評価は、もう下落することはないところまで下がった気がした。
まあ正直なところ、噂についてはどうでもいい。
そんなことよりも、もっとも困った事態が起こってしまった。
それは、麻白と情報交換をする時間が全くなくなってしまったことだ。
この方が問題だった。
芽実が四六時中監視するように——それこそ、まるで自分以外の女の子と話させないように、俺から女の子を遠ざけるような素振りをし始めた。
学校では隣の席である麻白と少し話すだけ会話するだけでも、チラチラとこちらを見てくることは当然として、休み時間には毎回、俺のところへと近づいてきた。
流石にクラスメイトたちもそのような芽実の言動に不信感を抱き始めた。
まあ結局のところ、俺——赤洲神治の毒牙にかけられており、芽実はその被害者であるという噂になったわけだが。
流石に黙り込んでいる時間が長くなってしまったからだろう。
心配するように、麻白のアーモンド色の瞳が俺を見つめていた。
「どうしたの……シンジくん?」
「いや……ただ、芽実の行動が不可解だなと思ってな」
「それは……す、好きだって告白されたって言っていたでしょ?それが本心なんじゃないのかな」
「それはそうかもしれないが……実際に、四六時中ベタベタとされる方としては、たまったもんじゃないからな」
「まあ、そのうち落ち着くんじゃない」
「そうであることを祈っている」
「こほん、それで……今日、こうしてわざわざ、芽実ちゃんに見つかるリスクまでおかして、私に接触した理由は、大規模魔術について気になっていると言うことだよね?」
「ああ」
そうだ。
あの日以来、俺は全く身動きが取れなくなった。
だからこそ、麻白が実際にどの程度まで宗吾を唆した魔女の企みについて、把握しているのか知りたかった。
ここまできて、まさか魔女の企みと藍香の死因とが全く関係ありませんでした、などと言うお粗末な展開になどなり得ないだろう。
そうでなければ、魔女は、わざわざ俺の周りの人間——藍香や宗吾をあえて魔法使いの世界に引き込んだりはしないはずだ。そこに何かしらの理由——意味があったはずだ。
「ごめんなさい、そんなに有力な情報を掴んだわけじゃないの」
「わかった。とりあえず、占星術だったか?それに関係していることで、大規模魔術を完成させることができる場所の特定くらいはできるだろ?」
「うん、それについては特定したから安心して……と言っても納得してくれなさそうだから、一応話しておくけど——」
麻白の話をまとめると、どうやら次のようなことだった。
おそらく大規模魔術が完成される次なのか最後のなのかわからないが、とりあえずの候補場所は、天神市内にある国立天神公園らしい。
国立天神公園は、文字通り国立公園であり、かなりの面積を誇っている。
木々が生い茂り、自然あふれる公園だ。
野生の動物——それこそ猿だとか熊だとかなんかもいると聞いたことがある。
流石に大きな公園であるため、麻白と若菜だけでは監視できないそうだ。
国家魔法師である優衣先生も含めて三人で交代で使い魔とやらを用いて、監視しているらしい。
ただ、今のところ、全く変化はないらしい。
「少なくとも、変な魔力の流れも感じ取れないかな」
そう言って、麻白はどこか他人事のようにつぶやいた。
よく見たら、目元にクマのようなものがあることに今更ながら気がついた。
きっと、ここ数日、眠っていないのかもしれない。
そういえば、儚げな印象がさらに——
「あ、ましろん!」
「——!?」
咄嗟に俺は雑木林のような木の後ろへと身を隠した。
麻白は一人で掃除をしていた風を装って、箒を動かして落ち葉を一箇所に集めていた。そして、まるで今、その声に気がついたように、数秒して箒を動かす手を止めて、キョロキョロと顔を上げて周囲を見た。
芽実は、金色の髪を靡かせ、渡り廊下からこちら側へと歩いてきた。
∞
「ねえ、ましろんは、あいつ——シンジ見なかった?」
「さあ、見ていませんけど」
「ふーん、そっか」
「はい」
「……ところで、ましろんは、シンジのことどう思っているの?」
「な、なんですか」
「いやーてっきり、ましろんは、あいつのこと好きなのかなーって思ったんだけど……違った?」
芽実のエメラルドグリーンの瞳は、なぜか麻白を非難するような鋭い視線になっていた。
なんだ……この状況は。
まるで芽実が麻白のことを牽制しているような気がするんだが……意味がわからん。そんなところで張り合う必要なんてないだろ。
なぜか麻白は焦ったような声で返事をした。
「ち、違いますっ」
「へー」と心底呆れるような声で、芽実は返事をした。
流石に麻白も芽実の態度を看過できないようだ。
反論するように、ちょっと棘のある言葉だった。
「芽実さんの方こそ、随分とストーカーじみたことをしているようですが、シンジくんはどう思っているんでしょうね?」
「何が言いたいわけ?」
「ですから、少しはシンジくんの立場も考えて上げないと、嫌われてしまうんじゃないのかなと思いまして——」
「ましろんには、関係ないでしょっ!私とシンジの間に入ってこないでよ」
芽実の叫ぶような声が響いた。
その所為で幾人かの生徒たちが渡り廊下から、こちらを覗き込むような素振りを感じた。
流石にまずいと思ったのか、芽実はこれ以上何も言うことはなく、じっと麻白のことを数秒ほど見ていた。
そして金色の髪をかき上げて、麻白に背を向けた。
「もういいんですか?」
「ええ……掃除の邪魔してごめん。じゃあ」
「そうですか」
麻白の返事を最後まで聞くことなく、芽実はずかずかと歩いて姿を消した。
なんというか、最近ますます藍香が怒った時と似ているような気がした。
記憶の中の藍香と芽実は少しも見た目は似ていないはずなのに。
ただ、今の芽実の振る舞いは全体的にどこか危うさがある。
はあ、というため息をついてから、麻白はギロッと俺のいる方向を向いた。
どうやらかなりご立腹らしい。
まあ、それも当然だろう。
急に八つ当たりのような態度をされたのだから誰だって怒るのだろう。
ズボンについた木々の枝や葉を手で落としてから腰を上げた。
「なんか、巻き込んだみたいですまん」
「さぞかし、シンジくんはオモテになるようですねっ!別にいいですけどっ」
「いや、俺にキレられても困るんだが……」
「ふん、そんなことよりも先ほどの続きだけど——」
そう言って先ほどの雰囲気を壊すように、魔法使いの手がかりについて話を戻した。
最後に麻白が話してくれたことをまとめると、おそらく月食が近いから、必ずそこを狙って大規模魔術が発動されるはずだから、それに対応するようにしている、と言うことだった。
『だから、シンジくんは、これ以上無茶しないでよねっ』
そう一方的に話を括って、箒をぎゅっと握った。
本当に俺の身の安全を心配しているのだろう。
それと同時に、以前と変わらず『もう話すことはない』とそう言っているようにも思えた。
「わかった」
俺はどこか他人事のように返事をした。
空虚な言葉は秋の夕暮れに飲み込まれるように、掻き消えた。
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