第13場 旧友
自宅までの道のりをショートカットしようとして、ゲームセンターの脇道を横切ろうとした。
それがそもそもの間違えだったとなぜ、この時の俺は気が付かなかったのか。
それはまさに神の思し召しのごとく、ちょうど横断歩道へ足を踏み入れようとして信号が点滅し始めた。
その信号待ちの間に旧友の声が聞こえた。
『偶然にもこうして中学時代のサッカー仲間が集まることなんてないのだから、カラオケでもいかないか?』『ほら、行くぞ』『早くしろ』などと急かす。
「まあ、久々だし、今回くらいならばいいか」
俺は深く考えずに返事をした。
つられるように——いや引きづられるようにして、カラオケのある建物へと誘われた。それから、なぜか俺たち以外誰もいるはずがないのに、あいさつしながら四〇四号室の扉を開けた。
この時になって、初めて状況がわかった。
そう、顔も知らない女子高生が4人座っていた。
そして現在——俺はソファーの隅に座っていた。
「シンジくん。おーいシンジくーん」とつんつんと右肩を押された。真横に座る
ローズマリーのような香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
こちらの気など気にしてないかのように、ひそひそと耳打ちするように言葉を続けた。
「ねーねーシンジ君は盛り上がってない感じー?」
「どうせ、このイケメン君は、妹君のことでも考えていたんじゃねーの?」と先ほどからマイクを離さなかった
「宗吾……お前……あとで話あるからな」
なぜだますようなことを言って俺をここへ連れ出したのか。
とりあえず言いたいことは色々あったが、圧を掛けるように睨むと、宗吾は苦笑いを浮かべて一瞬「騙してごめん」というように小さく手を合わせた。
室内で別々に話していた
——まったく。こいつらは変わらないみたいだな。
「——ああ、ごめんね。最上さんみたいに、こういう催し物になれていなくてね」
「あーひどいー。私だってこういう『催し物』は初参加なんだからねー?こう見えてもすっごく緊張しているんだよ……?」と俺の右肩を軽く揺らしながら、抗議の声を上げた。
「へーそうなんだ。じゃあ、俺らは緊張している同士で、ぬるっといきますか」
「ふふ、そうだねー」と最上さんは微笑んだ。
ったく。俺はこういう時の話題とか知らんぞ。
何を話せばいいんだ?
そういえば、だいぶ前に藍香が何か言っていた気がする。
確か普通に話せばいいんだっけか?
「
「ふふふ、今どき放課後の寄り道が禁止されているなんて校則がある学校ないんじゃないかなー」
シンジ君は何時代のひとなの、と最上さんはおかしそうに、口もとを隠してクスクスと笑った。
「あーそうなんだ」
いや、他校の校則なんて全く知らないのだが……
などと会話が途切れそうになった時、最上さんが乾いた笑みを浮かべて言った。
「今は校則というよりも、失踪した後に意識のない状態で発見される事件?」
「ああ、『昏睡事件』のこと?」
「うんうん、それそれ。『昏睡事件』に巻き込まれないように注意されたかな……?何が原因なのかわかってもいないのに、注意のしようがないけどねー」
天神市内で起こっている『昏睡事件』。
おそらく『魔法使いが関係している事件』だと、今上は言っていたが……。
今上のことをすべて信じているわけではないが、もしも『紫苑』さんが関係しており、学校に展開された魔法についても『昏睡事件』と何かしらの関係があるのだとしたら——
その時、最上さんが何かを誤魔化すように話題を変えた。
「そういえば、シンジ君だけ、高校違うんでしょー?出身中学が同じなのー?」
「ちょっとちがう。あいつら三馬鹿とは、地元のサッカークラブが同じ。それで、たまたま今日、偶然会ったから来た、という感じだな」
「なにか含みのある言い方だよねー」と、ジトーと最上さんは目を細めた。「他意はない」と答えると、最上さんは、「まあいいけど」と言ってすぐに言葉を続けた。
「私たちはみんな櫻葉学院のクラスメイトなんだー。ちなみに、初等部からずっと友達なのー」
「仲が良いんだな」
「うん、親友と呼べるくらいの自信はあるかな」と声を顰めるように答えた。そして、「
「そうか」
「うん、あとねー、由依ちゃんはえっと——あの短髪の方とお話している——」
「結城雄太だな」
「そ、そう結城君とお話しているショートカットの子は、『すっごく』物知りで、学年でトップレベルの秀才なのー。あと、えっとアシンメトリーの——」
「大貝大賀」
「うん、その大貝君と楽しそうに笑い合っているポニーテールの子——里奈ちゃんは、『すっごく』スポーツが得意でね。いつも体育の時に助けてもらうんだー」
「へー本当に仲が良いんだな」
「うん、でねー。ここからが本題なんだけどね——」と最上は真面目腐った口調になった。そして、声を潜めるようにして、俺の耳元に近づいた。ささやくように、湿っぽい吐息がかかった。
「あの子たち、彼らに一目ぼれしちゃったみたいなの……」
「……俺に何をしろと?」
「おー察しがよいですねー。さすが進学校に通っていらっしゃるだけありますねー」とおちゃらけたように言った後ですぐに、冷めた口調に変わった。「もしも、彼らがあの子たちを悲しませるような人たちであれば、私は許さないかなー?だからね、彼らの人となりを軽く後で教えてほしいの」と言って、俺の制服の内ポケットに『何かが書かれた』紙を忍ばせるようにして入れた。
「俺があいつらを庇って、嘘を言うかもしれないとは思わないのか」
「うーん、それは大丈夫かなー?さっきから試させてもらったけど、全然色仕掛けに屈しないみたいだしー。それに——シンジ君は、あの赤洲教授のご子息さんなんでしょ?」
「……親父を知っているのか?」
「うん、だって——最上中央病院の理事長は、私のお父様ですからねー?」
最上は、悪戯が成功した子どものように微笑んだ。
∞
つい先ほどまでの室内の喧騒が嘘のように静まっていることに気が付いた。
はっとして、最上さんの茶色い瞳から視線を上げると、みなからの視線が俺と最上さんへと向けられていた。
「若菜、あんた意外と大胆だったのね!?」という萌香さんの声が室内に響いた。
「え、えーあの、これは——」と説明を求めるように最上さんが俺へと視線を向けた。
「あ、また二人が見つめ合ってる!」と里奈さんが言った。
「一番乗る気じゃなかった若菜ちゃんが、実は一番やる気だったというわけね」と由依さんが言った。
「なっ、全然、違います!これには、深い事情がありまして——」
そんな話を女性陣が、わいわいがやがやと話し始めた。
俺たちは目配せをして、一旦室内を抜けた。
∞
「元気そうでよかったよ」と宗吾が鏡ごしに前髪を整えながら言った。宗吾のズボンのポケットから銀色のキーホルダーが顔を出していた。宗吾がわずかに動くと、ハート型のキーホルダーはゆらゆらと揺れた。
ぼーっとそんな光景を見ていたため、一瞬、なんのことを指しているのか判然としなかった。
「……?」
「妹君のことだ」と雄太は宗吾の言葉を補足した。そして、がしがしと自分の頭をかいた。
「さすがに、新人戦前に、サッカー部を辞めたと知った時には驚いたけど、そういう事情だったとはね」と大賀が銀色を眼鏡をぐいっとあげた。
「お前ら——」
「そうそう、俺らと対戦するのが怖くてサッカー自体を辞めたのかとおもったけどね」と、その童顔に似合わず、宗吾が毒づいた。
「というか、事情くらい説明しろ」と雄太が率直に言った。
「……」
「うん、今回は、あきらかにシンジが悪いに一票」と大賀がニヤッと笑みを浮かべた。
「すまん」
「というか、急に連絡よこさなくなるのは、さすがにないわー。ひくわー」と宗吾が言った。
「というか、俺ら4人の自主練にも顔出さなくなるのはない。練習メニュー3人用に変える面倒だった」と雄太が言った。
「概ね宗吾と雄太が言ってくれたから、もう僕のほうからは何も言わないけど、さすがに既読スルーくらいはしろよ。既読すらつかないのは、お前も死んだのかとひやひやするだろうが」と大賀がかしこまって口調で言った。
そんな雰囲気を壊すように、宗吾が言った。
「とりあえず、今日、俺らがどれだけ走り回ったと思う?……まったく。連絡がつかないから、そっちの学校前までわざわざ行って、『シンジ君いませんかー』とか聞きまわって、なんだかクラスメイトらしき可愛い子から『もう下校したみたい』と言われて、家に行ったら誰もいないし、とりあえず、お前が通りそうな道を片っ端からつぶしたんだからな。結局、彼女らとの約束の時間もすこし遅刻しちゃったしさー。幹事の俺の立場考えろよー」
「それは——」
「だから——礼ならいらない」と宗吾が茶化すように言った。
「いや、まだ何も言っていないのだが……でも、サンキュー」
「3対4じゃ最上さんに申し訳ない」と雄太がボソッと言った。
「結果的に、シンジが見つかってよかったということで良しとしようぜ!」と大賀が言った。
「お前ら3人それぞれいちゃこらする予定だったんなら、最上さんなんか気にしないで、はじめからお前らだけでよかったんじゃないのか?」
「いや。俺もよく状況が把握できていないのだけど、『若菜がどうしても参加したい』と言ってきかないから、『いつも一緒にボール蹴ってたシンジ君?を連れて来て、お願い』と『萌香ちゃん』に言われたら、会わせるしかないだろ?」
宗吾が、照れくさそうに一瞬鏡ごしから視線を逸らして言った。
こいつらずっとサッカーボールしか追っかけていないはずだったが、変わったんだな。
いや、それよりも俺を呼び出した理由の方が気がかりだ。
違和感というか不自然だよな。
なぜ最上さんがわざわざ俺を指名したのか、どうにも腑に落ちない。
単に、惚れた腫れたと言った陳腐な理由なのか……?
お嬢様学校に通っている家柄の良い生徒がわざわざ友だち——それも親友たちに頼み込んでまでも俺に接触したいとは、やはりおかしい。
唯一心当たりがあるとすれば——病院。
例えば、親父が勤めている病院へ着替えを持って行った際に、同じくたまたま訪れていた最上さんとすれ違っていたとか?
その時に、俺の名前と顔を知ったのか。
例えば、勤務医『赤洲建造』の息子の存在を知り、自分の父が経営している病院で働いている教授には、自分と同い年の息子がいるから、最上さん自身が自分と重ねるようにして同じ境遇かもしれない俺に興味本位で接触してきたとか?
本当に本人が言っていたこと——『親友の恋人たちを見定めに来た』ということだけが理由なのか。
「……シンジ?」
「あーはいはい、のろけ話は結構だから、それよりおまらこの時期は、新人戦の準決勝近いんじゃないのかよ?」
「次の試合まで時間がある」と大賀が答えた。
「そうか」
「いやーやっぱりサッカーには未練があるみたいだなと思って、安心した」と大賀が続けた。
「……別にそんなことはない」
「まあ、気が向いた時にでも、ボール蹴りに行こうぜ」と宗吾が俺の肩を軽くたたいた。そして「とりあえず、そろそろ戻るか」と大賀と雄太に向かって言い、3人は非常階段へと続く踊り場を後にした。
扉を開いた時、流行りの曲が聞こえた。
開かれた扉が閉じてしまわないうちに、俺も足を踏み出した。
どこかの個室から漏れてくる歌声は、なぜか心地よいと感じた。
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