第2場 決行前夜
「ねえ、本当に後悔しないかな?」
「後悔はありません。まさか……怖気付いたとでも思いましたか?」
「ううん……そうじゃないの」と
「ただ、もう後戻りはできなくなるから……それを確認したかっただけ」
その時、青白い月光が出窓から射し込んだ。青白い光は、サラサラとなびく紫苑の紫色がかった黒い髪に乱反射してキラキラと輝いた。
薄暗い室内を照らすきらびやかな青白い光とは真逆に、紫苑の顔は暗く、小さな桜色の下唇を甘噛みした。
だからかもしれない。
ひどく緊張した様子の紫苑を励ますように、
「ふふ、やっぱり紫苑さんは心配性ですよね?たかが、魔法を使うだけではありませんか?」
「『たかが』、じゃないよ……藍香ちゃんは、すこし大胆すぎるよ?」
「そう……かもしれません。でも大胆でなければ、世界を書き換えるようなことをしようとは思わないですよね?」
クリッとした目を僅かに細めて、藍香は微かに震えている紫苑の手を取った。その小さな手を包み込むようにして、自分の胸に引き寄せた。
紫苑は少し赤く頬を染めた。戸惑うように藍香から視線を逸らして、微かに口元を曲げた。
「……藍香ちゃん、少し顔が強張っているよ?」
「気のせいです。紫苑さんこそ、頬が引きつっていますからね?」
「意地っ張り」
「も、もう、いいではありませんか。そんな事よりも準備をしてしまいましょう。早くしないとお兄様が起きてしまうもの」
誤魔化すようにして、藍香は紫苑の手を放して、そわそわとしたまま途中だった魔法陣を書き始めた。
いつも通りの藍香の様子を見て、紫苑はいくらか落ち着くような気がした。普段と変わらない親友の後姿は、一瞬これから行う儀式の重大さを忘れてしまうかのような気さえした。
そんなことを考えていると、藍香が急かすように振り向いた。
「もう……いつまでそこに立っているのですか?はやくしてください、紫苑さん」
「う、うん」
藍香の急かす声を聞いて、紫苑は気持ちを引き締めるように浅く息を吐いた。紫苑は止まったままだった右手に力を入れて、室内の壁に文字を書き始めた。
しばらくの間、二人は無言で準備を進めた。
二人の姿を照らすように、ろうそくの灯がゆらゆらと揺れ動く。天窓から、微かに月の光が差し込み、薄暗い部屋を青白く照らし続けている。チョークで描かれた白い線が、天窓から差し込む月の光によって蛍光のように輝いている。
室内は、クーラーの冷風によって十分なほど冷え切っていた。通常の人ならば、肌寒さを感じるはずの温度。だが、二人はその事実に気が付いていないかのように作業を続ける。
まるで二人は、体温を調節する身体機能が環境の変化に気が付いていないような——そんな身体的欠陥を抱えているかのように作業に没頭していた。
そして————いくらかの時間が経って、二人の動きが止まった。
二人は持っていたチョークを地面へと置き、向き合った。
目配せをして、無言のまま頷いた。
出会ってから共に行動する時間はたったの数ヶ月と短い。
しかし二人はまるで長年の親友のようにお互いの考えていることが何となくわかるようになっていた。
お互いに言葉を発しなくても、これから儀式を行なってしまえば、もう後に戻ることができないことを知っていた。
二人は浅く息を吸った後、言霊を述べた。
「「われら、ここに契約をおこなう——」」
静かに、そしてゆっくりと儀式が始まった。
お互いの呪文が室内へと反響し、部屋中にびっしりと書かれたおびただしいほどの文字が青白く浮かび上がった。
部屋の中央に置かれたろうそくの灯が先ほどよりも大きく揺れ動き始めた。
その大きな揺れと呼応した。室内の空気がまるで生き物のように周囲を回転し流れ始めた。
そして——言霊を唱え続ける二人を包み込んだ。
青白い光の粒子がパチパチという音を立てて、発光し始める。
部屋中が赤、青、黄、紫の光によって満たされた。
その時、紫苑はゆっくりとした動作で、部屋の中央に置かれた椅子に腰かけた。
そんな親友の後ろ姿を横目に見て、藍香は言霊を発し続けた。
藍香は心の中でつぶやいた。
『ありがとう、紫苑さん。必ず目的は果たしてみせますから、どうか——』
そして————瞬く間に光が二人を包み込んだ。
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