第2話

 新宿駅に着くと、時刻は午後1時半を回っていた。

 駅から歩いて都庁に向かった。今朝から一度もユイナさんの声が聞こえず、昨日の体験が現実だったという判断が揺らぎ始めていた。しかし都庁の前に立ちって中に入るか迷った時にユイナさんの声が耳元で聞こえた。

「…信じてくれてありがとう…」

姿は無かったが、僕は自然と拳を握りしめた。ユイナさんの存在に確信を持つにはその声で十分だった。

「行きましょうリョウヘイ君。南展望室へ向かってくれる。」

僕は頷くと第一本庁舎の中に入って行った。

 45階まで上がると天気も良く、展望デッキからは東京の街が見下ろせた。展望室にはピアノの音色が響いていた。見ると黄色い装飾を施したピアノで年配の男性が演奏していた。

「ごめんねリョウヘイ君、昨日『私の願い』の話をしたでしょう。その願いが叶えられるのかここで試したいの。」

「試すって何を?」

「ピアノの演奏ができるかどうか。霊が生きている人の動作に影響を与えるという意味で『憑りつく』という言葉があるの。」

「あまりいいイメージのない言葉なんですが…」

「リョウヘイ君、私、昨日あなたと会った時に憑りついたの。大丈夫、私には悪意はこれっぽっちもないから。ただ…私を信じてあなたの体を使わせて欲しいの。」

「えぇ!?」

僕は驚いて思わず声を出してしまった。ユイナさんは優しい声で続けた。

「大丈夫、私を信じて。演奏の5分間だけでいいの、私にあなたの指を操ってピアノが弾けるか試させて欲しいの。それが出来ると判ったら私の願いをリョウヘイ君に話すわ。」

「でも僕はピアノなんて全く弾けませんよ。」

「大丈夫、ただ私を受け入れてくれればいいの。あなたがリラックスしてくれればくれるほど一体化はスムーズにいくわ。」

「要は何も考えずにリラックスすればいいということですね。」

「そう、体が勝手に動き出してもびっくりしない事。私の演奏、じっくり聴いてみて。」

昨日から驚く事ばかり起こるからか妙に素直に納得ができた。僕は頷くと演奏を待つ列に加わった。

 自分の順番が回って来た。僕は椅子に座ると大きく深呼吸をしてリラックスする事に努めた。数秒ののち今まで体感したことのない感覚を僕は味わっていた。甘く暖かいものが意識を包み込んだ。不意に僕の両手が鍵盤に添えられた。僕の意志に関係なく体が動いている。そして演奏が静かに始められた。

 演奏は心に沁みてくるものだった。グランドピアノの目前で聴く演奏はこんなにも人の心を揺さぶるものなのかと心が震えた。ユイナさんの腕前も相当なものなのだろう。ピアノの周りで立ち止まる人が増えてきた。演奏はやや激しいサビと思われる曲調を過ぎ、エンディングと思われるスローな最初の曲調をなぞるものに変化していた。ユイナさんの感情が僕に伝播しているのだろうか、僕は深い感動と満足感を感じていた。ピアノが最後の音を奏で、余韻が展望室に広がった。少なからず演奏に感動した人からの拍手が起きた。その時だった。僕の中に満ちていた暖かい感情が一瞬で引いて行った、と同時に体のコントロールが急に僕に戻った。周りに一礼すると僕はピアノの前を離れた。

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