並列航行

部活動申請用紙を出した次の日から、放課後になると慎二は4階の教室へ急ぐようになった。しかし教室についてもやることはなんてほとんどない。特に海の勉強をする訳でもなく、渚もずっと本を読んでいるだけだった。そして時々、世界の色々な海や海洋生物について教えてくれるのだった。海に興味のない僕にはあまり意味は無い。しかし何故かこの時間が無駄だとは感じなかった。いつしか潮風で満ちる教室を2人でいるこの時間が楽しみになった。

ある日、慎二はいつものように特にやることもなくただスマホをいじっていた。渚も慎二の前の席で本を読んでいた。慎二はいつも密かに気になっていたことを聞くことにした。

「渚さんがいつも読んでいるその本ってなんなんですか?」

渚はすっと顔を上げるとパタリと本を閉じて表紙を見せた。そこには大きく、美しいシロナガスクジラが描かれていた。

「私の父に貰ったの。海についての色々なことが書いてあるんだ。」

「お父さんは海に関係ある仕事なの?」

「うん。どっかの大学の海洋調査局っていうところで海の研究をしてたんだ。」

「していた?」

「…2年前、父を乗せた船が沈んじゃって、その時…」

渚は悲しそうな顔をして下を向いた。慎二は気まずくなった。暖かい潮風とは裏腹に教室の空気は冷たくなったような気がした。

「あ、気にしないで。船乗りの世界なんてそんなもんだからさ」

そう言って渚は笑って見せた。そしてまた静かに本を開いた。慎二は渚の言っていた事故について少しスマホで少し調べることにした。

今から2年前、バミューダ諸島沖で日本の調査船、第3日海丸が沈没した。原因は未だに解明されておらず、何人かの乗組員は死体すら見つかっていないらしい。記事には死者の名前も乗っており、そこには見覚えのある苗字があった。海月涼介(うみつきりょうすけ)、日海丸のチーフをやっていたらしい。この涼介という方も今だ死体は見つかっていない。また、気になる話もその記事には書かれていた。バミューダ諸島付近は「バミューダトライアングル」と言って、別名「魔の海域」と呼ばれているらしく、昔は戦闘機や船が相次いで消息をたっていた。近頃ではそんなことはあまり起こってはいなかったためか、この事件は世界各地で少し話題になったらしい。

そんなことがあったなんてその頃の慎二は知るはずもなかった。渚と出会わなければこれからも知ることなんてなかっただろう。渚はこの事件で父親を失った。しかも亡骸すら見つかっていないのだからさぞ悲しいことだろう。悪い記憶を呼び起こしてしまったと思い、慎二はますます気まずくなった。心無しか元気の無い渚を目の前に何も出来ずに日はゆっくりと傾き、空が真っ赤に染まっていた。

「そろそろ帰ろうか」

渚の声で慎二ははっとして、勢いよく立ち上がった。

「そうですね。帰りましょう。」

おどおどしている僕を横目に渚は笑った。

「さっきも言った通り、気にしなくていいよ。私は父が無念の中死んだとは思えないし、もう昔の話だからさ。」

そう言って渚は教室を後にした。僕は赤く染まった教室を見渡した。僕の心の中で何かが疼くのを感じた。



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