光なき世界で、ただ一人願う

 「これ、どう思う?」


 「知らないわ、こんなの。私は知らなかった。こんな部屋があるなんて。あいつが後で勝手に作ったのかも。」


 伊集院家当主のコトネが言うのだから間違いないのだろう。地下への道は比較的綺麗で、普段から通っているのが分かる。


 「ガスは……良いわね。有毒ガスもないし、酸素濃度も十分。行きましょう、何か亡霊の手がかりが見つかるかも。」


 ユーシーは暗がりの地下への階段を降りていく。俺たちもそれについて行った。階段は意外と短かった。大迷宮になっているのではないかと勝手に想像していたが、階段の先には扉が一つあるだけだった。鍵がかかっている。


 「いかにも大事なところね、下がりなさい。鍵を破壊するわ。」


 ガキンッ!と大きな音がした。そしてドアが静かに開く。俺たちは全員、顔をしかめた。中には男が鎖に繋がれていた。男は髪や髭が伸びっぱなしで、長い間監禁されていた様子だ。部屋の周りには拷問器具もいくつかあった。男の身体には傷跡がいくつもある。凄惨な景色が容易に想像できた。そして異臭がする。長いこと風呂に入っていないのは勿論、糞尿も垂れ流しだ。部屋の具合から見るに定期的に清掃はしているようではあるが……。


 「う、うぅ……また……貴様か……食事の時間ではないな……無駄だ……俺は決して……。」


 男は顔を上げる。俺たちと目が合った。普段と違う来訪者なのか驚いた表情を浮かべ、取り乱したかのように奇声をあげる。


 「く、くくく……まさか……まだこんなことをするとはな……騙されると思うなよ!俺の妹に、コトネに手を出したらただでは済まさんぞ!!失せろ幻覚めが!!そんな手で、この伊集院弦の心が折れると思うな!!!」


 ───今、この男は何と言った?伊集院……弦……?奴は今しがた、灰となったのではないか。聞き間違いではないか、俺は皆を見回すと同様の反応を示している。監禁された男をユーシーは解き放つ。男の拘束具は壊され、両手両足が自由になった。


 「落ち着いて。私たちは敵ではないわ。こうしてあなたの拘束を解いたのが証拠、あなたの言う"貴様"とやらは私たちが始末したわ。いえ、正確には灰になった。単刀直入に聞くわ、あなたは何者?」


 男は身体を震わせて、生まれたての子鹿のように立ち上がる。だが、長いこと拘束されていたのか筋肉は衰え、すぐに腰を崩した。


 「奴……ヴィルカチを……倒したというのか……?嘘だな……奴は不滅、アドベンターの一柱、寄生先を変えて……。いや、灰……?そんなことは……まさか本当に倒したのか……おぉ……おぉぉ……。」


 咽び泣く。それは魂の叫びだった。そしてコトネの方を見つめる。


 「では……これは幻覚ではないのだな……あぁ……神よ……コトネ……大きくなったな……最後に見たのは、中学校の卒業式だったか……?覚えているか……あの時、お前は友達と別れたくないからと……柄にもなく涙を流して……私を困らせ……そうだ……父上や母上は元気か……あのオリーブの見える屋敷は……コトネ……?どうした……?何故そんなに……。」


 衰えた筋肉で懸命に身体を動かし手を伸ばす男に、コトネはビクッと身体を反射させる。


 「来ないで!!」


 そして叫んだ。全員が静まる。


 「ふ、ふざけないでよ……あれだけのことをしておいて……今更、良い兄面?ふ、ふざけないでよ!い、今まで私がどれだけ……。」


 涙ぐみながら、コトネは叫んでいた。様々な感情の激流が頭の中を駆け巡り、思考回路は既に崩壊していた。今のコトネは、ただ子供のように、本能に身を任せて叫ぶしか無い。


 「コトネ……この男が言うことが本当ならお前の兄はずっと……。」

 「やめてよ!!レンまでそんなことを言うの!?こいつが……こいつさえいなければ私はこんなことにならなかった!!なのに何!?こいつが全部悪いんじゃない!!何で被害者ぶってるの!!?」


 自分でも無茶苦茶を言っているのは分かっていた。だが頭は納得が行かなかった。兄のせいで無茶苦茶にされた人生。だがその兄は本当は別人で、ずっと馬鹿みたいに兄を毛嫌いし続けて、今になって本物は別にいたなんて、感情の整理がつかなかった。


 「……奴は、ヴィルカチは、コトネに手を出したのか。」


 男は俺を見て尋ねた。その目は清廉でありながら力強さを感じ、先程まで拷問により疲弊したものには見えなかった。俺は黙って頷くと、男は少し考え込み、そして近くに落ちていた瓦礫を使って自分の身体を傷つけた。驚き止めようとするが、その瞬間能力が発動する。それは弦の本来のアタッチメント。吹き上がる血液は、形を変えてコトネを優しく包み込んだ。まるで、朱色のヴェールのようだった。どこまでも優しく、相手を傷つけようとしないもの。


 「コトネ、覚えているかな。お前最後に話した中学の卒業式、あのときもこうしたな。」


 弦のアタッチメントは他者の血液を自在に操作するもの。そう言っていた。だが本質は違っていた。他者の血液を操作するということは、血液を介して他者の感情も操作できるということ。弦は今、血液を介してコトネに触れる。そこに邪悪なものはない。ただ優しく、落ち着かせるようにするもの。コトネはあの時の、卒業式のことを思い出した。



 「コトネ、別れはいつか来るものだ。かけがえのない友人であっても。とても悲しいことだけれどもそれは仕方ない。だがもしも、本当にお互いのことを大切に思っているなら、いずれ巡り会える。それは因果とも呼ぶ。あるいは運命……か?だから俺たちは笑って送り出すんだ。だってほら、また出会うまで、最後に見た顔が、そんな顔じゃあ恥ずかしいだろ?」


 泣く私を、自身のアタッチメントを使い慰めてくれた。兄の手に触れるだけで、荒んでいた大地には春の風が吹き、一面の花畑へと変貌する。乾いた心には優しい雨が降り、満たしてくれた。言葉だけではなく、優しく心の傷を癒やすように。兄のアタッチメントは使い方次第でどんな邪悪な使い方もできる。だが私にとって兄の能力は、誰よりも優しい能力だった。そんな兄が誇りで、最高に自慢できるものだった。涙をぬぐい別れを惜しむ友人たちに向き直る。



 「あ……あぁ……あぁぁぁぁぁ……。」


 コトネは堰を切ったように涙を流して崩れる。まるで憑き物が落ちたようだった。そして血液のヴェールは元の血液へと戻っていった。それは最後に『男』が『伊集院弦』となった証でもあった。


 「俺の能力は他者の血液を操るもの……あぁ、最後に、最後の最後に、最愛の妹に会えて、伊集院弦として死ねるんだな。本当に……良かった。コトネ……本当に大きくなったな……もう俺がいなくても……大丈夫なくらいに……。」


 弦は意味深なことを呟く。死ぬ、確かにそういった。その言葉はコトネも聞き逃さなかった。


 「兄さん……?今、なんて言ったの……?死ぬって……わ、私のために作ったその傷が原因なら今すぐ治療すれば!」


 焦った様子でコトネはアタッチメントを展開した。


 「違う、違うんだコトネ……俺はもう終わっていたんだ、お前の卒業式が終わった日から。ヴィルカチに襲われた日から。今まで俺は一人の名もなき肉塊として生きていただけなんだ。ヴィルカチの……養分として……だがもうこれで終わった。終わっていたんだ。」


 優しく、だがはっきりと残酷な言葉だった。コトネは意味が分からないと現実を受け入れようとしない。弦は次に俺の方へと向いた。


 「レンくんといったか……?君のことは知らないが、この少しの間で分かる。兄だからね。コトネが君を信頼していることを……卑怯なことを言うようで悪いんだが、どうか……俺の代わりにコトネの傍にいてほしい、だってほら……コトネは泣き虫だからな。」


 そして弦は満面の笑みを浮かべる。何故だか知らないが、それは今生の別れを告げるような、そんな悲しい笑顔だった。俺は悪寒がした。夢野も叫ぶ。察していた。その笑顔で全てを理解した。


 「コトネ!!」


 俺は弦に近づくコトネを無理やり抱きかかえて、後ろへ飛ぶ。瞬間爆発音がした。とてつもない轟音。そして撒き散る血しぶき。弦は破裂して死亡した。それは時限爆弾のようで、ヴィルカチの仕掛けた最後の罠。"終わっていた"とはそういうことだったのだ。コトネと再会し、伊集院弦として名前を取り戻した瞬間発動する卑劣な罠。


 「え……なん……で……わた……し……まだ……。」


 弦がいた場所にコトネは手を震わせながら伸ばした。その先には、骨一つ残らず、ただ部屋中を破裂した時に飛び散った血で染められていた。


 「コトネ!気を確かに持て!弦の!兄の言葉を思い出すんだ!!」


 コトネの精神は限界だった。色々なことがありすぎて、精神が崩壊してもおかしくなかった。だから俺は、弦の、コトネの兄の言葉を借りて、必死に正気に戻させる。


 「う……うぅ……馬鹿……こんなの……卑怯よ……あぁぁぁぁぁ!!」


 コトネは抱きかかえる俺にしがみつき泣き叫んだ。血染めの小さな部屋の中で。失った兄のことを想いながら。だが、確かに兄はここにいたのだ。皮を被った化け物ではなく、最後の最後まで、死の直前でさえ、最愛の妹の身を案じ続けた、誇り高き、伊集院弦の姿が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る