転生職人
錨 にんじん
プロローグ
えっと、今日は7月25日で、天気は晴れ。
名前のところに「
よし。日報はこれでよかやな。
「あ、海人―!悪いんだけどさ、ちょっと乳剤だけ乗せてから帰ってくれない?」
今日の仕事も終わり、俺以外の従業員が帰った、そう思っていたがどうやら帰っていなかったようだ。
作業員事務所で煙草を吸いながら日報を書いていた俺の下に、未だに残っていやがった髭ダルマ、中間管理職である
俺は煙草の煙を天井に吐き捨てると、清々しい笑みを中司に向けてやる。
「いやだ」
「いやごめんって!ほんと、海人がいてくれなかったら俺が積んでたんだけどさ!」
「じゃあ、今から自分で積んだらよかやん?」
「いやまあそうなんだけど、どうせだったら慣れてない俺なんかより、慣れてる海人がやった方が早いし、確実じゃん?なぁ頼むよ~」
中司はへらへらと気色悪い笑みを浮かべながらそう言うと、流れるような動作でフリーになっていた俺の左手を掴むと、何かを強引に握らせてきた。
硬い棒状のそれを、俺は握らされた瞬間すぐに分かった。
「お前……ふざけんなって~!何鍵渡してきとっとや~」
それは、今から間違いなく操縦させられるであろう、中型の油圧ショベルの鍵だった。
中司は俺を強引に立たせると、肩に手を置いて押すという強行手段を取り始める。
「いや、ほんとお願いしますって~」
「いやぁ、お前ほんとこういうのはもっと早く言ってくれんと~。俺もう安全靴脱いどるしさ~?」
「ホント、助かりますわ~」
結局こうなるのか……
こうして、不思議なことにいつの間にか中型の油圧ショベルに乗り込んでいた俺は、渡された鍵でエンジンを掛けた。
「よーし!じゃあ、さっさとやろうか~」
因みに安全靴は中司に立ち上がらされたタイミングで履き替えている。
俺は両脇にある2本の操作レバーを操作してアームを持ち上げると、旋回して乳剤置き場に向き直る。
乳剤置き場には、一番手前にあるドラム缶にワイヤーを通して待機している中司の姿があった。
「1個か?」
「1個でよかよ」
「あいよ」
俺はアームを、ワイヤーが通されたドラム缶の上にくるよう伸ばすと、中司がバケットの裏にあるフックにワイヤーをひっかける。
その後、中司がその場から撤退したことを確認した俺は、ドラム缶を持ち上げるためにアームをゆっくりと上げていく。
ワイヤーが張り、ドラム缶が地面から完全に浮かせるとさらに、周りのドラム缶より高い位置まで上げていく。
するとちょうどそのタイミングで、先ほど撤退した中司がこれを積み込む軽トラックを運転して戻ってきた。
運転席から降りてきた中司が荷台の煽りを倒すと、荷台へと上がりこむ。
「いくぞー」
俺はそう言いながら油圧ショベルを旋回させ、中司の傍までドラム缶を持っていく。
「まだ良いって言ってなかったんやけど?!」
「知らん。下ろすぞ」
急に仕事を振ってくる管理職の言葉など知ったこっちゃない。
「あー、ちょっと待って!もうちょい前!」
ドラム缶を下ろし始めたところで、突然上がった中司の声に俺は操縦する手を止めた。
そして直ぐに、中司の指示の通りに操縦席の方へと少しアームを動かす。
「これぐらいか?」
「おっけ!」
「あいよ」
こうして今度こそドラム缶を荷台に下ろすと、中司がバケットからワイヤーを取り外した。
俺はアームを折りたたむと、バケットを地面に当て油圧ショベルのエンジンを切る。
操縦席から降りると、中司が軽トラックのあおりを畳んでいた。
「これで全部か?他にはないか?」
「あとは終わりで大丈夫!ありがとさん!あ、鍵は貰っとくよ」
「おう。よろしく」
俺はあおりを畳み終えた中司に鍵を渡すとそこで別れ、作業員事務所へと戻っていく。
椅子に座り、煙草に火をつけて半分ぐらいまで吸ったところで、原付バイクに跨る中司が事務所の前に現れた。
「海人ーじゃあ俺も帰るで!乳剤ありがとうなぁ~。お疲れ~」
「お疲れ~」
俺は原付で走り去っていく中司を見送ると、煙草を口に咥える。
スマホを取り出し画面を見ると、時刻は18時を回っていた。
「もうこんな時間か……俺もはよ帰るか」
そんなことを一人でつぶやきながら煙草の煙を吐き出す。
やがて煙草を吸い終え、帰り支度のために脱いだ反射ベストを畳んでいると突然、地面に大量の水が激しく打ち付けられる音が外から響き渡ってきた。
その音は途端の屋根からも響いており、事務所全体にこだましている。
「え、雨~?さっきまで晴れとったやん!雲もなかったし!」
予報にもない突然の土砂降り。
俺は事務所の入り口までいき空を見上げる。
雲はない。
だが、土砂降りである。
「通り雨っぽいし、もう一本吸いながら止むの待つか~」
そして、再び椅子に座った俺は新しい煙草に火をつけた。
煙を吐き出しながらはよ止まないかと外を眺めていると、雨はすぐに止んだ。
だが、次に見えたそれに俺は思わず声を上げる。
「え、雪?!」
なんと、今度は雪が降り始めたのだ。
それも、一つ一つが大粒であり今にも積もりそうなほどにである。
「何で雪?いま夏やぞ?」
訳も分からず降り続ける雪を座って眺めていると突然、頭上から大きな音が響き渡った。
俺はその音に、口から煙を吐き出しながら天井へと視線を向ける。
そこには、俺の記憶が正しければ、天井の梁(はり)であったであろう鉄骨が、大量の雪とともに迫ってきていた。
「あー、死んだなぁ」
その光景に、俺は死を直感する。
だが、俺は不思議と自分でも驚くほどに冷静だった。
もしかしたら、無意識のうちに諦めていたのかもしれないが。
俺はその場から動こうとせずに、迫りくる鉄骨と大量の雪を眺める。
人間、死ぬ瞬間はどれだけ早いものでもスローに見えるようになるとは言うが、本当なんだな。
落ちてくる鉄骨の数まではっきり見えやがる。
にしても、雪の重さで天井が崩れてくるとか、とんだ欠陥工事だな。
こうして俺はその光景を最後に、まだ半分にも満たない煙草を咥えたところで意識を失った。
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