青海剣客伝 ―用心棒余話―

藤光

第1話 大商人、石川屋を襲った怪

 山伏だ。山伏がいる――。


 月に一度回ってくる城内の櫓門やぐらもんに詰める宿直とのい勤務を終えた板野喜十郎が、勤務を終えて屋敷へ戻ってみると、がらんとした座敷でひとりの山伏が飯を食っていた。


 ――だれだ?


 白い鈴懸すずかけ手甲てこう脚絆きゃはん、額に頭巾ときんをいただいた様子はどう見ても山岳行者、山伏のいでたちである。喜十郎には、わが屋敷を訪ねてくる山伏にまったく心当たりがない。それとも、まだ病の癒えきらぬ母が、病平癒の加持祈祷でも依頼したのであろうか。


 それにしてもいい食いっぷりである。玄関から喜十郎が入ってきたのに気づきもしない。先年、事情があって家禄に加増があったから良いようなものの、そんなに米を食われたのでは我が家の米櫃はすぐ空っぽになってしまうぞ――にしても何者なんだ、こやつは。


 喜十郎が声をかけようとした、ちょうどその時、椀から顔を上げた山伏と目があった。


「あっ!」

「よう。遅かったな」


 髭だらけの浅黒い顔。笑った口元に覗く白い前歯が欠けているところに愛嬌がある中年男だった。


「鷲尾!」

「久しぶりだな、喜十郎」


 大きな体といかめしい顔つきに反した人懐こいその笑顔。先年、用心棒として働いたときに相棒だった鷲尾十兵衛だった。しかしなぜ、鷲尾が喜十郎の屋敷で飯を食っているのか? 


「ひさしぶり……はいいが。なぜ、鷲尾がここで飯を食っている?」

「いやな、おぬしに用件があって人伝てに訪ねてきたのだが――」


 忙しく飯をかきこみながら言う。武士として甚だ不体裁だが、そんなことを気にする鷲尾ではない。


「月に一度の宿直明けでまだ戻らんと聞いた。戻るまで待つと伝えたら、気を遣った御新造が昼の膳を用意してくれたのだ」

「ごしんぞう――だと?」


 喜十郎が呆気にとられているところへ、奥の台所から女が現れた。姉さん被りと白い前掛けを身に付けて下級武士の妻女の支度である。


「あ、おかえりなさい。遅かったですね」


 喜十郎が通っている剣術道場の娘・絵都である。先ごろ、藩内で起こった凶事に際して深手を負った喜十郎が寝込んでいるうち、絵都は病弱な喜十郎の母を助けて板野家の家事を手伝うようになっていた。最初のうちは、恐縮して屋敷へは来ないよう頼んでいた喜十郎だったが、いくら言っても絵都が聞かないため、最近では毎日のようにやってくるのが当たり前のようになっていた。もちろん、


「お客さまにお膳を用意していたら、喜十郎どのの分がなくなってしまって……すぐに準備しますから」

「いやいや! 絵都さん、気を遣わないでください。自分でします。それに……こいつにお膳など無用ですよ」

「そうですか? 大事な御用があるから待たせてもらうと行者さまがおっしゃったので……」


 なにがなものか。喜十郎は苦笑した。鷲尾十兵衛は、憂き世の怠惰と厚かましさをこね上げて作られたような男だ。とても修験道の厳しい修行に耐えられるとも思われぬ。


 この男は山岳行者などではない。主家を失い、長年にわたる浪々の身とはいえ歴とした武士である。家族を養うため、人に雇われて用心棒を務めるのを生業としているはずだ。


 以前あった時は、新港の大きな商家に用心棒として雇われていた。いったい山伏装束に身をやつして今度はどんな仕事を請け負っていることやら。


「これは御新造、大変美味しかったです。毎日、こんなに旨い飯が食べられる喜十郎は、青海一の幸せ者ですなあ。いや、ご馳走様でした」

「いえ、至らないことで――恐縮です」」


 料理の腕を褒めらたことがまんざらでもないのか、御新造、御新造と呼ばれはしても絵都はにこにこと上機嫌だ。彼女とは対照的に冷や汗を額に浮かべた喜十郎が鷲尾の袖をひいた。小声で鷲尾の耳元にささやく。


「御新造はやめろ」

「なに? おぬしの奥方を御新造と呼ぶことになんの不思議がある」

「だから、そうではないのだ」

「なにを言っているのか、さっぱり分からん」


 だから誤解なんだと、喜十郎は鷲尾を急きたてるようにして立たせると、不思議そうにふたりを見送る絵都を置いて屋敷を出ていった。


「帰ってきたと思ったら、またすぐに表へ出て。忙しない男だな」

「おぬしが余計なことを口にするからだ」

「ゆっくり屋敷の中で話をするつもりだったのに、なんのつもりだ」

「だから誤解だと言ったろう」


 喜十郎が、これまでの行く立てを話して聞かせ、「絵都さんはおれの妻ではない」と話すと、鷲尾を目を丸くしながらも納得したようだった。


「ふーむ。しかし、これまでの経緯はどうあれ、あり様は押しかけ女房と変わらんぞ」

「そうではないというのに」

「なんだ、おぬし。まだ手を出しておらんのか? だらしないぞ、あんな美人に懸想されているというのに」

「絵都さんが、おれに懸想するわけがなかろう」

「ふん、鈍いやつだな。なんとも思っておらぬ男の屋敷へ通い詰める女がいるものか――喜十郎は果報者よな。あやかりたいわい」


 妻も子もある四十男がなにを言うか。押しかけられる方も、それはそれで大変なのだ。周囲の目もあるし、絵都は剣術の師である斎兵庫の妹だ。百歩譲って絵都が自分に好意を抱いているとして、自分から師に対し、絵都を妻に――と切り出せるとはとても思えなかった。


「笑いたければ、笑え」

「笑いはせんから、その代わり――仕事を手伝ってくれんか。もちろん手間賃は出す」


 やっと鷲尾が喜十郎を訪ねてきた理由が聞けそうだった。



 青海川の水面を撫でた冷たい風が、冬枯れの堤防の道を渡っていった。いつのまにか季節は秋を過ぎて冬に差し掛かっている。板野喜十郎と鷲尾十兵衛の二人は並んで堤防の道を城下へ向かって歩きはじめた。


「いい話だと思ったのだ。なにしろ、ある屋敷に一晩泊まって、手当が五両だ」

「五両」


 一晩で五両の手間賃がもらえるとは、法外な報酬だ。

 しかし、破格の報酬が約束されているということは、それなりの困難が伴う仕事のはず。世の中、楽して五両の金が懐に転がり込むほど甘くはない――と喜十郎は、以前に用心棒として働いたときのことを思い出していた。


 あのときは、知らなかったとはいえ藩のご法度である「抜け荷」を行っている商家に用心棒として雇われ、すんでのところで奉行所の牢に繋がれるところだった。ものだ。

 

「その衣装なりは、仕事がらみか?」

「ああ、これか」


 剃り上げた頭をぴしゃりとと叩く。山伏姿になりおおせるため、鷲尾は未練なく髷を落としていた。髷を落とそうと考えた動機はともかく、その潔さには感服するしかない。


「どうだ山伏に見えるか」

「うまく化けた。山伏以外のなにものにも見えん」

「そうだろう。この衣装なりのおかげで、最初はうまくいった。さいしょはな」

「いったいなんなんだ。おぬしが手伝えという仕事は」


 まどろっこしいやつだ。喜十郎はそろそろ焦れてきた。はっきりと話せ。


「石川屋を知っているだろう」

「石川屋? 船問屋ふなどんやのか」

「そう。港に出入りする船の積み荷の半分が石川屋を介して売買されるという、青海きっての大商人だ。今回の仕事の依頼主だ」

「まさか」


 鷲尾のいうとおり、石川屋は青海一の商人であり、藩経済の要でもある。身分は商人とはいえ、鷲尾のごとき一介の浪人者が関りをもつ人物とは思えない。


「いや、表の商売ではなく、奥向きの依頼だ。いま石川屋の奥で怪異が続いている」

「怪異?」

「その怪異を気味悪がって、奉公人たちが次々と辞めていくらしい。若い丁稚や女中だけでなく、勤めの長い手代、番頭まで暇が欲しいと言いはじめたものだから石川屋は閉口してな。悪いうわさが広まらぬうちに手を打とうとしている」

「なんだ、その怪異というのは」

薙刀なきなたが――。夜になるとのだ」

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