私はそこにあるものを、見なかったことにしたはずだった

海堂 岬

神様から加護を授かった少女の物語

第1話 あってはならないもの

それは、あるはずの無いものだった。一瞬だった。一瞬だけど、間違いなく、そこにそれはあった。


 喉仏だ。


 私は、私の目を疑いたかったが、私の目なのだ。見間違うことはない。見ないことにしたかったのに。私は、手元の刺繍に視線を落とした。とりあえず、気づいていないふりを装うことにした。


 王立学園では、貴族の子弟が学ぶ。伯爵家の娘である私もその一人だ。それなりに歴史のある伯爵家ではある。財力には、改善の余地がありすぎる。私個人のお小遣いのために、刺繍をしていた。


 かつて、この国の公爵家の御令嬢が、隣国の王太子に嫁がれた。お二人は仲睦まじくていらっしゃったそうだ。その幸せは、儚く散った。第二王子、王太子の弟が、父である国王と兄の王太子を殺害、国を乗っ取ったのだ。


 隣国の王太子は、内乱の気配を感じていたのか、身重の愛する妻を、故国に帰らせていた。必ず迎えに来ると言う約束は、果たされなかった。夫を喪った妻は悲嘆にくれ、一人の女児を産み落とし、儚くなられた。女児は、祖父母である公爵夫妻の娘として育てられている。隣国では、王族であっても女児には継承権はない。王権を簒奪し、隣国の国王となった男も、女児には興味はないらしい。


 私が生まれる少し前の出来事だが、この国に住むものならば、誰もが知っている。


 だから、かの御方には、喉仏があってはいけない。私は、何も見なかったことにした。

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