序章 『アインウルフの帰還』 その5


『ふんふふーんっ!』


 鼻歌を歌いながら、爪の先で葉っぱをわしゃわしゃ揺さぶりながら、ゼファーは森の切れ目へと向かった。


 『小屋』とは謙遜だったな。三階建てのロッジが見えている。その前には、『メイズ/庭迷路』あるな。あれを踏みつぶすのは、少しばかり蛮行が過ぎるよ。うちの奥さんたちにもドン引きされてしまいそうだから、メイズの手前にある材木置き場を狙うとしよう。


「ゼファー」


『おっけー』


 ゼファーはしっぽを振ってスライドするための運動エネルギーを作り出す。翼を平行にしながら、左にスライドすれるように飛び、さらに沈んだよ。木々の枝をへし折る感触をゼファーは楽しむ。破壊は竜の本質だからな。何だって壊せるとワクワクするのが竜だ。


 それに。


 大量の枝をバキバキって折っちまうのは、とんでもなく気持ちいいものじゃないか。ガキの頃に秘密基地を作成するときの素材として、大量の枝を選んだことがあるヤツには共感してもらえるだろうさ。


 樹液の油っぽい香りがする枝をまとめて、ボロ布をかぶせて作ったソファーやベッドは、痛くて眠り心地サイアクだけど、なんだかとても楽しいものじゃないか。


 仔竜の心を楽しませる小規模森林破壊の軌跡を森に描いて、ゼファーは材木置き場にある積み重なった丸太に蹴爪を叩き込んだ。


 大きく揺れるが、翼を羽ばたかせてバランスを取るのさ。竜騎士さんも重心移動でフォローするし、ゼファーはしっぽを振り上げることで、安定した。


「……なあ、サー・ストラウスにゼファーよ。変なトコロに着陸しすぎじゃないか?」


「そうだな。だが、道の石畳を壊すこともない。まして、あのメイズを壊すのはもったいないじゃないか」


「まあ、何だってむやみやたらに壊せばいいってもんじゃないよな」


 グラーセス王国人も、より文明的な価値観を得ようと必死であるようだ。


 ゼファーは丸太の上でバランスを完全に取ったあとで、可愛らしくピョン!って飛んだよ。


『じゃーんぷっ!からの……ちゃくちっ!』


 ズシイイイイインン!!


 朝の森を揺さぶって、枝の間で翼をくちばしでつついていた鳥たちは、翼をあわただしく動かして、空へと飛び去ってしまう。


『……あー。おどろかせちゃったー』


 少しだけすまなさそうに、ゼファーはつぶやいた。もちろん、それほど深刻なことではない。どうせ、朝のあいさつを済ませた鳥たちは、空へと飛び出す時間だ。


 とくに、イエスズメたちは、朝から虫けらを探すのに必死だ。この時期なら、虫けらをたくさん食べられるだろうからな。


 小鳥どもの軌跡を見ていたら、ギュスターブが口を動かした。


「そういや、腹が空いたよな」


 蛮族的な感性は、夏の食事量で太ったイエスズメのずんぐりとした体を、食料だと判断していたようだ。マリー・マロウズの目指す、文明的で洗練されたグラーセス王国人の完成は、少しばかり遠いような気がする。


 だが。


 気持ちも分かる。


 空を飛ぶ連中のことを、ガルーナ人は愛らしくは思ってはいるがな。空を夜通し飛ぶってことは、空腹を招くことじゃある。深夜の寒い風は、アルコールだけでは完全に御しきれないからな。


「冷えると腹がすくからな」


「本当だぜ。サー・ストラウスがよく食う理由が分かったよ。なあ、アインウルフ?」


「食事か。そうだな、別荘には食料の備蓄があるはずだ。管理を任せているボビーが、何か作ってくれているはずだ。私が、いつ狩りをしたくなって、ここを訪れるかもしれいと」


「忠実な使用人か」


「そんなところだよ。ちなみに、ドワーフ族だ」


「書類上の奴隷ってヤツの一人かよ……」


「元々は、『ゲブレイジス/第六師団』の蹄鉄職人だったんだがな。従軍しながら、最高の仕事をしてくれた古い職人だ。故郷が、帝国に併合―――いや、攻め滅ぼされて、故郷を失い、この『オールド・レイ』に住むことを願った。奴隷ではないよ、帝国市民でもないがね」


「……そういう立場って、どういうんだ?」


「ここの領主である私は気にしないし、ボビー自身は、もっと気にしてはいない」


「ドワーフらしい感性だな」


「そうかい?……グラーセス・マーヤは、もうちょっと立場に気を使うけどね」


 まあ、ギュスターブは変に細かいところもあるな。ジャスカ姫のように、あっけらかんとしてはいない。組織に対する気遣いとかは、かなりある方かもな。


「なんであれ、ちょっと会いたくなったぜ、オレはそのドワーフに」


「サー・ストラウスは色んなヒトに会いたがるなあ。ドワーフはオレだけで足りてるって、考えないのかよ?」


「鋼を打つ達人なんだぜ?」


「……っ!!そうか、たしかにな……さすが、サー・ストラウスだ。仕事させるつもりだな、その年寄りに!」


 さすがってのは、どういう意味なのか?……オレは年寄りにムチャさせることは、アーレスぐらいにしか、させちゃいないと思うんだがな。


 だが。蹄鉄職人でドワーフなら、ゼファーの黒ミスリルの鎧を叩いてもらいたい。ゼファーは『メイガーロフ』の空を制覇して、また成長しているし、戦闘や飛行のダメージが鎧に出ている。


 ……連戦だったしな。戦いで疲弊した『新生イルカルラ血盟団』の装備の修復を優先して、ゼファーの鎧の修繕を後回しになっていた。ほんのちょっとだけ、ゼファーの体に合わせるように、ちょっとずつ、繊細な判断のもとに、鎧の鋼を打って欲しいんだよ。熟練した腕に依頼したい。


「……ボビーに、ゼファーの鎧の調整を頼めるか?」


『……っ!!どわーふのしょくにんなら、いいしごとしそうだね!!』


「するだろうね。蹄鉄にこだわりがあったが、鎧も剣も槍も作れた、真の鍛冶屋だよ。何でもやれる。だが、少しばかり離れたところに住んでいる」


「今すぐじゃなくてもいいさ」


「そーだぜ。竜が要るような大きな戦いは今のところなさそうだし。それに、今は優先すべきことが他にあるよな!」


「ああ、私の別荘に行き、何かしらを食べるとしよう」


「おー!!アインウルフの別荘を略奪してやろうぜ、サー・ストラウス!!」


「そうだな。バターと厚切りの干し肉と、パスタ。あとは、ちょっとした野菜なんかがあれば美味い料理を作ってやれそうだぜ」


「ソルジェくんは料理が好きだね」


「そのまま丸かじりするんじゃダメなのかい?」


「そのまま丸かじりするよりも、もっと美味く食ったほうがいいだろうが?」


「そりゃー、たしかにそうだ」


 蛮族的な価値観に支配されたギュスターブは、握力任せに自分とゼファーの鎧を結んでくれていた命綱を引きちぎって、大地へと飛び降りた。


 オレとマルケスも続いたよ。『オールド・レイ』の地面を踏む。やわらかで、肥沃な土だな。


 マルケスは、自分の領地の土を踏み、懐かしそうに微笑む。それを無視するように、ギュスターブは『食料』に向かって、歩き始めていたよ。




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