初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが

藍生蕗

第01話


 十歳の頃、リエラは父親に思い切って打ち明けた。

「あの子と仲良くしたい!」


 先日行ったお茶会で挨拶した男の子で、とても素敵な人だった。

 緩い癖毛の真っ黒な髪、紺碧の瞳。

 麗しい顔立ちににっこりと柔らかな笑顔。

 年は一つ上なのに、柔らかい笑みは年下のような気安さがあり、兄のような乱暴で粗雑な要素は欠片も無かった。

(また会いたい)


 リエラは明るい緑の瞳を輝かせた。


 ──シェイド・ウォーカー令息。


 彼はリエラの初恋の相手となった。


 父への訴えから半月後。母が主催したお茶会にシェイドが来てくれると聞いて、リエラは飛び上がる程嬉んだ。

 鏡に映る地味な焦茶色の髪にがっかりしながらも、侍女が結ってくれた複雑な編み込みは素晴らしく、リエラは嬉しくなって色んな角度から何度も確認してしまった。

 あれこれ悩んで準備をして、おめかしを精一杯頑張って。侍女たちの優しい眼差しは照れくさかったけれど、それ以上にシェイドと会える事が待ち遠しくて嬉しかった。


 でもお茶会が始まってからは、途端に恥ずかしくなってしまって近くにいけず……

 もじもじしながら友人達と話をしつつ、視界の端で彼の様子を覗っていた。

(どうやって話し掛けよう……)

 そわそわと落ち着かない気持ちでお茶を飲んでいると、聞き捨てならない台詞が聞こえてきた。


「……ねえ見て、素敵な方がいるわ」

 

 シェイドをちらちら見ながらそう呟く令嬢たちの言葉にリエラは焦った。

(私が仲良くしたくて呼んだのに……嫌だ、横取りしないで!)


 シェイドが茶会の会場から背を向けて、庭園に足を向けるのを見るなり、リエラは友人たちとの会話を無理矢理に終わらせて後を追った。


「──ま、待って!」

 息を切らせて追いついた背中に声を張る。

 驚き振り返るシェイド様にリエラは急いで自己紹介をした。


「わ、私! リエラ・アロットです!」


 会いたかった思いを込め、胸に手を当てて吐き出した言葉に、シェイドは目を丸くして、口元を小さく綻ばせた。


「ああ──……うん」


 ──彼は微笑んでいた。

 でも眼差しは凪いでいた。

 それを見てリエラは一気に冷静になり、悟った。


(ああ、彼は……)


 望んでこの場に来たのでは無いのだと。


 アロット家は伯爵家ながら、古くから王家に仕える由緒ある家柄だ。

 そして聞いたところによると彼の家格は子爵家。……断れない立場だったのではなかろうか。


「初めましてリアラ嬢、今日はお招きありがとう」

「……こちらこそ、ウォーカー令息。来て頂いてありがとうございます」


 流れるような動作で頭を下げるシェイドに、リエラも淑女の礼をとった。

 目の前に手が差し伸べられて、重ねた自分の唇を落とす仕草を返された。

 ……実際に口付けを落とさないのが礼儀なので、これはおかしくはない。


 けれどリエラの手に顔を寄せるシェイドの眉は寄っていて。

(……嫌なのね)

 リエラの気持ちはずんと沈んだ。


 貴族の子女とは言え、お互いまだ成人前。

 礼儀を身につけていてもそれを実戦で完璧に振る舞える程、二人は熟達してはいなかった。

 リエラもまた未熟ではあるが、シェイドに抱いた恋心故、そのささやかな機微に気づいてしまったのだ。


 それでも何とか令嬢らしく、ホストの娘らしく振る舞わなくてはと、リエラは折れそうな心を叱咤して気丈を装った。


「シェイド様、庭園が見頃ですのよ。ご案内致しますわ」

「ありがとうございます」


 エスコートの為に差し出されたシェイドの腕にそっと指を添え、頑張って暗記した庭園の見どころを必死に喋った。


 相槌を打つだけの彼はお世辞にも楽しそうには見えない。

 リエラは段々と申し訳なくなってしまい、最後の方は自分も早くこの時間が終わればいいのにと口数も減っていった。


「ありがとうございます。とても楽しかったです」


 そんな最後のシェイドの表情はどこかホッとしたようだった。

(……本当に嫌だったのね)

 リエラはがっくりと落ち込んだ。


「こちらこそ。拙い案内にお付き合い頂きありがとうございました。そろそろお茶会も終わる頃かしら……会場に戻りましょうか」

「ええ」


 端的に相槌を打つシェイドに内心で苦笑して、リエラはそのまま自分の気持ちに蓋をした。


 勝手に期待して、浮かれて、全く上手くいかなかったこの時間の為、張り切ってくれた侍女やお膳立てしてくれた父母に申し訳なくて、恥ずかしくなった。


 お茶会の後、気になっていた男の子と話せたかと両親に期待を込めて聞かれ、リエラは上手く話せなかったとだけ答えた。


 それが悪かったようで、次に会った時、シェイドは酷く焦った様子でリエラに話しかけてきた。


「ねえ。楽しくなかったって聞いたんだけれど、そんな事無かっただろう? 君はずっと喋っていたし、僕に会えた時嬉しそうにしてたじゃないか」

 リエラは眉を下げた。

「……ウォーカー令息、私は楽しかったですし、あなたにお会いできて嬉しかったです。何も違えておりませんわ」

「そ、それなら……っ。君が父上たちに話してくれないか? 僕は上手くやったって。父上も母上も機嫌を悪くしてしまって──」

「……」


 きっとリエラの両親は娘の表情を見て察したのだろう。それにリエラに強請られ招待したウォーカー令息の様子も、気に掛けていた筈だ。

 その上で二人が出した結論とか、ウォーカー子爵家にどう話しをしたのかは分からないけれど、彼が期待に答えられなかったという事だけは理解できた。


「……申し訳ありません。私からは何も申し上げる事はできません」

「そんな……」


 青褪めるシェイドにリエラは思い切って聞いてみた。

「……でも、ウォーカー様は私がお嫌でしたでしょう?」

 そう告げればシェイドは大きく目を見開いた。

「それ、は……」

 視線を彷徨わせるシェイドに小さな笑みを浮かべ、リエラは続けた。


「望まぬ相手と親しくするのは難しいですわ」

 成人前の自分たちなら尚更。まだまだ貴族の矜持より己の感情に振り回されてしまう。


 家が困窮している訳でも、切羽詰まった事情がある訳でもない。まだ子供な立場に甘んじているリエラたちは、そんな気負いは必要ないのだから。

 それにシェイドならいくらでも好きな相手を選べるだろう。無理する必要なんてないのだ。


「ウォーカー様ならもっといい出会いがありますよ」


 そうにっこりと笑えばシェイド様は驚きに固まった。──それが最後。


 そしてその後。

 そんな初恋の小さなトラウマを抱え、リエラはすっかり自信を無くしてしまったのだった。


 だから私の結婚は父に任せる事にした。




 ──で、




「私たちの真実の愛には、お前ごときが立ち入る隙などない!」


 あれから八年。

 学園卒業後、結婚どころか婚約者のいない十八歳のリエラの為にと、兄が捩じ込んだ見合いの席での事である。

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