第27話 サロメの術式

「すっかり温泉の虜になったみたいね。」

 気持ち良さそうに湯に浸かるフレデリカに、同じく緩んだ表情のサッポーがそう言う。

 フレデリカがヒルメの元に来て既に一月ひとつき以上が経っている。

「虜になんかなってないわ。ちょっと気に入っただけよ。」

 サッポーの言い方だと、まるで、この湯の魅力に自身の自制心が負けたみたいで気に入らなかったフレデリカは、そう返す。

「同じことじゃない。」

 そう言って、クスッと笑うサッポー。

 出会った初日には、あれ程罵り合っていた二人だったが、なんやかんやあって、フレデリカは、ヒルメの保護施設にいる者の中では、サッポーに対して最も友好的な関係となっている。

 尤も、友好的ではあるが、フレデリカは利用価値が多少ある下僕程度の認識で、友情の欠片も抱いていない為、フレデリカらしい、常に上から目線の高慢な振る舞いをしている。

 対するサッポーは、そんなフレデリカに対しても、他の子たちに対する様に別け隔て無く接し、世話をしていた。

 公平無私で、生粋の世話焼きであるサッポーは、この保護施設全ての孤児たちの良きお姉さんであるのだが、それはフレデリカに対しても変わらなかった。

 フレデリカはそれを都合の良い使用人と捉え、身の回りのあれこれをサッポーに任せていた。

 まあ、超箱入りの我儘娘のフレデリカに、やったことも無ければ、する気も無い炊事・洗濯、掃除といった身の回りのあれこれをいきなり出来るわけもないのだが。

 そういった感じで、サッポーとは比較的良好な関係を築けていたのであった。


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「そういえばアンタ、同い年だったわね。成人したらどうするのよ?」

 湯船に浸かったまま、フレデリカはサッポーに問う。

「私は、死ぬ迄ここで先生のお手伝いをしたい。だから、成人してもここで保護される子供たちの世話をしたいと思っているわ。…もし、先生が不要だって言うなら、どこか誰も来ない様な場所で細々と畑でも耕しながら生きたいわ。」

 前半は生き生きと、後半は少し不安そうに言うサッポー。

「騒がしいだけのクソガキどもも面倒を見るのを望むなんて、アンタ変わってるわね。まあ、そんなアンタだから、あの乳オバケもアンタをここに置いてるんでしょうけど。」

 自分で聞いておきながら、フレデリカは呆れた様に答える。

 そんなフレデリカの言葉に、サッポーは嬉しそうに笑った。

 サッポーの望む様に、ここには子供以外に、子供たちの面倒を見る大人たちもいる。その大多数は、子供たちと同様に保護された者たちである。


「そうです~。フレデリカちゃんの言う通りですよ~。サッポーちゃんはみんなの良いお姉さんです~。これからもよろしくお願いしますね~。」

 突如聞こえた声に、驚きを隠せずに声のした方向を見る二人。

「せ、先生!!いつの間に…」

「つい先程です~。一仕事終わったので〜。」

 サッポーの問いに、ヒルメはほんわかと答える。

「どうも〜。乳オバケです~。」

 垂れ目を細めた笑顔でフレデリカにそう言うヒルメから、僅かに不機嫌そうな気配を感じ、フレデリカは苦い表情をするしか無かった。


「本当なら、私からお願いしようと思ってたんです~。でも〜サッポーちゃんが自分から望んでくれて感謝感激ですよ~。」

 うふふ、と嬉しそうに笑うヒルメ。その言葉とヒルメの笑顔に、サッポーは嬉し涙を流し嗚咽混じりに、保護してくれたこと、それからもずっと面倒を見てくれたことに感謝を伝える。

 そんな感動的な一幕で、終始フレデリカは不機嫌だった。

「サッポーちゃんは本当に良い子です~。ね~、フレデリカちゃん?」

「頭の上に不愉快な重みがあるから答えたく無いわ。」

 ヒルメからの問いかけに、ブスッとして、不愉快そうに答えるフレデリカ。

 フレデリカの言葉通り、ヒルメの巨大な乳房が、湯船に浸かるフレデリカの頭頂部に乗っけられていた。

「不愉快ですか~?オバケさんなら重みはありませんけど~?」

「分かった!!悪かったわよ!!私が悪う御座いました!!だからその無駄な脂肪を今すぐ退けて、この拘束を解きなさいよ!!」

 あの後、魔法で拘束され、身動が取れなくなったフレデリカは、一ミクロンも悪いとは思っていない謝罪をしながらそう怒鳴る。

「う〜ん…本当にサロメちゃんそっくりですね〜。そういえば、似たようなやり取りが昔ありました~。」

 そう笑ってフレデリカの拘束を解くヒルメ。拘束を解かれ、瞬時に距離を取り、キッ!とヒルメを睨むフレデリカ。

「そんなフレデリカちゃんに、ピッタリな魔法があるんですよ~。」

 フレデリカの睨みなど気にもせず、ニッコリと笑って言うヒルメ。

 『魔法』その言葉に、フレデリカは悔しくも好奇心を抑えられなかった。


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 温泉から上がった後、フレデリカはヒルメの部屋に入ることを許された。

 几帳面に整頓された一室には、無数の書籍と小さな机、座布団と燭台、数種類の筆と硯、墨だけがあった。

「フレデリカちゃん、この一ヶ月どうでしたか~?なにはともあれ、一ヶ月ここで過ごせたフレデリカちゃんにご褒美です~。」

 そんな部屋に座らされたフレデリカに、ヒルメは一枚の紙を渡す。

「術式?」

 その紙を受け取り、フレデリカはそう言葉を漏らす。

「そうですよ~。サロメちゃんの構築した、秘蔵の術式です~。特別にフレデリカちゃんにあげます~。私には不要なので~。」

 ヒルメの言葉に、フレデリカはニヤッと笑う。

 サロメは嫌いだ。嫌いだが、あれでも一応『最果て』の魔女。そんな『最果て』秘蔵の術式だ。喉から手が出る程欲しいそれを、自分が不要だからと渡してきたのだから、フレデリカにとって、最高のご褒美であった。ある一点を除いて。

「頑張って解読してみて下さいね~。」

 ヒルメのその発言の通り、術式はあまりにも複雑で、容易に解読出来るものでは無かった。

「ふん!フレデリカ様ならこの程度、朝飯前よ!!」

 強がって見せるフレデリカを、微笑ましいものを見るような笑みで見るヒルメ。

「その意気です~。それじゃあ〜、パンパールに送りますね〜。」

「は…?今から…?」

 唐突なヒルメの言葉に、思わず言葉を失うフレデリカ。

「勿論です~。これから私は仕事がありますので〜。」

「そんないきなり!!」 

 フレデリカの反論は許さず、ヒルメは少女を抱え、一筋の光となった。



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 気が付いたら、フレデリカはパンパールにあるメヌエール邸の自室にいた。

 既にヒルメの姿は無い。

 呆然とするフレデリカの手には、ヒルメから貰った術者の描かれた紙を握られていた。それを認識した彼女は、ヒルメの使った魔法や異常事態である今現在に対する疑問以上の義務感で、

「解読しなきゃ…」

 ボーッする頭を振るい、その術式と向き合うのだった。

 ヒルメはこの術式が何なのか、一切教えなかった。しかし、フレデリカの本能が、この術式は、あの大っ嫌いな、憎っくきサロメの弱点に成り得る可能性、又は、自身の強みに成り得る可能性を感じていた。

 今自分がすべきことはこれだ!!

 そう本能的に感じ取ったフレデリカは、二日後、偶然彼女の部屋の掃除に訪れた見習いメイドラメー・エロイーズが止めに入る迄、不眠不休の飲まず食わずで、術式の解読に打ち込んでいた。


 

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