第3話 明朗快活

 俺は今メニューという名の紙とにらめっこをしている。肉、魚をメインとした主菜の数々に、これでもかというほどバラエティに富んだ副菜たち、食券を購入しようにも何を選べばいいのか一向に定まらない。


「いつまで待たせる気だぁ? どうせ明日も来るんだ。さっさと決めちまえ」


 すでに食券を購入し終えた金髪の男はこころなしか苛立っているようにも見える。ここは早々に決断せねばなるまい。我が胃袋のためにも。


 結局俺はこの無駄に豊富なメニューたちの中から食べたいものを抜き出すことを諦め、無難に“本日のおすすめ定食”を選ぶことにした。


 食券発行機のパネルを操作し、定食一覧からそれを選んだあと、かの男に渡されたカードをかざす。電子音がしたあと、食券が細長い口から飛び出してきて、“発行完了”の文字が表示された。


 「こういう感じなのか」と思いつつ、初めてのカード決済を済ませた俺は、カードを持ち主に返し、その彼と一緒に列に並んだ。並んでいる間はやることもないので、夕飯時の賑わった食堂をざっと見渡してみる。


 場の雰囲気にマッチした木製の机と椅子が並び、座席数の割には開放感がある空間。席についている人たちの表情はみな柔らかく、声のトーンは軽快だ。


 しかしその中に一人だけ、この場の雰囲気にそぐわない冷たいオーラを放つ女性がいた。


 すらっとした白い髪は背中の中ほどまで伸び、それとは対象的な黒いティアードワンピースに身を包んでいる。ちょうど食事を終えたところらしく、彼女は席を立ってお盆を返却口まで持っていくと、そのまま食堂を去っていった。


 その一部始終を目で追っていた俺だったが、前方から飛んできた威勢のいい声に思わず振り返った。


「兄ちゃん、見ない顔だねぇ! 新入りかい? ほら、食券だしな!」


 振り向くとそこにはなかなかに逞しい体をした、いかにも食堂のおばちゃんといった風貌の人がどんと構えていた。


 勢いに押されるがまま、おずおずと食券を差し出すと、それを受け取ったおばちゃんは後ろに向かって「おすすめ一丁!」と大きな声を張り上げた。そしてそれとほぼ同時にお椀としゃもじを握り、一瞬にして並盛のご飯を盛ったかと思えば、次の瞬間にはプラ製の容器にスープが注がれていた。


「ほい! ご飯とスープ! おかずはあっちで受け取っておくれ!」


 そう言っておばちゃんは“定食のおかず”と書かれた札のかかったブースを指差した。俺は言われるがまま、そのブースへと進む。


 ブース担当の人から唐揚げ、サラダ、漬物を受け取り、この夕飯を驕ってくれた人の手招きに応じて席につく。


「ただの支部に引っ付いてる食堂にしちゃ、なかなかうまいもん作ってるんだぜぇ? ケケ」


 この施設に対して“ただの”という修飾語をつけられる感覚が既に俺の理解の範囲を超越してしまっているのだが、今はそんなことは気にせず、一刻も早く目の前にある豪勢な食事に食らいつきたかった。


 「いただきます」と小さく呟くと、ほかほかの唐揚げを箸で勢いよく口に運ぶ。カリッとした衣の裂け目からジュワッと溢れ出る肉汁。しっかりと下味のついた肉に程よく効いたレモンの酸味。もう感無量だ。その感動が箸の勢いをさらに加速させる。


「ケケケ。いい食べっぷりだぁ」


 そう言いながら、彼もまたどんぶりの中のラーメンをずずずと啜る。


 そこへ突如、快活な女性の声が飛んできた。


「レギ~~!」


 お盆を持って小走りに向かってきたのは腰まで届きそうな黒く艶やかな髪が印象的な俺と同年代と思しき少女だった。


「エレナ。お前は相変わらずうるせぇな」


 ラーメンを啜っていた男は、少し鬱陶しそうな態度を示す。


「まぁまぁ、そう言わず」


 そう言いながら彼女は彼の横に席をとった。そして席についたところでやっと俺の存在に気づいたようだった。


「あれ? 君だれ? もしかして例の新入り君?」


 彼女は向かいの席から身を乗り出し、俺のことをまじまじと見つめてきた。


「あの……」


 流石にここまでガン見されている状態では箸も進まないというものだ。咄嗟に俺は目の前に座る彼に視線で助けを求める。


 それを知ってか知らずか、彼は彼女の服を引っ張り、無理やり着席させた。


「ちょっと!」

「困ってるじゃねぇか。少しは落ち着きってものを覚えやがれ」


 そのやり取りを見るに、2人はそこそこ親しい間柄のようだ。


 彼の指摘にやっと自分のしていた行動を自覚したのか、彼女は少し気恥ずかしいといった様子を見せる。そして今度はある程度落ち着いた口調で自己紹介を始めた。


「えっと、今のはごめんなさい。私はジェリアード・エレナ。18歳。趣味はショッピングで、好きなものは甘いものと……可愛いものですっ!」


 なぜか後半にかけて声のトーンが高くなる自己紹介だった。“落ち着き”の消える速度が尋常ではない。そして予想に違わず、俺と同い年らしい。


「ヴェータ・E・誇優雨です」


 一応こちらも最低限の礼は払っておく。しかし普段以上に礼儀を軽んじたくなる気持ちも強かった。なにせ食の勢いは乱入者の所為でかなり減衰してしまっていたからだ。


「こうう……? うーん……?」


 彼女は人の名前を鸚鵡おうむ返しするなり少し難しい顔をした。一体この人は初対面の人の名前について何を考えているというのだろうか。


「じゃぁクゥ君!」

「はい?」


 俺のことをいきなり指差したかと思えば、それとは裏腹に俺の知らない人の名を呼んではいまいか。


「クゥ君って呼んでも良い?」

「……どうぞお好きに」


 心の中では「俺のことかよ!」と盛大なツッコミを入れていたのだが、会話する面倒臭さとの兼ね合いを考えた結果、その提案を拒否するまでには至らなかった。


 しかし一体全体、なにをどうしたら“こうう”が“くぅ”になるというのか。こういう女子の思考回路というのはまったくもって理解に苦しむ。


「じゃぁクゥ君、これからよろしくね!」

「……こちらこそ、よろしくお願いします」


 俺にとってはあまりよろしくされたくないタイプの人間であるが、形式上の挨拶だけは済ませておく。


 その後は彼女の与太話に付き合わされ、それに多少の煩わしさを感じながら食事を終えると、俺は案内役の男とともに食堂をあとにした。




「ここが今日からお前の住む部屋だ。ケケ」


 そう言われて案内されたのは、相場ならひと月あたりの家賃が8万は下らないであろう豪勢な部屋だった。


 間取りとしては1LDKのそれで、玄関右手にはトイレと浴室があり、そのまま進むとキッチンの備え付けられた8畳はあろうリビングが広がっている。また、それに隣接するように6畳程の広さの部屋がドア1つ隔てた先にあり、そこにはベッドが用意されていた。


「まぁ、まだ必要最低限の物しかねぇが好きなように使ってくれや。ケケケ」


 今日半日一緒にいた男はそう言って背中越しに手をふると、どこかへ行ってしまった。


 今日起きた出来事の殆どは、今まで俺が住んできた世界とは一線を画するものばかりだったため、身体的な披露以上にいささか疲れてしまっていた。リビングにある“必要最低限”らしいソファーにドスンと腰を落とすと、思わず溜息が漏れてしまう。


 ソファーの柔らかさにすぅっと心の緊張がほぐれるのを感じてから、俺は右手に持っていた封筒に目を向けた。それはここに来る途中、廊下であの男に手渡されたもので、曰く、今後の日程や施設の案内図、その他ここで生活するためのいろはが書かれた資料が入っているらしい。


 円形をした2つの引っ掛け具に楕円状に巻かれた紐をぐるぐると解くと、中からは薄い冊子が数冊とA4の印刷物が十数枚出てきた。


 今一番必要としていた施設の案内図は、ご丁寧なことにポケットサイズのメモ帳のようになっていたので、持ち運びには困らなさそうだ。暫くは毎日これのお世話になることだろう。


 次点に重要視していたのは今後の日程で、A4の用紙にプリントされた内容によると、支部での滞在2日以内にIDカードの発行と生体認証登録を済ませ、4日以内に健康診断を終わらせるようにと記されている。また、その紙の最後には“所属部署等の連絡は追ってするので待機するように”とも書かれていた。


 他にも重要な情報はないかと思い、資料を物色しているところへ予期せぬ邪魔が入る。


ピンポーン


 入居したばかりだというのにインターホンが鳴った。


 大方、あの男が何か伝え忘れたことでもあって戻ってきたのだろう。そう思いながらリビングを出て玄関に向かう。


 しかし驚いたことに、扉を開けるとそこに立っていたのは同い年の少女だった。


「こんばんは!」

「ど、どうも」


 俺は予想外の来客に一歩後後退りしてしまった。白のチューブトップにショートパンツ。露出の多いその出で立ちは完全なる部屋着姿だろう。


「ええと、何の用ですか?」


 恐る恐る訪ねてみると、彼女は右手に持っていたシャリ袋を胸元まで持ち上げてこう言った。


「お隣さんのクゥ君に差し入れで~す!」


 そう言って彼女は笑顔を浮かべた。右隣か左隣かは知らないが、どうも彼女とは部屋が隣り合っているらしい。


 しかし俺は、これまでの人生の中で自分の住居に女性が訪ねてくるなんてことは愚か、1人の客すらも迎えた経験がない。ゆえに、俺はこの事態に対処するスキルを持ち合わせておらず、ただただ茫然とする他なかった。


 他人ひとを前にしておきながら立ちつくす俺を見て、彼女はくすりと笑った。


「ちょっとだけ上がっていってもいいかな?」

「はぁ……どうぞ」


 俺は言われるがままに彼女の入室を許可してしまった。溜まった疲労が作用した俺の脳は、パニックを回避できている点で良く、考えることを放棄させている点で悪いと言える。そんな具合だ。


「おじゃましまーす」


 俺の横を通り過ぎ、部屋の中へと入っていく彼女に、ワンテンポ遅れてついていく長い黒髪からはシャンプーのいい匂いがした。


 彼女はリビングに入ると、キッチンの冷蔵庫へと向かっていく。


「冷蔵庫が寂しいかなーって思って、軽くつまめる食べ物と飲み物を買ってきました~! 好き嫌いがわからなかったから適当に買ってきちゃったけど、もしも要らないのがあったら教えてね。あ、電源まだ入れてないんだ。つけていい?」


 べらべらと喋り出したついでに冷蔵庫の電源を入れてもいいかと尋ねてくる彼女に、特に断る理由もない俺は軽く頷いた。それを確認した彼女は冷蔵庫の後ろの方から3つの端子をもつプラグを引っ張り出すと、それを電源へと差し込む。


 電力が投入されてオレンジ色の明かりが冷蔵庫内に灯ると、彼女はそこへ手際よく買ってきたものを詰めていった。チョコレートやゼリーといったお菓子の類から、チーズやサラミなどのおつまみ、お茶やジュースのような飲料など、袋の中から様々な物が次々と現れる。その中の1つを見て、俺は声を漏らした。


「あ、炭酸飲料はちょっと……」


 今まさにそれを冷蔵庫に入れようとしていた彼女が手を止める。


「え、そうなんだぁ~。私は好きなんだけどなぁ……残念。それじゃぁコレは私が持って帰るねっ」


 そう言って彼女は気泡の滲む褐色の液体が入ったペットボトルを袋の横に置くと、今度は俺にこう尋ねてきた。


「じゃぁ好きなものは?」


 軽くキッチンから身を乗り出して訪ねてくる彼女に、俺は戸惑いながら答える。


「特には……ないです」


 それを聞いた彼女はちょっと複雑そうな顔をすると、作業に戻りながら続ける。


「苦手なものはわかってるのに、好きなものはわからないんだ?」


 これまで意識したことはなかったが、その指摘はもっともかもしれない。返す言葉が見つからなかった。


「好きのものがあるって大切なことだと思うよ~?」


 炭酸飲料を除く全てのものを冷蔵庫に移し終え、バタンと冷蔵庫を閉めると、彼女は「特に」と前置きをした上でこう付け足した。


「好きな人とかねっ!」


 満面の笑みで笑いかけてくる彼女の頬は若干桜色に染まっていた。


 それを見て俺は一瞬で理解する。これは絶対わかり合えない人種だと。


「じゃぁ疲れてるだろうし、今日のところはおいとまするね。冷蔵庫の中の物は遠慮なく食べていいからね!」

「はい……ありがとうございました」


 「気にしないで」と言って出ていく彼女を玄関で見送った俺は、直後、先刻以上に精神的疲労を感じ始めた。そして、その精神的疲労が具現化して伸し掛かってきたかの様な足取りでリビングに戻ると、その荷を下ろすかのように勢いよくソファーに座り込んだ。


 大きく沈み込むソファーが程よく反発し、自分の体を包み込む感覚が、疲労を多少なりとも和らげる。本日二度目のソファーの安らぎに「なるほど、“必要最低限”だ」と納得する。


 首をソファーの上端に預けるようにして天井を仰ぐと、飛び込んできた照明の光に思わず目を細めた。


「好きな人、ねぇ……」


 天井に向かって小さく呟くが、その声は他に誰もいないこの空間に沈むように消えていく。


 そして一呼吸の間を置き、俺は溜息を滲ませながら吐き捨てた。


「いるわけねーだろ」

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