楽園で終焉~エデンでエンド~
INUKORO
第Ⅰ章 少年と世界
第1話 雨
がたっ
前の席に座る女子生徒は名前を呼ばれて席を立った。彼女は座っていた椅子を丁寧に整えると、ゆっくりと教室の出口へと向かう。
しかしその彼女を、彼女の名を呼んだ教師が引き止めた。そして教師は小声でなにやら指示を出す。
すると彼女は一人教室に残った俺を申し訳無さそうに横目でみやると、迷いを顔に滲ませつつも、照明の電源を切り、逃げるように教室を去っていった。
どこかの
(こうゆうもんなのかね……)
自身の待遇への諦めが鼻から空気の塊を押し出し、机に頬杖をつかせた。
昨日は卒業式だった。もう少し噛み砕けば、“卒業証書という大層な名前のついたカミキレをありがたそうに受け取る行為を大衆の前で披露する行事”に及んだと言い換えることができる。
心底馬鹿馬鹿しい式典だと思う。よくもこんな茶番を脈々と受け継いできてくれたものだ。先人たちに感謝せねばなるまい。俺の持ち得る語彙の中から、最も感謝を表現できる言葉を贈ろうではないか。
「死ね」
失敬。相手は先人、大半はもう死んでいる。
非常に残念なことだ。あの無意味な式典の創始者様とは是非とも万力を使った全力の握手を交わしたいと思っていたのに。
ザアァァ……
雨粒が地面や壁に弾ける音が聞こえる。
「はぁ……」
一人暗い教室に残された俺は人目を気にすることもなく、大きく溜息を漏らした。
「なんでだ……?」
ぼそっと口をついて出たそれは、1週間前、今後の人生を決定付けるあの紙に何故あの固有名詞を書き込んだのか、という自らへの問いだった。
横目に見る窓ガラスに映った自分は土砂降りの雨に打たれていた。
程なくして、再び教室の入り口に教師が現れる。先刻、女子生徒によからぬ指示を出したその人だ。
教師は入り口に立ったまま俺を一瞥すると、低い声で言った。
「ヴェータ・E・
それを合図に、俺は重い腰をゆっくりと持ち上げ、待ちくたびれたと言わんばかりに欠伸をかました。それから無駄にきちんと整列された机たちの間を縫って教室の外へと向かう。
出口に差し掛かった時、俺は一度足を止め、いままさに無人になろうとしている教室を、もう一生来ないであろう教室を振り返ってみる。だが、そこに寂寥の念など微塵も感じることはできなかった。
雨は激しさを増し、窓ガラスを割らんと襲い来る。無論、それは無念にも弾け散るだけだったのだが、音という形でその怨念を残していた。
その光景を最後に、俺は教室をあとにした。
呼び出された部屋は、当てつけですよと言わんばかりの生徒指導室だった。二度のノックのあと、「失礼します」と断ってから入室する。そして静かに扉を閉めてから向き直り、淡々と名乗った。
「ヴェータ・E・誇優雨です」
いい終えた後に軽く一礼する。もっとも、部屋の明かりが点いていないこの暗がりの中、まして俺に背を向けて立つ眼前の男に対して“礼”など全く必要ないのであろうが。
それから数秒間の間、双方言葉を発することは無かった。一方で、雨は一層強く窓ガラスを叩き、怨念だけはさらにその霊力を増していく。
「誇優雨」
男は重々しくその口を開いた。
「この内容に間違いはないんだろうな?」
その声の主は未だに窓の外を眺め、俺に背を向けている。
男と俺の間には重量感溢れる大きな机が鎮座しており、その上には免許証大のカードが乗っていた。
机に近づき、カードを手に取って内容を確認する。そこにはこう記されていた。
――ヴェータ・E・誇優雨
――所属:
1週間前、紙に書いたのと全く同じ文字列がそこにはあった。
「間違いありません」
「……そうか」
男は目が合わない範囲で少しだけ顔をこちら側に向けると、奥歯に衣着せぬ物言いで呟く。
「異端者のために明かりを点けるなどもったいなくてな」
俺も「この学校の教師は揃いも揃って小学生レベルの嫌がらせしかできないようですね」と嫌味の1つでも返してやりたいところだったが、その衝動を押し殺しつつ、無難な対応に努めんとする。
「ごもっともです」
「フン。分かっているのなら失望させるな……!」
男は一瞬振り向きかけるが、その動作を完遂する前に我に返り、再び窓の外に視線を向けた。
直後、カッと閃光が部屋を包みこむ。続いて大気を震わす轟音が鳴り響いた。その間約2秒。かなり近い。
「出て行け。もう顔も見たくない」
「……では」
入室の時と同様に俺は一礼をすると、ここを去らんと向き直り、ドアノブに手をかけた。
「お前は選択を間違えた」
俺の背中に向かって吐き捨てられたその言葉に、刹那の硬直を余儀なくされる。だが、ドアノブにかかっていた手はすぐにその呪縛を振り払い、俺を部屋の外へと導いた。
生徒用玄関で靴を履き替え、脱いだ方を袋にしまい、カバンに入れる。こうして俺は、なんの思い入れもない高校生活に終止符を打つように校舎の外へと踏み出した。
学び舎をあとにした俺は、数日前ポストに投函されていた紙に従って道を歩いていた。メモ帳大のその紙には小さく地図が印刷されており、そこには赤ペンで“ココにこい”の文字と矢印が書き込まれている。
ズジャァァァ……
俺の横を車が水飛沫を上げて走り去る。この都会では次の車が来るのに1秒とかからないため、その度に飛沫を上げる音が俺を通り過ぎていった。
しかしこの大雨の中での俺ときたら、フードが付いていない薄いジャンパーしか風雨を凌ぐものがなく、すでに全身びしょ濡れだった。
「やっぱり天気予報ってのはあてにならねぇな……」
200年前の大災害以降、この世界の気候は規則性を持たなくなった。
天気予報は今現在の技術を持ってしても困難を極め、1年に春夏秋冬が6度巡るようなこともあった。夏の後に急に冬が来たり、春がずっと続いたり、冬から春になって、また冬になるということもざらだ。
とはいえ、これだけ気候が目まぐるしく変化する中では、季節という概念自体がもはや形骸化しているというのも事実だ。昔は日照時間が四季を決めていたという事実を信じられないという人がいるのも至極当然のように思われる。
最近は気温が徐々に低くなり、天気も変わりやすいので、あえて四季に当てはめれば秋のような季節と言える。
ただでさえ低い気温が体温を奪う中、相も変わらず降り続く雨が無慈悲に襲い来る。
ときに、街の中を歩いていれば嫌でも目につくのが電光掲示板による婚活支援サービスや育児に関するサービスの広告だ。
人類統括政府が掲げる人類発展計画の中でも特に重きが置かれている政策が人口増加であり、政府はこういった活動を強く推奨し、支援を行っている。
今でこそ世界人口は15億人までに回復したが、2300年をまたぐように訪れた悪夢の10年がもたらした人口減少は、世間一般には一度世界が滅んだと言われる程凄まじかったとされている。
一説によれば、災害後の世界人口は100万人を割った可能性があるとか。
『エデンの子どもたちに明るい未来を!』
街を歩いていると、背の高いショッピングモールに我が物顔で張り付いた巨大なスクリーンから無駄にトーンの高い女性の声を浴びせられる。
エデンとは、いま人類が拠り所としている大陸の俗称であり、別名エデンラインとも呼ばれている。
度重なる大規模な地震、津波、台風などの影響により、大陸は無数に分裂し、一度それらは海の上に浮かぶのみとなった。それから数十年の時を経て、それらは次第に極と赤道付近に集中し、互いにぶつかり合って地続きとなり、安定していった。
しかし、極に人類が生存できる条件は無く、赤道付近に集まった大陸の破片の集合体のみが人類の唯一の生存可能域となった。人々は北半球と南半球を二分するその新たな大陸を楽園、すなわちエデンと呼んだ。
「
寒さに震え始める体に鞭打ちながら歩を進める。すると今度は街の一角から、とある演説の声が雨音と広告文句をくぐり抜け、微かに鼓膜に伝わってきた。
「神に赦しを乞いましょう。私達人類が生き延びるために……!」
そう声を張り上げていたのは宗教改革派の活動家たちだ。俗に言う路上演説活動というやつだ。
宗教改革派というのは、エデンをリードする三大勢力の1つだ。
悪夢の10年ののちに形成されたエデンラインにおいて、民は交じり合い、数十年もの間エデンには混沌が訪れた。しかし、文明再興が進むと同時に徐々に技術革新派と宗教改革派が形成されていった。
技術革新派は“人類の持てる科学技術による人類再建”を唱え、一方で宗教改革派は“神を崇め、赦しを乞い、これ以上人類存亡の危機を招かないようにすべきだ”と唱えた。
暫くはこの2勢力がエデンをリードしていたのだが、その中に突如“我々は神に近い存在としてこの世に生を受けたのであり、科学技術によってより神に近い存在へと昇華することで存続することができる”と唱える者が現れた。
その理念はオカルトチックだとの批判を浴びつつも、“神の業”と呼ばれるほどの奇跡を行う創始者を中心に、一定数の指示を得るようになる。こうして3勢力目の神化技術派が誕生した。
だが、古参である技術革新派と宗教改革派の支持は、神化技術派を遥かに凌駕しており、少数派の神化技術派の人々は次第に異端者と呼ばれるようになっていった。
ぐぎゅるるぅ……
お腹がなんとも物欲しそうな音を立てた。そういえば昼を抜いていたし、時刻も直に16時になる。
朝食べたパンはもうエネルギーに変換され尽くしてしまっているようで、肝臓に備蓄されているエネルギーが消耗を始めていることだろう。雨に当たりっぱなしで体温が下がっているのもあり、その消耗速度は凄まじい。
家から何か食べ物を持ってくるべきだったと今更に後悔した。パンの1つや2つはあったろうに。
そんな考えが過ぎったが最後、空腹に耐えかねた俺は財布を取り出し、全財産を確認すべく手のひらに小銭を広げた。
しかし悴んだ手は1枚のコインが手から滑り落ちることを容易く許してしまった。ちゃりん、と音を立てて転がっていく先――それに俺は戦慄し、咄嗟にこれでもかというほど手を伸ばす。
だが、凍てついた身体が転がるコインに追いつく道理はなく、コインは無情にも用水路の闇へと吸い込まれていった。
「くそっ……!」
よりにもよって、落ちていった硬貨は全財産の半分を超える硬貨、500エンだった。
この世界での通貨の単位はエンといって、世界の崩壊前にニホンという国にあった通貨単位からとったらしい。通貨価値も殆ど一緒だとか。
しかし問題なのは俺にとっての500エンの価値だった。それは一般人にとっての1万エンにも引けを取らない価値だと言っても過言ではない。
そんな馬鹿なと思われるかもしれない。大袈裟だと。でも違う。本当にそうなのだ。それほどまでに俺は貧乏だった。
がっくりと肩を落とした俺はうなだれながら、これ以上コインを落とすまいと強く握っていた手をゆっくりと開いた。全財産と237エン。これが
俺は手のひらのコインを見つめながら数秒間放心していたが、その間に購買意欲は跡形もなく消し飛んだ。そして俺はとてつもない喪失感を覚えながら再び目的地へと歩き始めた。
人気のない細い路地。壊れかけた電飾が “Bar”の3文字をチカチカと点滅させている。
――
ここにきてあの不気味な笑いが思い起こされる。しかしその不気味さが逆に、この陰湿な場所が目的地であることを確信させた。
「ここだな……」
とりあえず一息つこうかと壁に背中を預けようとしたその時。
「そうだぞぉ。ケケケ」
どこからともなく飛んできた声にビクッと肩が跳ね上がった。
「そろそろ来る頃だと思ったぜぇ。ケケ」
その言葉を伴いながら、路地の角から全身黒ずくめの男が現れた。
怨念であるはずの雨音は、なぜかこの男の周りでは楽しげに唄うのだった。
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