逢魔の霧
kawa.kei
第1話 1周目
年代物なのかやたらと揺れるバスが耳障りなエンジン音を立てて道を進む。
私――
この退屈な移動時間、せめて風景だけでも楽しめればと思っていたのだけれど視界に入るのはガードレールと木だけ。 退屈な上、楽しめるものもないと憂鬱な時間がさっきから続いている。
隣の席は空。 さっきまで親友の
道の状態が良くない事もあるけれどさっきからしつこいぐらいの連続カーブがあったのでそれに耐え切れなかったみたいだ。 縦と横の揺れで激しくシェイクされた事によってこのバスの乗客達の大半は乗り物酔いに苦しんでいる。 無理もないと思った。 実際、私自身も余り気分が良いとは言えなかったからだ。
それがこのバスを利用している団体様の名称で私はその内の一人だ。
これから向かう先は
正直、聞いた事もない街の名前で、軽く調べた限りでも十一月のこの時期は紅葉が美しい以外の特徴はなかった。 いくら何でも高校生相手に紅葉だけしかない街を旅行先に選ぶのはないんじゃない?
何か楽しい催しでもあるのかと期待したいけど、事前に配られた旅のしおりに書かれている予定は移動、山歩き、自由時間のたったの三つ。 隣の県なので移動もバスと低予算感が半端ない。
それもそのはずだった。 本来、私達の修学旅行先は夏に沖縄か冬に北海道のどちらかだったのだが、学年主任のクソ教師がその旅費を使いこんだ結果、大半が消えてなくなったのだ。
ギャンブル癖が強く、その時は負けが込んでいた事もあって種銭代わりに少し借りるつもりで使ったらさらに負けて気が付けばどうにもならなくなっていたとか。 数日後、当然のようにあっさりとバレて懲戒免職となった。 ざまあみろ。
私達生徒がその事実を知った全校集会では矢面に立たされた教頭の苦虫を噛み潰したような顔は印象に残っている。 その後、保護者説明会にも引き出されたようですれ違った時の顔は無表情だったが、使い込んだ当人を目の前にすれば殺してしまいそうな迫力があった。 これが他人事だったならくだらない奴がくだらない事をして職を失い刑事罰を受けたで済むのだけど煽りを喰らう羽目になる身としては欠片も笑えない。
最悪だ。 学園側としても再度旅費を徴収する事は出来なかったので、使い込まれた残りと不足分を補う形でどうにか予算を捻出させたみたい。 まぁ、捻り出した予算で成立させた旅行なので遠出は不可能。
結果、安いバスを借りて安く済む隣の県の寂れた街へランクダウンしたのだ。
もう本当に最悪だと言わざるを得ない。 本音を言えば行きたくはなかったけど、私の親はサボりには厳しい上、友達はみんな行くと言っているので自分だけ行かない訳にはいかなかったのだ。
不幸は続く、弱り目に祟り目。 ちょっと前に覚えたことわざがふっと脳裏に浮かぶ。
視線を上げると空には夕日が輝いている。 本来なら今頃は宿に辿り着いている筈なのだけど、一人大きく体調を崩した奴が居たので途中で休憩を挟む形になり、他のクラスから大きく遅れての移動となった。
お陰で太陽は傾き始めている。 それでも馬鹿な男子は元気に騒いではいたけど、山道に入った後の連続カーブの洗礼を受けてうるさい奴は一人残らず乗り物酔いの餌食となった。
私は外の景色から視線を切って通路を挟んで反対側を見ると
程度の差こそあれほぼ全員が乗り物酔いの所為でぐったりとしており、同乗したバスガイドさんだけがこれから向かう端境町についてを語っていたけど一体、何人が聞いているのやら。
地元といった話は聞いていないので恐らく事前に調べたのだろう。 だとしたら何とも涙ぐましい努力の成果はあまり有効に活用できていないかもしれない。
私は再度、溜息を吐いて窓の外へと視線を向けると不意に景色が黒く染まる。
トンネルに入ったようだ。 バスガイドさん曰く、このトンネルを抜けると端境町に入るので目的地である宿までは三十分もかからないとの事。 それを聞いてあちこちで安堵の声が漏れる。
それは私も同感でようやくこの退屈な――もう苦行に近いこの時間が終わると考えると誰でもほっとするのは当たり前だ。 時間も遅いので宿に付けば食事、風呂、その後は少しの自由時間が与えられて就寝となるだろう。 疲れたし今日はさっさと寝ようなどと考えているとトンネルを抜けた。
最初に目に飛び込んで来たのは白だ。 トンネルを抜けると雪国だったといったフレーズが浮かんだけど、残念ながら私の目に飛び込んで来たのは雪国ではなく濃い霧だった。
その奥に街の輪郭が見える。 霧に包まれた街は中々に幻想的な光景だったけど、あまりの変わりように思わず首を傾げた。 霧の発生条件は水蒸気、気温の低下、風の三つだったような気がするけど、トンネルの前後でここまで変わるものなのだろうか? 大きな変化におぉとか凄いといった声が上がる。
反対側に座っている座間はスマホで録画を始めていた。 珍しい風景だとは思うけどそこまでする程のものだろうか? 興味もなかったので早々に景色へと視線を戻す。
少なくともガードレールと木だけの風景よりは見応えがありそうだったので、黙って視線を外に向けた。
その後、市街に入ったバスはそのままこの街で最も大きな
大きいけど年季が入っているのか全体的にボロそうな印象だった。
停車して外に出ると霧の濃さが際立つ。 ここまでの霧は見た事がないので、良く分からないけど何だか纏わりつくような感じがして少し気持ち悪かった。
担任の
その間、他のクラスメイト達は珍しそうに周囲を見回していたけど、不意に一人の男子が「なんかおかしくないか?」と近くの友達と会話している姿が目に入った。
隣の席だった
「何かあったか?」
「いや、逆、逆。 ないんだよ」
「何が?」
「他のクラスのバス。 ホテルは別って話は聞いてないから先に着いてないとおかしくないか?」
……確かに。
周囲を見回すと駐車場は空で私達が乗ってきたバスしか止まっていない。
まさかとは思うけど、場所を間違えた? だとしたらまたバスで移動かと少し嫌な気分になって思わずスマホの地図アプリを開いて現在地を確認しようとしたのだけれど――
「――圏外?」
便利な
トンネルを入る前は電波は入っていた筈だけど、この街ってスマホすら使えないの?
いや、この日本国内でそんな場所が存在するなんて事が信じられなかった。
「うわ、圏外じゃん。 ソシャゲのログインどうするんだよ。 イベントだからミッションと新規ガチャだけでも回したかったんだけど、どっか電波入ってないか?」
「そんな事より疲れたから俺もう横になりてーんだけど」
ざわざわとあちこちでお喋りが始まるけど、少しした後に挨拶に行った楢木が釈然としないといった表情で出て来た。 一緒に行ったらしいバスガイドさんも同様に戸惑った顔をしている。
それを見て察した。 何か問題があったのだと。
「あー、取りあえず点呼取るから集まれ」
パンパンと手を叩いて注目を集めた楢木は本人も状況を掴みかねているのか歯切れは良くない。
「ホテルは間違いなくここのはずなんだが誰も居ない。 連絡を取ろうにも携帯は圏外で固定電話も繋がらない。 先に来ているはずの他のクラスの姿も見当たらないので、ちょっと連絡を取る為にバスで戻る。 状況が状況なので鍵を借りて来たからお前等は事前に割り当てた部屋で休んでいるように。 バスガイドさんが残ってくれるから何かあったら彼女に報告するように」
楢木はそれだけ言うと一人だけバスに乗ってさっさと戻って行った。
その後はバスガイドさんの案内に従って宿に入り、借りた鍵を各自受け取ると各々割り当てられた部屋へと散る。 私も疲れたのでさっさと荷物を置くべく部屋へと向かう。
このクラスは全部で三十四人。
割り当てられたのは八部屋で一部屋四~五人グループに分かれる事となっている。
私達の部屋は五階。 男子が四階だ。
同室はさっき乗り物酔いでダウンしていた星華と
比較的、クラスでも仲の良い面子なので気楽な組み合わせではある。
星華は未だに乗り物酔いのダメージが抜け切っていないのか横になったまま動けない。
そんな彼女を文江が生きてるかーと声をかけている。 星華は力なく笑って見せる。
顔色はだいぶ良くなっているのでしばらくすれば動けるようになりそうだ。
多代は我関せずといった様子で持参した本を開いていたけど、文江が鞄からトランプなどのカードゲームを取り出して遊ぼうぜと言って来たお陰で苦笑して本を片付けた。
しばらくは暇なので私も参加しよう。 星華は観戦。 こうして私達は広げたトランプで遊ぶ事となった。
「――ねぇ、楢木の奴遅くない?」
一通り遊んで一段落付いたところで多代がそう呟いた。 そう言われて窓の外を見るとすっかり日も落ちて暗くなっている。 相変わらず霧は濃いままで、町並みは街灯のお陰で輪郭程度しか見えない。
スマホを確認すると時刻は二十時を越えようとしていた。 さっきまでゲームに夢中で気が付かなかったけど、いくらなんでも遅すぎる。 電波が入る所まで戻るって話だったけど、どこまで行っているのだろう。 もしかしたら山を下りるまで電波が入らないのだろうか?
だとしたらここまで遅れるのもそこまで不思議じゃないけど、そろそろ戻って来てもおかしくはない時間帯だ。 窓の外は霧で視界が悪いけどバスが戻って来る気配はない。
「そんな事よりお腹空かない?」
文江も時間の経過を自覚したのかお腹を押さえる。 確かに普段なら夕食を済ませている時間帯なので意識すると私もお腹が空いてくる。 本来ならホテルで夕食が出るはずなんだけどこの様子では期待できそうもない。 そうなると自力で調達する必要があるのだけれど――
「そういえば来る途中に見たけどコンビニがあったわ」
――不意に多代がそんな事を言い出し、それに目の色を変えたのは文江だ。
「買い出しに行くなら一人いれば充分よねぇ?」
「……そうかもね」
私は溜息を吐く。 何故ならこの後の展開が簡単に想像できるからだ。
私じゃんけん弱いんだけどなぁ……。
「さっさと決めたいし定番のじゃんけんで決めよっか」
まだ動けない星華の除いた三人が手を突き出す。
『じゃーんけーん――』
まぁ、こうなるよね。
ストレート負けした私はとぼとぼとホテルの廊下を歩く。 何故か灯りが半分ぐらいしか点灯していないので薄暗い。 そんなところを一人で歩く事に若干の心細さを覚えつつ廊下の突き当りにあるエレベーターのボタンを押して呼び出す。 防音がしっかりしているのか他の部屋から声が漏れるような事もなく酷く静かだ。 こうなると少しだけ人の気配が恋しくなる。
……それにしても……。
ここの従業員は何処へ行ってしまったのだろうか?
誰も気にしないようにしていたみたいだけど、完全に無人なのはいくら何でも異常すぎる。
文江達はあまり気にしていなかったみたいだけど、改めて考えるとこの状況はおかしい。
やっぱり戻って誰かに付いて来て貰うべきじゃ――踵を返そうかと考えた所で電子音がして背後のエレベーターがこの階に到着。 ゆっくりと扉が開く。
それを見て私は小さく溜息を吐いた。 電子音という文明の象徴を聞いた事で我に返ったからだ。
馬鹿馬鹿しい。 人がいないのは確かにおかしいけど、この日本でそんなドラマや映画みたいな出来事に遭遇する事なんてあり得ない。 人がいないこの不気味な雰囲気が変な気分にさせるのだ。
さっさと用事を済ませて戻ろうコンビニなら店員は居るだろうし、ついでにホテルに人がいない理由でも尋ねれば――
「――え?」
思わずそんな間抜けな声を漏らしてしまった。
開いた扉の向こうに何かが居たからだ。 クラスの男子にしては大きいその姿は――
私の思考はその直後に耳が拾ったバットか何かを振った時に似た風切り音と顔面に炸裂した衝撃に断ち切られた。
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