11 真相
霊安室のように重苦しい沈黙が横たわる。
マイカは私に謝ってきり押し黙っている。
ごめんなさい。壊れそうな声で呟いた言葉は、私の心に深く突き刺さった。淳樹に謝罪されたときは謝れば許されると思い込んでいることに怒りを覚えたが、彼女に対してはそう思わなかった。
恐らくマイカは本心で謝罪している。本能的にそう感じた。
「オクさんいることは知りませんでした」
蚊の鳴くような声が沈黙を拭った。
「ワタシのおやはフリンでりこんしてます。知ってたらあいません」
身につまされる思いがした。不倫はすべてを壊す。壊した側はのうのうと生きて、壊された側は一生心に傷を負う。
「キョウダイがたくさんいておかねが足りなくて、デカセギで日本にきました」
「えっと……日本人じゃないの?」
「フィリピンからきました」
驚いて彼女に視線を向ける。筋の通った鼻梁、くっきりとした目元。たしかに日本人離れしている。髪を銀に染めている印象の方が強くて気付かなかった。
独特なイントネーションの理由が判明した。
「でも、頭よくないからコンビニはダメでした。夜の店もあわなかった。それで、バイトしました」
「バイト……」
「バイシュンはしてません。デートだけです。でも、ジュンキは――」
マイカはそこまで言って口を噤んだ。
彼と何をしたの。訊きたいのに、恐れが先行して口を開けない。
「なにをしたらユルしてもらえますか。なんでもします。ツグナイます」
マイカの瞳は揺らぎなく私を見据ている。先程までの私は、彼女は最低の人間だと思い込んでいた。夫の元不倫相手だからと苛立ちをぶつけてしまった。そのことに後悔の念がわく。
それでも、私は彼女が『バイト』をしていることだけはどうしても見過ごせない。
「じゃあ、バイトをやめて」
「え」
「やめたら許すから」
マイカは困惑の表情を浮かべて逡巡しているようだったが、ややあって何かを決意したような面持ちで頷いた。
「それでユルしてもらえるなら」
「うん、ちゃんと許す」
「シュウショク、がんばります」
マイカは初めて淡く微笑んだ。
私はお人良しなのだろうか。本当はちゃんと慰謝料でも貰って清算した方がよいのだろうか。いつか許したことを後悔する日が来るのだろうか。
堂々巡りで答えは出なかったが、ふと『有里は向いてないと思うよ、復讐的なやつ』という華奈の言葉を思い出して余計なことを考えるのはやめた。
「じゃあ、かえりましょう。たてますか?」
「立てるけど……おじさんは待たなくていいの?」
「いいです」
マイカは私に手を差し伸べた。私は助けを素直に受け入れて、立ち上がる補助をしてもらった。彼女の肩に手を回し、二人三脚のような体勢で出口まで向かう。
「ワタシ、バイトやめましたから」
二つに折り曲がった茶封筒を玄関の横に置いたマイカの表情に、もう陰りはなかった。
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