夜の活動

第29話 夜の呼び出し




 

 家に帰った僕を待っていたのは、一日中締め切っていたせいでアツアツに熱された家の中の空気だった。

 

 玄関を開けたとたん、ムワッとした熱気が玄関から流れ出し、夜9時を過ぎて涼しくなった外の空気と混じり合っていく。

 僕はしばらく中に入る気がせず、玄関を開けたまましばらく外で待つ。

 街灯はセンサーのおかげで夜になると道を照らしており、その明かりにや、色々な虫がまとわりついている。

 僕はそれをボーっと眺めながらしばらく待った。

 やっと中に入ってもいいかな、くらいに熱が下がったところでスマホの明かりを頼りに家の中に入り、リビングのエアコンを入れる。 

 エアコンの涼しい風が室内の熱気を駆逐していく。

 落ち着ける温度に下がったところで僕は玄関を閉めに行き、それから室内の電灯を点けた。

 家の中に虫が入ったら嫌だもの。


 シャワーを浴びようと思ってお風呂場に行き、思い直してお風呂に湯を張るために給湯スイッチを入れた。

 14歳の僕が言う事じゃないけど、やっぱり疲れたら湯にゆっくり浸かった方が、疲れが取れる気がする。


 15分程でお湯張りが終わったので、僕はゆっくりゆったりお湯に浸かった。

 気持ちがいい。

 お湯に身を委ねていると、気持ち良すぎて眠ってしまいそうになる。

 僕は危うく湯船に沈みかけたところで湯船から上がり、頭を洗った。

 汗でベタベタした髪は泡立ちがあまり良くなかったので、もう一度シャンプーを付けて洗う。

 いい泡立ち。すっきりした。

 全身をくまなく洗ってシャワーで流し、もう一度湯船へ。

 また寝そうになるが、さっと上がってバスタオルで体を拭いて、新しい衣類に着替えた。

 汚れた衣類とタオル類は洗濯機に入れた。

 けど、もう洗濯してくれる母さんはいない。

 自分で洗濯機に洗剤を入れて、スイッチを押す。


 母さんはこれをずっとやってくれていたんだ。

 僕の分だけじゃなく、家族みんなの分を。


 僕は洗濯機の中で回る洗濯物を見ながらそう思った。

 洗濯が終わったら干さないといけないが、洗濯機が止まるまではまだ時間がかかる。

 僕は一度リビングに戻る。


 冷蔵庫からスポーツ飲料のペットボトルを取り出し、コップに注いで飲む。


 僕はエアコンで冷やされた空気の気持ちよさに、ついそのまま眠ってしまった。


『たんたらたったらとんたとたとたとん たんたらたったらとんたとたとたとん……』


 何か鳴っている。


 眠っている僕の耳に音が聞こえ、それが僕の意識を暗く穏やかな眠りの世界から、明るい光が突き刺さるような現実の世界に浮上させた。

 鳴っているものを寝ぼけ眼で手に取る。

 父さんのスマートフォンだ。

 表示されている名前は……タダシくん。

 亜美さんが、多分自分のアドレスと一緒にタダシくんの電話番号も登録しておいてくれたのだろう。


「……もしもし」


 寝起きでボケボケの声で僕はスマホに出た。


「もしもし、翔太、悪いな、遅い時間に」


 スマホの先の声は、やっぱりタダシくんだ。


「どうしたの、タダシくん」


 そう返事してリビングの時計を見ると、時間は夜の1時半だ。

 こんな時間に起きてることなんて、僕は滅多にない。眠いわけだ。


「遅い時間だとは思ったし、僕一人でやった方がいいかなとも思ったんだが、一人くらいは協力者が必要だと思ったんだ。翔太、僕に協力してくれないか」


 タダシくんはスマホの向こうで、声を潜めながらそう話す。


「何なの? タダシくんが僕のこと信用してくれるのは嬉しいけど、いくら何でも時間が遅すぎるよ。明日じゃダメなの?」


「ああ、明日じゃダメなんだ。 今から出てきて欲しい……家の前で待っててくれ。それと夜だから長袖長ズボンで、あとグリップゴムが付いた軍手も忘れずに持ってきて」


 そう言って電話は切れた。


 何だよ、タダシくん突然すぎるよ、こっちの身にもなってよ。

 僕は寝起きで人生初の不機嫌になった。

 エアコンに当たって気持ちよく寝落ちし、途中で起こされるなんて初めての経験だったからかな。




 僕が用意をして家の外で待っていると、音もなく車のヘッドライトが近づいてきて、僕を照らしたかと思うと、僕の横に白い車が止まった。確かプリウスだ。

 助手席の窓が開き、運転席にタダシくんの顔が見える。


「翔太、乗ってくれ」


 僕は助手席のドアを開けて白い車に乗り込んだ。

 僕が乗り込むとタダシくんは車を発車させた。

 この車、エンジン音がほとんどしなくて静かだ。

 スーッと音もなく、滑るように道を進む。


「タダシくん、こんな時間に呼び出して、タダシくんは疲れてないの? 寝た?」


「……2時間くらいは寝た」


 タダシくんは腕をピーンと真っ直ぐに伸ばした、朝と変わらない姿勢で車を運転する。

 オグちゃんは今日一日でかなり車を運転していたからかなり上達したけど、それに比べたらタダシくんの運転はぎこちない。


「何しに、どこへ行くの?」


「済まない、翔太、集中してるから話しかけないでくれ。ミニバンよりも座面が低くて前のエンジンルームが長いから感覚がつかみづらいんだ」


 タダシくんはそう言うとずーっと前を凝視していた。

 朝に比べると道路の真ん中に停まった車は脇にどけてあるので走りやすいはずだけど、それでもタダシくんは慎重に運転した。

 僕も黙って前の景色を眺めている。

 タダシくんの運転する車は町境の橋を渡り、香坂台学園のある五竜市に入る。

 香坂台学園に行くのだろうか?

 まさか香坂台学園に忘れ物を取りに行く訳じゃないだろうし。

 

 五竜市に入ると、道路には放置されっぱなしの車が多くなってきた。

 多くはエンジンは止まっているようだけど、中にはまだエンジンがかけっ放しでアイドリング音がしている車もある。

 国道のバイパスはまだ道幅が広いので通れないということはなかったけれど、市街地に入ると所々電柱や塀にぶつかって横になってしまった車もあり、なかなか通りづらい道が増える。

 タダシくんはどうにかそれらの放置自動車を避けてゆっくり市街地を進み、大きな建物の駐車場の、街灯から離れた暗い場所に車を停めた。

 

「さて、翔太、付き合ってくれてありがとう。三郷町に比べるとやっぱり五竜市は道が片付いていないな」


「放置されっぱなしの車、多かったね」


「ああ。三郷町は物資調達班の子たちに放置自動車を道の端に避けるように連絡してあったからね。きっちりやってくれてたんだろうな」

 

 タカちゃんたち、そんなこともやってくれてたのか。

 最も僕とオグちゃんも午前中似たようなことはやってたんだけど、それをみんなに手伝ってくれとは言ってなかったからな。

 亜美さんか、ゆうちゃんがきっと、そう伝えてくれたからだろう。


「タダシくん、ここが目的地でいいの?」


「そうだ」


 僕がそう尋ねると、タダシくんはそう答えながら車を降りて外に出た。

 僕も車を降りて外に出る。

 

「どこ?」


「五竜警察署だよ」


 タダシくんは後部座席からザックを取り出し背負うと、車をロックした。


「中に入って、探し物をしないといけない。僕一人でも大丈夫かと思ったけど、やっぱり誰か協力してくれた方が二手に分かれて探せるから効率的だと思ってさ。翔太なら秘密を守ってくれるだろうから頼んだんだ。着いてきて。足音はあんまり立てないように」


 タダシくんはそう言うとそっと足音を忍ばせてその建物の玄関に近づく。

 僕もタダシくんに言われた通りそーっと足音を立てないように後を追う。


「やっぱり鍵は掛かってるか。異変があった時はまだ来庁者が来るような時間じゃなかったもんな」


 タダシくんは玄関の分厚いガラス扉に手を掛けて押し引きしても開かないことを確認すると「翔太、一応周囲をぐるっと回って開いてるところが無いか確認してみてくれ。僕はこっち側から回るから、翔太は反対側を見てくれ」そう言って左側から警察署の建物の窓やドアを確認しに行こうとする。


「待って、昼間来ればいいじゃない、わざわざこんな夜中じゃなくても」


 僕がそう押し殺した声で呼びかけると「あんまり外で話したくない。中に入ったら話すから」そう言ってタダシくんは行ってしまった。

 僕も仕方なく右側から警察署の建物をぐるっと回って、窓や扉を確認した。

 駐車場の街灯の光が届くところはまだ薄っすらと足元が見えたが、その奥は真っ暗で、僕は足元に注意しながら警察署の壁伝いにゆっくりと進んだ。

 どの窓にも格子こうしが取り付けられていて、扉は通用口があったけど鍵は当然掛かっていた。

 

 警察署の入口とちょうど反対側で、僕はまたタダシくんと鉢合わせた。


「翔太、どこか入れそうなところはあったか?」


「通用口はあったけど鍵掛かってたし、窓は全部格子が付いてるから例え開いてても入れないよ」


「そうか……まあ当然か。どっか壊されてるところとかは無かったか?」


「そんなところも無かったよ」


「……わかった。翔太、じゃあ通用口のところで待っててくれ。そうだな、長くても30分くらいだと思うけど、一応誰か来ないか見張ってて欲しい。頼んだぞ」


 そう言ってタダシくんはまた来た方向に戻っていく。

 僕も通用口のところまで暗い中を足元に注意しながら戻った。




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