#003_精霊の少女

 荒廃した地下図書室、その最奥の大扉。

 そこから現れたのは、少女だった。


 絹糸のような純白の長髪、ルビーのように赤い瞳、白磁を思わせる美しい肌。

 スレンダーな肢体には一糸も纏わず、慎ましやかな胸は、いっそ芸術品のようだった。


 少女はぐっと背伸びをして、欠伸をしたあと、


「おはよう」


 と、微笑みかけてきた。


「えっ、あっ、お、おはよう……?」


 彼女に見惚れていた俺は、間抜けな返事しかできなかった。

 裸足の少女は床の埃を蹴って歩き、俺の近づいてくる。


「私はかなり長いあいだ、眠っていたみたいね」


 荒れ放題の部屋を見回し、呟いた。

 ふぅ、と少女が一息つく。

 すると、少女の周りから、埃が

 風が吹いて飛んだわけではない。跡形もなく、


 ふと振り向くと、図書室を覆い尽くしていた塵芥も、形を残さず消え去っていた。

 それだけではない。ひび割れていた椅子や机が、まるで新品のように修復されている。

 倒れていた本棚も整然と並び、風化していない本が綺麗に詰め込まれている。


 なにが起きた?

 この少女がやったのか?


「訊きたいことがあるなら、訊いてもいいわよ」

「えっ」

「そういう表情かおをしてるもの」


 真紅の瞳が、じっと俺を見据える。

 俺がなにも言えずにいると、少女は机に腰をかけ、


「質問がまとまらないなら、私から訊かせてもらうけれど」

「えっ、あっ、はい」

「ええと……そうね、まず、貴方の名前を訊いてもいいかしら」

「あ、はい、柳幹人やなぎみきひとって言います。柳が名字で、幹人が名前で……」

「姓があるということは、貴族なの? それに、姓から先に名乗ったのは、いまの流行りなのかしら?」

「あ、いや、そうじゃなくて、俺、召喚者、というか……」

「ああ、召喚術式を使ったのね。どうして召喚されたのかしら?」

「その、隣のベルディアって国が、魔王に滅ぼされたらしくて……」

「魔王を名乗る個体が出たのね。いったいだれの暇潰しかしら……。……ねぇ、ミキヒト、貴方さっきからどこを見て話しているの?」


 ずっと少女から視線を外している俺を不審に思ったようだ。いや、だって……、


「……服、を」

「ふく?」


 俺が少女の裸体を指差すと、彼女はようやくそれに気がついた。

 しかし恥ずかしがる様子も慌てる様子も見せず、ただ、気がついた、という感じで、


「これでどうかしら?」


 一瞬あとには、純白のワンピースを身に着けていた。

 早着替えとかいうレベルではない。そもそも服なんてどこにもなかった。


「驚くのはいいけれど、訊きたいことはないの?」


 くすっと微笑む少女。

 笑われてしまった。驚きはしたが、そんなに顔に出ていただろうか。


 ともあれ、質問を促されたということは、今度はこちらのターンということだろう。


「えっと……あなたは、だれなんでしょう?」

「私は精霊」

「せ、精霊? 人間に魔法を授けたっていう……?」

「それだとすこし語弊があるわね。私はただ、助言をしただけ。魂の高等化術式を完成させたのは、あくまでこの国の魔術師たちよ」


 魂の高等化術式?


「まぁ、あの術式も完全からは程遠かったわけだけれど……私が眠っているあいだに、すこしは進歩したのかしら? ……そういえば貴方、それは魔法よね?」


 そう言って少女が見上げたのは、俺が頭上に掲げていた光球だった。


「あ、ええ、はい」

「召喚者が魔法を使えるということは、召喚術式に高等化術式を組み込んだということね」

「え、いや、わかりません……」


 高等化術式どころか召喚術式すら俺は見ていない。そもそもこちらの世界に来てからは術式っぽいものは見ていない気がする。魔法は詠唱なし・魔法陣なしで使えるのだ。


 というか、このままだとまた質問の主導権を握られそうだ。俺は先んじて問いを投げかける。


「じゃあ……あなたは、ここでなにをしてたんですか?」

「眠っていたわ。せっかく肉体からだに入っているわけだしね。それで数百年か、1000年くらい経っているようだけど」


 1000年って……いや、でもこの部屋の荒れ様からして、それくらいの時間が経過していてもおかしくないのかもしれない。


 つまり彼女は「旧王城の忘れ去られた地下図書室で1000年眠っていた精霊の美少女」か。

 これまでの少ない情報をまとめると、こうなる。


 ……で、どうする? そんな人を……いや、精霊を前に、ほかになにを訊けばいい?

 そう考えていると、ぐぅ……と少女のお腹がなった。


「お腹が空いたわ」

「……そうですか」


 精霊でもおなか空くのか。


「食堂へ行きましょうか」


 机から降りた少女は階段のほうへ歩き出した。


「えっ、ちょっ」

「どうかしたの?」

「あの……まずくないですかね? 見られるの……」

「そうかしら? ……いえ、そうかもね。もしかしなくても、私は忘れられた存在でしょうから」


 いきなり見知らぬ人が城内で見つかったら大変なことになるだろう。いくらここが旧王城で、彼女が美少女……いや精霊だったとしても。


「それはどうにでもなるわ。行きましょう」


 どうにでもなるって……魔法かなにか使うのだろうか。洗脳魔法とか、記憶改竄とか? どんなことできるのだろうか?


 俺は少女のあとを追って、地下を出る。

 階段を塞いでいた板……俺が割ったはずの板は、地下の机や椅子のように綺麗に修繕されていた。絨毯も破ったあとはなく、代わりに板に沿った切れ目が入っている。これも少女の魔法だろうか?


「……?」


 出入り口の前まできた少女は、なぜか読書スペースの机に座っていた。食堂に行くんじゃなかったのか?


「こちらから行かなくても、むこうから来てくれたみたいよ」

「え?」


 がちゃり、と勝手に扉が開く。

 入ってきたのはメイド長だ。


 まずい! 少女を見られた!?

 焦る俺に対して、メイド長は告げる。


「お部屋の移動か完了いたしました。ご案内いたしますか?」

「えっ」


 まさかの無反応ノーリアクション……?

 少女は変わらず扉近くの机に腰かけている。メイド長との距離はわずか数メートル。気づかないわけがない。


 けれど、メイド長は俺だけに視線を向けている。

 まるで、少女など見えていないかのように。


「……あ、いえ、食堂に行きたいっていうか」

「でしたら、こちらにお持ちいたしましょうか?」

「あー……」

「それでいいわ。なにか甘いものを」


 声のボリュームも考えず、普通に返答する少女。

 俺はぎょっとしてしまうが、メイド長はまたも反応しない。見えも聞こえもしていない様子だ。


「……なにか、甘いものを、お願いします」

「かしこまりました。ご用意いたします」


 一礼して、メイド長は退室した。

 足音が遠ざかるのを待って、訊いてみる。


「……どうなってんの?」

「どうなってると思う?」

「幻惑魔法的な……?」

「それはどういうものかしら?」

「洗脳して、幻覚を見せたり……」

「違うわ」


 言い切って、少女は立ち上がった。

 本棚に歩み寄ると、手近な一冊を手に取る。赤い表紙のハードカバーだ。


「この本が赤く見える理由を知っているかしら?」

「?」


 なんの話だ?

 沈黙を無回答と捉えたのか、少女は語り出す。


「光の三原色は知っていて?」

「ええと……赤、青、緑?」

「正解」


 指を三本立てる少女。そこにそれぞれ、赤・青・緑に発行する光球が生まれた。


「この三つを重ね合わせることで、さまざまな色の光が作られる。三つすべてを重ねると?」

「……白い光になる」


 三つの光球が一つに重なり、白い光を放つ発光体となった。


「正解。言い換えれば、白い光というのは、あらゆる色を含んでいるということになる。自然光なんかね」


 ……絵の具のようなものだろう。さまざまな色の絵の具を混ぜると、黒くなる。だから、黒にはさまざまな色の絵の具が含まれていると言える、みたいな。


「それでは問題。この本が赤く見える理由は?」

「……自然光がその本に当たって、その本が赤い光だけを反射しているから」


 この部屋にはいくつもの天窓がある。俺たちを照らしているのは、そこから差し込む太陽光だ。

 そしてその太陽光……自然光は、白色である。


「正解。この本は、太陽光から赤い以外の成分を吸収し、赤色だけを反射している」


 少女は言葉を続ける。


「じゃあ、この本が赤く見えている貴方の眼球は、いったいなにを捉えているの?」

「……その本が反射した、赤い光」

「正解。じゃあ、問題。見えているものを隠し、存在しないものを見せるために必要な魔法は、なに?」

「……光魔法?」


 そう答えると、本棚のそばにいた少女の姿がかき消えた。

 そして、


「よくできました」

「っ!」


 すぐ耳元で囁かれる。

 驚いて振り返ると、しかし少女の姿はない。


「声も同じね」


 少女の声。また振り返ると、少女はさっきと同じ本棚のそばにいる……いや、そもそも一歩も動いていないのか。

 自分の反射する光を偽れば、姿を消すことができる。人間は、光でしか相手の姿を捉えることができない。


「声……つまり音というのは空気の振動。だから空気それさえ操ることができれば、洗脳なんてしなくても視覚聴覚くらい騙せる。触覚もそう」


 ぬらり、と脇腹を撫でられる感触。

 けれど、なにも触れていない……おそらく、念動力の魔法。


「わかった? これが貴方の勘違いした幻惑魔法の正体。簡単なものでしょ」

「……原理自体は。でも、実際にやるとなると簡単には……」


 俺にはそんな魔法、使えない。俺が出せるのは、バスケットボール大の光球がせいぜいだ。周囲の光に干渉することもできず、光の色を変えることすらできなかった。


 しかし、そんな俺に少女は言い切る。


「簡単よ。使


 魔術。それを使えば、いまにみたいなことができるのか?


「でも、魔法でできないことが、魔術ができるんですか? 俺、魔法はあんまり……」

「それはそうでしょう。だって、貴方は人間なんだもの」

「……それ、関係ありますか? 人間でも、すごい魔法を使える奴は使えるし……」

「そのというのがどんなものかは知らないけれど、人間程度の魂の複雑性で、魔術を超える魔法を使うことはまずできないわ。知覚が五感しかない種族が、複雑な魔法を使えるわけがないから」


 ないから、なんて言われても俺にはわからない。


「たしかに、肉体に依存する種族の生活では、魔法のほうが有用である場面は多くある。だからこそ人間は魔法を求めた。けれど、それでもやっぱり魔術のほうができることの幅は広いわ」


 そういうものなのか? 魔術のほうが便利で、できることが多い?

 でも……、


「……だったらどうして、魔術は衰退したんですか?」

「その話を、私も訊きたかったのだけれど」


 質問を質問で返されてしまった。


「どうして、地下図書室あそこがあんな有様だったのか。所蔵していた書物はいずれも魔術における重要文書だったはず。それをロクに管理もせず、放置しているなんて……」


 あの地下にあったぼろぼろの本はそんなに重要なものだったのか。

 地下への入口だって、期せずして隠されていた感じだった。貴重な資料を隠匿したいというのなら、入口すら埋めるような、もっと確実な方法だってあっただろうに。


「貴方、魔術が衰退していると言ったわね。それはどこから得た情報かしら?」

「えっと、さっき来たメイド長さん……」

「……使用人とは言えど、国の中心に近いところにいる人物が、魔術は衰退したと言ったのね」

「あ、でも、まだ街のほうでは魔術が使われてるとも言ってたけど」

「裏を返せば、もう貴族のうちでは使われていない? ……たしかに、街のほうでは魔術が使われているようね。けれど、この城内には魔術式が見つからない。術式だった、と思しき装飾はいくつか見られるけど、どれも動作しないものばかり」


 さも、街や場内を見て回っているかのように話す少女。

 彼女の視線は床の一点を見つめているが、なにも見ていないような感じがする。顎に手を当てて、眉をひそめ、考えていることをそのまま呟いているようだ。


「下手に魔法が使えるようになったから? ……ああ、私が眠っているあいだに、さらなる魂の高等化に成功したのね。だから防衛機構セキュリティラインに阻まれるようになってしまった。そうであれば、合点がいく」

「…………」


 これ、どうしよう。ほっといていいのか? いや、むしろほっとかれてるのは俺か。


 なんて考えていると、扉が開いてメイド長が入ってきた。銀色のティーワゴンを押していて、そこにはティーセット一式とクッキー類が載っている。

 さっきのいまで、早いな。


「申し訳ありません。一から作っているのではお時間がかかると思い、料理人の実習で調理したものをお持ちさせていただきました。指導教官が手本として調理したものでございます。こちらをお出しさせていただいてもよろしいですか?」

「え、ああ……」


 ちらと少女を見ると、少女は一つ頷いた。


「はい、大丈夫です」

「では、失礼いたします」


 メイド長は机にティーポットを置き、魔法でお湯を用意する。


「ミキヒト、彼女に現代の魔術について訊いてみて」


 俺にしか届かないであろう声で、少女は俺に言ってきた。


「この国の貴族は、使


 え……そうなのか? この国の貴族は、魔術が使えない? 使わないじゃなくて?

 いや、それを訊けと言われてるのか。


「あの……ちょっと訊いてもいいですか?」

「どうかいたしましたか?」

「えっと……魔術について、訊きたいことがあるんですが」

「はい。私のお答えできる範囲であれば、お答えさせていただきます」

「あの、魔法が使えるようになって、魔術が衰退したって話ですけど、この国の貴族は、いまでも魔術は使えるんですか?」

「それは……」


 メイド長は口籠もる。言いにくいことなのだろうか。

 すこしの沈黙のあと、メイド長は答える。


「……いいえ、使うことができません。この国に限らず、そして貴族に限らず、使使

「それって、どういう……」

「言葉通りの意味でございます。魔法が使える者は、魔術式を起動することができないのです」


 その回答に、思わず息が詰まってしまう。


「理由は判明しておりませんが、魔法が使える人間……また、エルフ、ドワーフ、獣人などの魔法種族も魔術を使うことができません。ただ、異世界から召喚なされました勇者様に関しては、それに該当するかどうかは不明でありーー」


 メイド長の言葉が遠のいていく。


 魔法が使える人間は、魔術が使えない?

 だったら……俺は?


 ロクに魔法が使えないから、魔術の勉強をして、理解を深めようと思っていた。

 なのに、使えないだって?


 せっかく異世界に来たのに? 俺に与えられたは、半端な魔法だけ?

 この世界には、レベルという概念もなければ、スキルや属性といったユニークな設定もない。

 そして俺には、誇れるほどの技術も知識もない。


 この魔術図書室を見つけたとき、あるいは、と思った。この『魔術』という存在が、俺だけのなにかに成り得るかも、と。

 それなのに、


「…………」


 動揺する俺に、少女はなにも言わない。

 強張った面持ちのメイド長は、さっさと紅茶と菓子の配膳を終えて、そそくさと部屋を出ていった。


 扉が閉まるのを見届けてから、少女は着席し、ティーカップを手に取る。

 一口すすって、ほう、と一息ついて、告げる。


「言っておくけれど、貴方くらい未熟な魂なら、魔術を使うことはできるわ」

「……え?」

「魔術が使えないのは、ある一定以上の複雑性構造を持つ魂だけ。貴方の魂の精度は、それほど高くない」

「いや、でも、魔法が使える人間は、魔術が使えないって……」

「さっきの女性は魔術を使えないわ。この城にいる使用人にも使えない。けれど、彼女たちより精度の低い魂の貴方なら、使える」

「それって、どういう……」

「魔法が使えるか否か、魔術が使えるか否かは、魂の構造、その複雑性に依存するの。魂が一定以上の複雑さを満たせば魔法が使えるようになり、またある一定以上の複雑さを満たせば魔術が使えなくなる。……ここでポイントとなるのは、魔法と魔術、それぞれの使用可否は魂の精度によるけれど、それは同じ尺度に則っているだけで、直接的な因果関係があるわけではない、というところ。この意味がわかるかしら?」


 魂とか複雑性うんぬんはわからないが……、


「……魔法が使えるようになる一定ラインと、魔術が使えなくなる一定ラインがあって、でもそのラインはそれぞれ違うラインで、魔法が使えるラインを超えたから魔術が使えなくなる、ってことではない……ってこと?」

「その通り。ごくわずかだけれど、使使。……貴方の魂は、その絶妙な精度を満たしているわ」

「ってことは……俺は、魔術を使える?」

「使えるわ。私が最初に言った通り」

「~~~~ッッ!?」


 頭にこもっていた熱が引いていく。


 俺は、魔術が、使える。

 俺の魂が未熟だったから、レベルの低い魔法しか使えないから、魔術が使える。

 魔法が使えなくてよかった、とはならないが、わずかに残った希望が、俺の心を支えてくれる。


「っていうか、魂って……?」

「それは……」


 俺の不意の問いに、彼女は答えかけるが、


「……いえ、いまはまだやめておくわ。人間には知覚できない領域の話になるし、それに……」


 それに?


「ただ教えるだけというのも、つまらないじゃない。そのうちヒントは出してあげる。だから、自分で考えなさい」


 少女はクッキーを取り、一口かじる。

 そして、微笑んだ。それだけで、見惚れるくらいの美しさだ。


「さて、さっそくだけれど、講義レッスンを始めましょうか」

「れ、レッスン? なんのですか?」

「魔術の講義レッスン

「え」


 間抜けな声が出てしまった。

 レッスン、っていうことは……、


「……俺に、魔術を教えてくれるんですか?」

「ええ、もちろん」

「それは、……いいんですかね。なんか……」


 もちろん願ったり叶ったりではある。けれど、願い通りに行き過ぎていて、すこし怖いというか……。

 まさか法外な金額を請求される、なんてことはないがろうが、精霊との契約とか、呪いとか、そういうことがないとは限らない。


「そんなに怯えなくたっていいわよ。そもそも、私がここにいたのは、そのためだもの」

「そのため、っていうと……」

「私が眠る前だから、もう何百年も前のことになるのだろうけど、私はここで、魔術師たちに魔術を教えていたの。言わなかったかしら? 人間に魂の高等化術式に助言をしたのは、私だって」


 そういえばそんな感じのことは言っていたが。


「そういうことだから、私は引き続き、魔術を教えるわ。教える相手が多国籍魔術連合から貴方に代わっただけ」


 生徒の質の落差やばそう……。


「最初に教えるのは……妥当なところで、光学系の魔術でどうかしら?」


 俺の同意もなしに、少女は話を進めていく。

 もちろん俺に断る理由なんてないのだが。


「……さっき見た、姿を消すようなやつですか?」

「それも含む、ね。さっきの問答で、ミキヒトのいた世界とこちらの世界の、光に関する法則が類似していることがわかったから」


 さっきまで訊かれていた光の三原則とかの質問には、そんな意図があったのか。

 たしかに、よく考えてみれば不思議なものだ。魔法という埒外の存在はあるものの、世界は似たような物理法則に支配されている。


 異世界召喚には、なにか条件があるのだろうか。似た物理法則の世界からしか召喚できない、みたいな。


「似通った法則で世界が動いている以上、現象の発想自体はそう難しくないはず」

「現象の発想?」

「どういう内容の魔術にするか、ということ。術式での実現可能性はともかくとして、姿を消すためには、どんな現象を起こせばいいのか、という発想」

「なるほど」


 それなら、もといた世界と同じ現象をベースに考えられそうだ。


「じゃあ、これは確認なのだけれど」

「なんですか?」

「貴方のもといた世界に、魔術ってあったかしら? それに類するものでもいいわ。魔法を行使するための、なにか技術的なもの・こと」

「えっと、ないです。魔法とか、魔術とかって概念はありましたけど、すべて架空の存在でした」


 そう答えると、少女はすこし驚いた表情を見せた。


「魔法が、架空? どういうこと?」

「どういうことを言われても……」

「そうね、言い換えるわ。……じゃあ、エネルギーを直接的に扱う技術や特性を持った種族の存在はいたかしら?」

「いないですね……。人間以外には、動物とかしかいなかったです」

「……具体的な質問。普段の生活では、どうやって火を起こしていたの?」

「えっと、ライターとかで」

「らいたー?」


 小首を傾げる少女。その仕草がものすごくかわいい。


「そういう、火をつける道具があったんです。小さな容器に、可燃性のガスを液化して入れておいて、それをちょっとずつ出して使うような。そのガスに火打石みたいなので着火して、大きな火をつける」

「ふうん……道具、ね。魔法がない代わりに、道具が発展していたというわけ」

「はい。科学、って言ってわかりますかね」

「わかるわ。魔術は科学の一部でしょう」

「えっ、そうなんですか?」


 むしろ真逆のイメージなんだが。


「それはそうよ。精霊という存在に依存することが前提ではあるけれど、魔術は体系化された学問の一つ。世界の法則に沿って現象を起こす技術だもの」


 体系化された学問。法則に沿って現象を起こす技術。

 そう聞くと、途端に科学っぽい感じが出てきた。


「まぁ、これにはいろいろ主張があったわね。魔術は科学ではない、と言い張る派閥もあったから。『科学』という言葉の定義にもかかわってくるから、これはひとまず置いておくとしましょう」


 そこまで議論が発展するのは、もはや脱線だ。少女は話を戻した。


「ともかく、科学はわかるわ。それで?」

「俺のいた世界は、極端に科学……魔術を除いた科学が発展している世界でした」

「ああ、なるほど。じゃあ、こちらの世界と大きな違いはないようね。ただ、魔法が存在しているかいないかの違いだけ。魔術は魔法に似せて創られた技術だから、それを除けば、両世界はよく似ている。こちらの世界にはなくて、あちらの世界にあるもの、というのは存在するかしら?」

「……あるにはある。けど、がんばればこっちの世界でも作れそうな道具、とかですかね。さっき言ったライターとか。魔法みたいな、技術の根本から異なりそうなものは、ないと思います」


 俺はあっちの世界の物理法則を完全に理解していたわけじゃないし、こっちの世界の法則を知り尽くしてるわけじゃない。だから断言することはできない。


 けど、似たような物質がある以上、もとの世界と同じような道具だって作れると思う。事実、こちらの持ち越したスマホとか時計は正常に動く。もし物理法則が大きく違うのなら、これらの機械類は動かなくなるだろう。


 ひとまず知りたいことが知れたのか、少女はすこし満足気な表情で、紅茶を口にした。


「わかったわ。……じゃあ、貴方はこう理解して」

 一呼吸おいて、少女は壇上に立った教師のように告げる。

「魔術とは、現象を起こすためのである」

「道具……」


 俺がその言葉だけを復唱すると、少女は首肯する。


「そうよ。いっそのこと、魔法とは切り離して考えてもいいわ。魔法と魔術の関係性を知らなくても、魔術を使うことはできるから」


 そういうものなのだろうか。けれど、知らずとも使えるというのは、学ぶ側からするとありがたいな。


「ああ、それと、もう一つ、決めておかなければならないことがあったわ」


 ティーポットから紅茶を注ぎ足していた少女が、思い出したかのように言った。


「なにを決めないといけないんですか?」

「報酬よ」

「……え?」


 いるのか? さっきは必要ない的なこと言ってなかったっけ?

 と考えたのが表情に出ていたのか、少女は補足してくれる。


「報酬と言っても、そんなにたいしたことは要求しないわ。最低限、私のモチベーションを保つために必要なものがほしいの。以前、魔術師たちに魔術を教えていたときの報酬は、食事や甘味だった。その程度よ」


 えっ、そんなもん? 食べ物の代わりに魔法を授けたってこと? なんかちょろくないか精霊さん……。


「せいぜい、貴方が私に提供できるもの・ことに限るわ。そうね……」


 考えるそぶりを見せる少女。


 以前の魔術師たちのように、食事を提供するというのは俺では無理だ。というか俺も提供される側ですらある。


 ラノベとかじゃ、異世界人になにを与えたら喜ばれてたっけ?

 現代知識? ……与えられるほど詳しくない。

 マヨネーズ? ……すでに似たようなのがあったんだよな。召喚初日の晩餐で出た。

 ほかになにか、俺が、この少女に与えられそうなもの……、


「……名前?」


 口をついて、そんな言葉が出た。

 別に異世界モノによくあるってわけでもないが、ときどき見かけた気がする。名前を捨てた少女に新しい名前をとか、孵化した魔物に名づけとか。


「いいわね、名前」


 少女の納得してくれたようだ。


「初めての名前だから、素敵なものを期待しているわ」

「うっ、ハードル高い……」


 始めてもなにも、名前なんて一度しかつけないのが普通だ。失敗できない緊張がある。

 けれど、少女の微笑む表情を見ると、緊張以上に込み上げてくるものがあった。

 嬉しいとか、楽しいとか、そういう類の感情だ。


 ……ひさしぶりかもしれない、こんな気持ちになったのは。

 この世界に来てから……いや、召喚されるずっと前から、俺は求めていたのだ。


 朝起きて、学校に行って、帰って寝て、また起きる。そんな毎日の繰り返し。

 ラノベやアニメもそれなりに楽しかったけど、それでもやはり物足りなかった。


 だから、この世界に召喚されて、舞い上がったのだ。求めていた非日常。それが手に入ったと思って。

 結局、それはぬか喜びだったけど、いまやそれは些細なこと。

 たぶん、ここからだ。


 精霊の少女と、魔術。


「じゃあ、さっそくだけれど、始めましょうか」


 退屈とは無縁の、非日常が。

 始まるのだ。

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